1月24日は、昭和の音楽シーンに名を刻むビッグヒットを放った女性歌手が誕生しています。1950年に生まれたのが
ジュディ・オング、翌年の1951年に誕生したのが
五輪真弓です。
ジュディ・オングは、台湾で生まれ、2歳で訪日。劇団ひまわりに入団して芸能活動を始め、60年代より映画やドラマに出演。1966年に「星と恋したい」で歌手デビューを果たしました。以来、女優と歌手を中心に活動。歌手としては、当初は
市川昭介作曲の演歌・歌謡調の楽曲を歌っていましたが、70年代からは
筒美京平や都倉俊一、
中村泰士などによるポップス調の楽曲が増え、75年に市原悦子主演のドラマ『赤い殺意』の主題歌「愛は生命」がヒット(作曲は、“まこ… 甘えてばかりで ごめんネ”で始まる
青山和子「愛と死をみつめて」などで知られる土田啓四郎)。そして、1979年に
阿木燿子と筒美京平のコンビで放った「エーゲ海のテーマ〜魅せられて」が大ヒットし、ジュディ・オングの代表曲の一つとなりました。
「魅せられて」は、9週連続でオリコンシングルチャート1位、年間シングルチャートでは2位を記録したほか、日本レコード大賞を受賞するなど、1979年を代表する楽曲となりました(ちなみに、年間1位は
渥美二郎「夢追い酒」。レコード大賞では外国作品のカヴァーという理由で
西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が対象外となったことも追い風に)。
音楽番組などで「魅せられて」を歌う際には、鳥の翼のように扇状に袖が広がる純白のドレスを身にまとって登場。サビの“Wind is blowing from the Aegean”(風がエーゲ海から吹いているわ)で、背後からの光に照らされながら両手を広げる演出が大いにウケて、当時の国民的バラエティ番組『8時だヨ!全員集合』で
ザ・ドリフターズの
志村けんが、ジュディ・オングを真似た白い布をまとったり、ものまねタレントがこぞってパロディにするなど、人気パフォーマンスとしておなじみになりました。
その後も「ひとひらの雪」などのヒットを放ち、2004年には
小西康陽のアレンジによるリメイク・セルフカヴァー「魅せられて(2004 Version)」(写真)をシングル・リリース。ジュディ・オングは1972年に日本に帰化しましたが、台湾、香港をはじめ、東・東南アジアなどでも人気を博し、個展を開くなど版画家としても活躍しています。
ジュディ・オングの翌年に東京で生まれたのが、シンガー・ソングライターの五輪真弓です。高校時代にはフォーク・グループで活動し、卒業後はギター弾き語りを重ね、1972年にシングル「少女」とアルバム『少女』の同時リリースでデビューを飾りました。米・ロサンゼルスでレコーディングされたアルバムは、オリコンチャート6位とヒット。“和製キャロル・キング”と称するメディアも現れました。
70年代半ばに仏・パリに滞在し、76年に仏語によるアルバム『
えとらんぜ』を発表。帰国後、78年に「さよならだけは言わないで」がヒットすると、メディアにも数多く出演。80年のシングル「恋人よ」が大ヒットすると、同年の日本レコード大賞で金賞を受賞。『NHK紅白歌合戦』にも同曲で初出場を果たしました。以来、『紅白』は1988年までに5回出場。1987年の第38回の際に歌唱した「心の友」は、東・東南アジアにおいては「恋人よ」と肩を並べるほどの人気を博し、特にインドネシアでは“第二の国歌”と呼ばれるほどの有名曲に。スマトラ島沖地震からの復興へ向けて愛聴されたほか、現地の歌手やインドネシアの日本文化紹介TV番組『Kokoro No Tomo』シリーズのオープニング・テーマとしてカヴァーされるなど、シングルカットもされないアルバム『潮騒』収録曲ながら、日本以上の知名度を獲得しています。
そのほか、
木の実ナナへ提供し、
西田敏行主演ドラマ『港町純情シネマ』の主題歌に起用された「砂の城」は、タイトルを「愛の蜃気楼」と変えてセルフカヴァーしましたが、ヴェトナムでは現地語で「砂漠の愛」というタイトルで多くのアーティストがカヴァーするなど、インドネシア、ヴェトナム、香港、マレーシアほかで根強い支持を得ています。