詩人や童謡作家として活躍した
野口雨情は、今から80年前の1945年1月27日にこの世を去りました。1882年5月29日に茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)で生を受けた野口英吉は、20代に“雨情”を名乗りますが、北海道で新聞社を転々としては帰郷と上京を繰り返すなど、当初は不遇の日々を過ごしていました。
1919年に自由詩集『都会と田園』を刊行して詩壇に復帰すると、次々と童謡を発表。「枯れすすき」を作詞して、
中山晋平に作曲を依頼(のちの「船頭小唄」)したのをはじめ、藤井清水や本居長世などとも組んで、多くの名作を発表しました。
また、童謡・民謡普及のための講演旅行を重ね、日本国内のみならず、当時の台湾、朝鮮、満州、蒙古まで足を運んだともいわれています。1935年頃から詩作が少なくなると、1943年に脳出血で倒れ、療養に専念。1945年に疎開先の栃木県で鬼籍となりました。
代表作は「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「黄金虫」「シャボン玉」「あの町この町」「波浮の港」「青い眼の人形」「證城寺の狸囃子」「雨ふりお月さん」など、今なお歌い継がれている名曲にあふれ、
北原白秋、
西條八十とともに“童謡界の三大詩人”とも謳われました。
一方、アメリカでは、1972年の1月27日に“ゴスペルの女王”と呼ばれた
マヘリア・ジャクソンが天国へ旅立ちました。ジャクソンは、1911年10月26日にルイジアナ州ニューオーリンズで生まれ、幼少から教会で歌い始めました。10代でシカゴへ移り、ゴスペル・グループのジョンソン・ブラザーズでプロキャリアをスタートさせると、1937年にソロとして初のレコーディングを行ないました。
1948年の「ムーヴ・オン・アップ・リトル・ハイヤー」(Move On Up a Little Higher)で成功を収めた後は、ヨーロッパでも人気を獲得。ブルースやジャズから影響を受けた歌唱やリズムの取り方などを駆使して、元来は宗教音楽の色が濃かったゴスペルをポピュラーな音楽ジャンルとして定着させた担い手の一人となりました。
当時、保守的な黒人教会からは、ジャクソンの尻を振りながら歌うパフォーマンスが不謹慎だと非難されることもありましたが、圧倒的な支持を得ている黒人はもちろんのこと、そのソウルフルで全身全霊を込めた歌唱は人種を超越し、世界で最も影響力のあるゴスペル歌手の一人として広く感動を与えました。キング牧師らとともに、公民権活動に貢献したことでも知られています。
「ブルースは失意の歌だから、私は、希望の歌、ゴスペルを歌う」と語ったジャクソンは、前述の「ムーヴ・オン・アップ・リトル・ハイヤー」をはじめ、「イン・ザ・アッパー・ルーム」(In the Upper Room)、「ディドゥント・イット・レイン」(Didn't It Rain)、「イーヴン・ミー」(Even Me)などをミリオンセラーへ導き、コロムビア・レコードを中心に約30枚のアルバムを録音。そのほか、映画やラジオ、米人気番組『エド・サリバン・ショー』などのTVにも多く出演しました。
1月27日の命日に際し、日米の偉大なアーティストをあらためて知る機会として、それぞれの楽曲を聴いてみてはいかがでしょうか。ちなみに、1月27日は、
ベートーヴェンらとともにウィーン古典派を代表する音楽家、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生した日でもあります。
(写真は、2004年リリースのマヘリア・ジャクソンのアルバム『
エッセンシャル・マヘリア・ジャクソン』)