ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズらを世に送り出した、英国マンチェスターのインディペンデント・レーベル、ファクトリー・レコード(Factory Records)。その設立初期の模様を関係者が語ったドキュメンタリー映像『シャドウプレイヤーズ』(写真右下)の発売にあわせ、CDJournal.com的考察でレーベルの軌跡を振り返ります。
すべての始まりは、1976年6月にマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールで行なわれた、
バズコックス主催のライヴ。登場したのは、マンチェスターでの初ライヴとなった
セックス・ピストルズで、集まった聴衆はわずか42人でしたが、グラナダ・テレビのレポーター兼司会者であった
トニー・ウィルソン、
バーナード・サムナーと
ピーター・フック(のちに
ジョイ・ディヴィジョンを結成)、ロブ・グレットン(ジョイ・ディヴィジョン/
ニュー・オーダーのマネージャー)、プロデューサーの
マーティン・ハネットなど、その後のマンチェスター・シーンを担う面々が集まっていました。
そのライヴを境に、マンチェスターにもパンク・ロックの大波が押し寄せ、トニー・ウィルソンは相棒のアラン・エラスムスとともに、
ドゥルッティ・コラム、
キャバレー・ヴォルテール、
ジョイ・ディヴィジョンのためのライヴ・イベント「ファクトリー・クラブ」を1978年に開催。翌79年1月には、ファクトリー・クラブで演奏するバンドの楽曲を集めたEP『A FACTORY SAMPLE』(写真左)を発表し、ファクトリー・レコードを始動させます。ファクトリー・レコードがユニークであった点のひとつに、リリース作品のみならず、アートワークやその他にもカタログ番号を付けていたこと。「FAC 1」は『A FACTORY SAMPLE』ではなく、「ファクトリー・クラブ」のポスターにあるのは有名は話です。なお、従来のレーベル運営からは考えられない、アーティスト側に有利(過ぎる)な版権/印税システムも型破りでしたが、それこそがのちのレーベル閉鎖に繋がる混沌とした運営の一因でもありました。
順調なスタート切ったファクトリー・レコードでしたが、1980年5月18日、ヴォーカルのイアン・カーティスが、初のアメリカ・ツアー出発2日前に自ら命を絶ち、ジョイ・ディヴィジョンはそのキャリアに幕を下ろします。しかし、残されたメンバーは、ニュー・オーダーとして復活し、同年にスティーヴン・モリスの恋人であったギリアン・ギルバートが4人目のメンバーとして加入、1983年にシングル「ブルー・マンデイ」(写真)を世界的に大ヒットさせます。彼らは、パンク、テクノ、ダンスの橋渡し役を担い、新たな音楽スタイルの原型を作っていきます。
同じころ、ファクトリー・レコードは、ベルギーにファクトリー・ベネルクスを、アメリカにファクトリーUSを設立するなど、海外にも視野を拡大。また、地元マンチェスターにてクラブ「ハシエンダ」(カタログ番号「Fac 51」)の経営にも乗り出し(82年営業開始)、世界の目を、ロンドンではなく、マンチェスターに向かせることも成功します。同クラブからは、“マッドチェスター”とも呼ばれた新たなムーヴメントを起こし、
ハッピー・マンデーズらを輩出します。(写真はハッピー・マンデーズ『Squirrel and G-Man Twenty Four Hour Party People Plastic Face Carn’t Smile (White Out)』)
そんな順調に見えたファクトリー・レコードでしたが、相次ぐレコード・リリースの延期、ずさんなレーベル運営によって膨み続ける制作費に、そして、ハシエンダの慢性的な赤字経営も手伝って、ついに1992年、最大50万ポンドの負債を抱え、倒産してしまいます。残念ながら、ビジネスとしては成功を収めることはできませんでしたが、アーティストの完全な自由を保障し、自分たちが感じるものを思う存分表現する“ファクトリー・スピリット”は、今もなお多くのインディペンデント・レーベルにも脈打っている言えるでしょう。
以上なような劇的なレーベル・ヒストリーは、映画
『24アワー・パーティ・ピープル』(写真右上)としてまとめられ、2003年に日本でも劇場公開されています。ファクトリー・ビギナーの方はまずはこちらをチェックし、さらにその次のステップとして、よりディープな話も聞ける
『シャドウプレイヤーズ』をご覧ください。
『シャドウプレイヤーズ』では、トニー・ウィルソンが“最高”と語れば“ゴミだった”と語るなど、意見の違いも注目したい当時の妻リンジー・リードのほか、イアン・カーティス自殺2日前の思い出を語るピーター・フック、ドゥルッティ・コラムの
ヴィニ・ライリー、
ア・サーティン・レイシオらがその証言によって、設立当初の内幕を明らかにしています。
また、設立当初に発表された作品のデザイン・コンセプトを、レーベルのヴィジュアル・デザインを一手に引き受けたピーター・サヴィル自身が解説しているところも見どころ。“録音は1日なのにアートワークに1年かかった”とメンバーが皮肉るセクション25の1stシングルなど、ピーター・サヴィルが手がけたデザインをアーティスト側は一体どう思っていたのか、これまでなかなか知り得なかった貴重な証言も観れます。ファクトリー・レコードはもとより、ポスト・パンクの時代を知る貴重な作品となっていますので、アナタもぜひ!
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