アシッド・ジャズは80年代後半に立ち上げられたレーベルの名前であり、90年代初頭にイギリスで発生した「ジャズで踊る」を基本姿勢にしたムーブメント。ジャンルとして考えるとあまりにその範囲が広すぎるため、説明が難しいのですが、ここから発信された音楽はジャズをはじめ、70年代のソウルやファンクなどに影響を受けたもので、今日のドラムンベースやブレイクビーツ、ヒップホップやR&Bにも繋がるものと言えるでしょう。現在でいうレア・グルーヴも、アシッド・ジャズがあってこその再確認だったかもしれませんね。ちなみにアシッド・ジャズの名称は「アシッド・ハウス」から派生した言葉だとか(詳細は不明)。
叩き売りされていたアナログ・シンセがテクノで再評価されたように、中古レコード屋でタダ同然で投げ売りされていた70年代のジャズ・ファンクやソウル、当時のクラブ・シーンではかけ離れた存在(英国ではセカンド・サマー・オブ・ラヴ真っ盛り)になっていたジャズのレコードに光をあて、踊れるサウンドを作り上げていったDJやバンド。その中心にいた人物がDJ
ジャイルス・ピーターソン。15歳で自宅に海賊ラジオ局を作った彼は、英国国営放送BBCのDJとしての顔を持ち、DJのエディ・ピラーと2人でレーベル、アシッド・ジャズをスタート。このレーベルからは、
ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、
コーデュロイ、
ジェイムズ・テイラー・カルテット、
ジャミロクワイなどが作品を発表、コンピレーション『トータリー・ワイヤード』シリーズはアシッド・ジャズの入門篇として重宝されました。90年にはレーベル、トーキング・ラウドを旗揚げ。このトーキング・ラウドからは
インコグニート、
ガリアーノ、
オマー、
ヤング・ディサイプルズなどが作品を発表。一躍、アシッド・ジャズを担うレーベルへとなっていきました。この2つのレーベルこそがアシッド・ジャズを引率していた。つまりは、ジャイルスがアシッド・ジャズを動かしていたといっても過言ではありませんね。
アシッド・ジャズと称されたアーティストの多くはバンドの形をとっていました。グルーヴ感を大事にした生音にこだわるサウンド。そのため、多くのバンドがライヴを重要視。自らの演奏でズシンと腰にくる、踊れる音楽を奏でる。それが他のクラブ・ミュージックとは違う所以で、アシッド・ジャズの醍醐味だったのかもしれません。
アシッド・ジャズは日本でも渋谷系と呼ばれるムーブメントの中で盛り上がっていました。その代表格が
U.F.O.(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼーション)。ジャイルス・ピーターソンが「最も影響を受け、アシッド・ジャズの歴史の中でも極めて重要なグループ」と語る彼らは、踊れるジャズを体現したセンス溢れるその音で、日本はおろかイギリスでも大人気に。92年に12インチ・シングルとして発売された「LOUD MINORITY」(アルバム
『ユー・エフ・オーズ・フォー・リアル 2』収録)は英『ECHO』誌のジャズ・チャートで1位を獲得。93年にはトーキング・ラウドと契約し、アルバム『United Future Organization』を世界29ヵ国でリリース、ワールド・ワイドな活動を繰り広げていき、アメリカの名門VERVEとの契約も結ぶことになったのです。そんな彼らと双璧をなしていたのが、まだバンド形態だった
モンド・グロッソや
KYOTO JAZZ MASSIVEといったあたりでしょうか。
メジャー・シーンの中でアシッド・ジャズを体現していたのがオリジナル・ラヴ。初期のアルバム3枚はアシッド・ジャズの香りがふんだんに散りばめられた作品になっています。93年に発表された『EYES』は、特にその影響が色濃く出ているアルバムでしょう。
また、U.F.O.とオリジナル・ラヴは交流が深く、お互いがプラネット・プランの細身のスーツに身を包んでいただけではなく、
オリジナル・ラヴのリミックス・アルバム
『セッション』にU.F.O.が参加(このアルバムにはザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズも参加)。テレビ東京で放送されていた伝説の深夜番組『モグラネグラ』のパーソナリティを一緒に務めたりしていました。この番組では、
セルジオ・メンデスや
ギル・スコット・ヘロン、トーキング・ラウド・レーベルなどを深く掘り下げたりしていましたね。(田島貴男が自身のCDにサインを書いて下北沢のレコファンに売りに行くドキュメントや、DJ対抗の野球大会などの企画もありましたが)
そういえば、
コーネリアスも最初の
e.p.ではアシッド・ジャズの香りをプンプン漂わせた楽曲で固め、アルバム
『ファースト・クエスチョン・アワード』でもその路線の音を奏でていましたね。
そして、最後に挙げておきたいアーティストがひとり。それがモッドファーザーこと
ポール・ウェラー。なぜに???と思う人も多いかもしれませんが、アシッド・ジャズを紐解くと随所に現れる彼。というか、
スタイル・カウンシル。「スタイル・カウンシルこそが元祖アシッド・ジャズ」と言う人もいるくらい。そんなスタカンのメンバーたちはアシッド・ジャズと深い繋がりを持っていました。
解散後、
ミック・タルボットは
ガリアーノをはじめとしたアシッド・ジャズ方面のアーティストのプロデュースを数多く担当。また、タルボット自身もドラムを担当していたスティーヴ・ホワイトと、
タルボット&ホワイトとしてアルバムを2枚発表。国内盤はトラットリア内のMO’MUSIC(アシッド・ジャズを軸としたレーベル)から発売でした。2人は現在、元
ストーン・ローゼズのアジズ、元
オーシャン・カラー・シーンのデイモンとともに
ザ・プレイヤーズとして活動中。ポール・ウェラーは、
マザー・アースや
ヤング・ディサイプルズのアルバムに参加したり、タルボット&ホワイトのリミックスに参加(これってスタカンだ!)したり。88年にはKING TRUMAN名義でアシッド・ジャズから12インチシングルを1枚発表。自身の1stソロ・アルバム
『ポール・ウェラー』はアシッド・ジャズに呼応した1枚に。UKは苦手でもアシッド・ジャズに興味があるならば、押さえて損はない1枚ですよ。
つまりは何なの!? そういわれると非常に難しいけれど、アシッド・ジャズはただオシャレとかカッコイイとかだけではなく、若いリスナーにジャズなどを聴くきっかけを与え、ロック好きにソウルやファンクなどの面白さを伝えたものであったことに間違いはないはず。ムーブメント(シーン)はとっくに終焉を迎えていますが、これらのアーティストの多くは今でも現役選手として活躍中。今からでも遅くないのでその音に触れてみてはいかがでしょうか? 中古で買うと格安ですし。
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