ラジオ体操は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操として誕生し、学校や町内などで行なわれ、長きにわたり親しまれてきました。夏休みの朝に眠い目をこすりながら外へ出て、ラジオから流れる伴奏に合わせて体操した……といった経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。
その「ラジオ体操」がNHK(日本放送協会)のラジオ番組にて放送を開始したのが、昭和時代の初期、1928年の11月1日です。当初は号令のみのラジオ放送はありましたが、伴奏がついた形では11月1日からが最初となります。
とはいえ、全国放送となるのは、翌年の1929年で、一般的に「ラジオ体操」というところの「ラジオ体操第1」は現在とは異なり、福井直秋が作曲した「ヘルプスト進行曲」の伴奏によるものでした。1939年に、武内俊子による「朝風そよそよラジオは響く一、二、三」と歌い出す詞をつけた曲「朝日を浴びて」が誕生します。
終戦後は、
服部正が手掛けた曲に合わせて作られた第2代「ラジオ体操第1」を開始しましたが、動きが難しかったなどの理由であまり普及せず、約1年の短命に終わりました。
そこで“老若男女を問わず誰でもできることにポイントを置いた体操”として、1951年より現在の「背伸びの運動」から始まる第3代「ラジオ体操第1」へ移行。引き続き、服部正が作曲を手掛けましたが、第2代のハ長調からニ長調へと変わっています。ちなみに、服部は映画『
次郎物語』『
素晴らしき日曜日』などの映画音楽も手掛け、弟子には数々のCMソングやアニメソング、流行歌を生み出した
小林亜星がいます。
1957年からはラジオだけでなく『テレビ体操』としてテレビでの放送もスタート。1999年からは「ラジオ体操第1」「同第2」に比べて運動量を抑え、椅子に座ったままでもできる、高齢者の負担も考えた「みんなの体操」を一般公募などにより制定しています。「みんなの体操」は、2024年に25周年を迎えることになります。
番組のテーマ・ソングとなっているのは「ラジオ体操の歌」で、1931年に作詞・小川孝敏、作曲・
堀内敬三、歌唱は
内田栄一という“初代”がSP盤シングルとしてリリースされました。それから20年後の1951年に作詞・脇太一、作曲・
大中恩が務め、「
青い山脈」「東京ラプソディ」などにヒットを世に放ち、スポーツ選手以外で初めて国民栄誉賞を受賞した国民的歌手の
藤山一郎とコロムビア合唱団が歌う第2代「ラジオ体操の歌」を発表。
そして、1956年に「新しい朝が来た 希望の朝だ」というおなじみのフレーズで始まる第3代「ラジオ体操の歌」を発表。作詞は
淡谷のり子「別れのブルース」や
美空ひばり「
東京キッド」などを手掛けた藤浦洸が、作曲は藤山一郎が担当。2年後の1958年には藤山一郎、コロムビアひばり児童合唱団の歌うシングルがリリースされました。
この“3代目”は、はつらつとしたメロディや明るい曲調が人気を博して、ラジオ体操以外でも数多く用いられています。2004年にTVアニメ化された『
GANTZ』では藤山一郎の歌唱ヴァージョンが登場するほか、近年ではダイハツ「タフト」やかんぽ生命保険、マクドナルド「ソーセージエッグマフィン」篇などのCMで替え歌が使われたりと、誰もが耳にする楽曲となっています。
ダ・カーポが2013年のアルバム『
とっておきの贈りもの』にてカヴァーするなど、この曲をカヴァーするアーティストも少なくありません。
2015年にはドラえもんやのび太をはじめ、アニメ『ドラえもん』のキャラクターの掛け声が入った『
ドラえもんとラジオ体操!〜ラジオ体操 第1・第2〜』(写真)がリリースされるほか、2024年には『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のキャラクターによるCD『
ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2 MIRACLE LIVE! 〜New Year's March! / ラジオ体操第一(虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 Ver.)」をリリース。アニメの世界でも「ラジオ体操」の楽曲を耳にすることができます。
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