自由!愛!平和!笑顔満面で近づいてきた“夏”を謳歌すべく、ムクムクと行動を開始した貴方へ捧ぐ、“サマー・オブ・ラヴ”CDJournal.com的考察! 素麺をすする箸休めにいかがでしょうか。
焼け付く日差しと高まる期待、胸をワクワクさせながら合宿へと向かう大学生諸君の頭に浮かぶキーワード“サマー・オブ・ラヴ”。80's終盤スペインはイビザ島で勃発した、パーティ!そうパーティ!な高揚感とともに、シカゴ・ハウス/アシッド・ハウスがイギリスへもたらした“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”の源流である、そのムーヴメントは一体どこからやってきたのか? 素麺をゆで、スイカを割り、カルピスを飲む、夏休みムード丸出しのパーティ・ピープルならずとも知っておきたい“サマー・オブ・ラヴ”ヒストリーをご紹介致します。
……60'sも終わりに差し掛かったあの頃。社会を取り巻く陰鬱なムードをいち早く感じ取った若者を中心に、これまでの価値観に対し変革を求める動きが様々な場所から噴出。ベトナム戦争、学園闘争、人種差別……アメリカの国家体制が混沌を極めた、揺らぎの時代が確かにそこにはありました。それに呼応するかのごとく、以前よりビートニクの下地があったサンフランシスコ/ヘイト・アシュベリーをメッカに、ロックとロング・ヘアーとペイズリー、そしてドラッグに溢れた“意見ある”若者たちのカウンターカルチャー“ヒッピー・ムーヴメント/フラワー・チルドレン”がはじまったのです。より安く住まいを得るためはじまった共同生活は、やがて人種や年齢、性別を越えたコミューンをもたらし、「シェア&トゥゲザー」そして「ラヴ&ピース」なる規範を育んでいくことに。(写真は
ピカデリーサーカス『サマー オブ ラブ』)
1967年1月14日、San Francisco Oracle誌の編集者であるアラン・コーエンの呼びかけによって、ゴールデン・ゲート・パークにて“Human Be-In”なる自由集会が開催。
ティモシー・リアリー、
アレン・ギンズバーグ、
ゲイリー・スナイダー、そして
グレイトフル・デッドや
クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、
ジェファーソン・エアプレインらがステージ・アクトとして出演。このフリー・コンサートは約3万人もの聴衆を魅了し、ヒッピー・ムーヴメントから“Human Be-In”への流れは“サマー・オブ・ラヴ”なる名称にて世界の若者へと発信されることとなります。
サマー・オブ・ラヴとして、大きく広まったヒッピー・ムーヴメントとドラッグ・カルチャーはやがて“サイケデリック”となって、トリップ感を伴うアート/音楽を次々と世に披露。サンフランシスコ・モンタレーにて3日間に渡って“Monterey International Pop Music Festival”が開催されるや、
ジミ・ヘンドリックスや
ジャニス・ジョプリンの名演とともにサイケデリックは昇華。海を越えたイギリスへと渡り、時代を象徴する名盤
ザ・ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド』に結びついたのでございます……。
【ジャケット/アートワークにも注目の“サマー・オブ・ラヴ”を感じる名盤セレクション!】
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