[注目タイトル Pick Up] 無編集DSD録音を堪能できる『アコースティック・ウェザー・リポート2』 / 生誕250年の2020年に向けてベートーヴェンの作品が続々登場
掲載日:2019年12月24日
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高音質放送i-dio HQ SELECTIONのランキング紹介番組『「NOW」supported by e-onkyo music』(毎日 22:00〜23:00)にて、この連載で取り上げたアルバムから國枝さんが選んだ1曲を放送します。今月の放送は12月30日(月)の「J-POP NOW」から。

注目タイトル Pick Up
無編集DSD録音を堪能できる『アコースティック・ウェザー・リポート2』
文/國枝志郎


 5月発売の吉田次郎『RED LINE』に続くソニー・ミュージックお得意の“無編集DSD2chダイレクト・レコーディング”を堪能できるアルバム、2019年の第2弾はクリヤ・マコト(p)、納浩一(b)、則竹裕之(ds)という、ジャズ界を中心に幅広い活動を繰り広げる3人による、“アコースティック・ウェザー・リポート・プロジェクト”のセカンド・アルバムである。ジョー・ザヴィヌルという稀代の電子鍵盤楽器の使い手、ウェイン・ショーターというジャズ・メッセンジャーズ〜マイルス・デイヴィス・クインテットを渡り歩いたサクソフォーン奏者、ジャコ・パストリアスという空前絶後のフレットレス・エレクトリック・ベーシストを擁した70年代を代表するフュージョン・バンド、ウェザー・リポートの曲のエッセンスだけを抽出し、アコースティック楽器によるピアノ・トリオに新解釈してみせる(聴かせる)という、ありそうでなかったこの試みは、2016年11月に最初のアルバム『アコースティック・ウェザー・リポート』として結実。そもそも電気楽器だらけ、そしてリード楽器としてサクソフォーンが入っているオリジナルを、ピアノ、ウッドベース、ドラムスだけでアレンジ/演奏するということがまずとんでもないのに、いっさい修正・編集なし、しかしそのぶん楽器から放出されたピュアな音の粒ひとつひとつまで漏らさず時間軸を含めて高い純度で収録できるDSDというフォーマットでレコーディングした結果、その音楽は多くの人に驚きを持って迎えられ、その後3年間で100回以上のライヴを敢行し、日本各地でその音楽を披歴してきたのである。そして2019年末。彼らはさらに音楽性に磨きをかけ、このプロジェクトの続編を、前作以上のすごいスペックを持った音源として届けてくれたのだ。フィジカルディスクに関して言うと前作と同じくCD+SACDのハイブリッド・ディスク仕様だが、ハイレゾに関しては前作がPCM96kHz/24bitとDSD2.8(レコーディングはSONOMAシステム)だったのに対し、今回は(吉田次郎の『RED LINE』同様)、SONOMAシステム(DSD2.8)とMerging Technologies Pyramixシステム(DSD11.2)を併用し、ふたつのシステムでDSDのサウンドを楽しめる仕様になった。すべての音が眼前に展開するDSD11.2はちょっと異次元の響きがしているし、DSD2.8はより調和した音楽的な豊かさを表出して聴き手をうっとりさせる。どちらもそれぞれのよさがあり、余裕があればぜひ両者を聴いていただきたいと言いきりたい。この録音のために用意されたというアベンドート社のハイエンド・クロックジェネレーターも、この素晴らしい録音に一役買っているのは間違いない。聴き手はもちろん、プレイヤー本人も大いに満足できる音質の作品として末永く聞かれてほしい一枚。

[.que]
『Any』


(2019年)

 小瀬村晶というアーティストがいる。ポスト・クラシカル、エレクトロニカ、アンビエント、劇伴音楽といったところが小瀬村晶の音楽をあらわすキーワード。そんな彼は自身のレーベルSCHOLE(古代ギリシャ語で余暇の意)から10枚を超える数のアルバムをハイレゾで配信している。2019年の10月には膨大な楽曲群から本人のセレクトによるアーカイヴ的な作品集『Diary 2016-2019』がハイレゾ(48kHz/24bit)でリリースされたばかりだ。そんな彼のレーベル、SCHOLEから2013年にリリースされた[.que](キュー)というアーティストのアルバム『drama』は、僕が初めて耳にした[.que]の作品だった。小瀬村の作品に惹かれてレーベル買いをしていたことで知った新しくも不思議な名前のこのユニットは、1987年に徳島県で生まれた音楽家・柿本直によるソロプロジェクト。小学生の時にきいた“ゆず”の音楽に触発され、父親のギターを弾き始めたという柿本は、やはり父親のレコード・コレクション(吉田拓郎、小田和正、松山千春、松任谷由実など)から影響を受けたというから、もともとはフォーキーな志向を持っていたのだろう。大学ではバンドを組むも、就職を機にバンドができなくなり、ひとりでソロ・プロジェクトを始めたのが[.que]のスタートだという。MTRで曲を作り、それが高橋幸宏が審査員を務めるmyspace主催のコンテストで賞を射止めて作家生活に。2012年に自身のレーベルEMBRACEを作ってそこから2枚のアルバムを出したあと、小瀬村晶との縁ができてSCHOLEから2013年から2015年にかけて3枚のアルバムをリリース。それらは今のところハイレゾリリースはされていないのが残念なほどの佳作ではあった。その後またEMBRACEからアルバムをリリース、そして今回の10作目となるアルバム『Any』は、時代の流れも手伝ってついにハイレゾ(96kHz/24bit)でもリリースとなったが、この信じがたいほど美しい作品集にふさわしい音質で楽しめるのは僥倖だ。冒頭から美しいピアノのアルペジオで構成された短いナンバーからスタート。実はこのピアノの音はハイレゾ的に見ればローもハイも削られている。続く2曲目の冒頭のピアノのコード弾きも同様だ。だが、すぐにキックとハイハットが入ってくると眼前に広大な音風景が広がり始め、エレクトロニクスも加わって広帯域にわたって音楽が饒舌(だが、あくまでも上品に)に語り始めるさまは感動的とすら表現できるのだ。シンガーソングライター別野加奈のヴォーカルを加えたナンバー「anymore」は、アルバムタイトルとの関連性も感じられるキートラックで、聴き手の心を揺さぶらずにはおかないだろう。


 ピンク・レディーのハイレゾ!!!!!!!!!!!!!!! うわっ、ちょっとビックリマーク付けすぎちゃった!!!!!!!(笑) いや、これは70年代から80年代にかけてティーンエイジャーだった僕のような世代の人間にとっては事件ですよそこの人! 実はピンク・レディーのハイレゾはこれが初めてではなく、『ピンク・レディー 「阿久 悠 作品集」』というタイトルで、44.1kHz/16bitのマスター音源をビクタースタジオFLAIRが有するオリジナル技術“K2HDプロセッシング”にてハイレゾ(96kHz/24bit)化したものが2013年10月に配信されているんだけど、今回はすべてオリジナル・アナログ・テープからのリマスターによるハイレゾ(96kHz/24bit)で、マニアも納得のスペックに!!!!!!!!! K2HD版も決して悪くはなかったんですけど、やはり今回のアナログからのリマスターを聴いてしまうと、圧倒的にいいですね!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっ、また付けすぎちゃいました(笑)。それにしてもデビュー・シングル「ペッパー警部」(1976年8月)こそオリコンチャートは4位にとどまったものの、2枚目のシングル「S・O・S」(1976年11月)から10枚目のシングル「カメレオン・アーミー」(1978年12月)まで9枚連続オリコン1位という偉業は、当時の彼女たちの勢いを物語るものだであることは間違いないわけだけど、ここで彼女たちがすごかったのは、『NHK紅白歌合戦』を辞退、からのアメリカ進出をやり遂げたことだろう。1979年5月にワーナー・ブラザーズから「Kiss In The Dark」でアメリカデビューを果たし、全米ビルボード ホット100で最高位37位まで上昇。これは日本人の曲としては1963年の坂本九の「Sukiyaki」(「上を向いて歩こう」)以来のトップ40内に入る曲となったし、現時点ではまだこの記録を打ち立てたのはピンク・レディーと坂本九だけというのだからいかにすごいことかわかる。今回のハイレゾ配信はオリジナル・アルバム5枚、サウンドトラック1枚、ライヴ・アルバム6枚の計12枚で、さてこの中でどれを選べばいいのかなと考えたが、せっかく海外進出を成功させた稀有なグループなので、マイケル・ロイドがプロデュースした全編英語歌詞による世界デビュー・アルバム『ピンク・レディー・インUSA』を推しておこう。アメリカでは1979年6月、日本では3ヵ月遅れた同年9月にリリースされたアルバムで、アレッシーやレフト・バンク、トム・ジョーンズのカヴァーが収録されており、それまでの阿久悠/都倉俊一作品を歌う時とは違ったふたりの意気込みが伝わってくる。このアルバムと、その前年の1978年4月にラスヴェガスで行われた公演の模様を収録したライヴ・アルバム『アメリカ!アメリカ!アメリカ!』(1978年6月)を聴いて、はるか海の向こうでの日本のアイドルがいかに受容されたかに思いをはせるのもいいだろう。


 これは本来、お披露目ライヴ(2019年9月)にあわせて紹介すべきタイトルだったんだけどうっかり忘れてしまっていたもの。しかし紹介しないで放置しておくのはあまりにももったいないクオリティなのと、ハイレゾ的にも絶対押さえておきたいタイトルなので、時期は外してはしまったものの、ここに紹介したいと思います。Exit Northは元JAPANのドラマー、スティーヴ・ジャンセンの新ユニットで、メンバーはウルフ・ヤンソン(p,key)、チャールズ・ストーム(Syn,Treatment,g,b vo)、スティーヴ・ジャンセン(key,ds,perc,vo)、トーマス・ファイナー(vo,tp,p,g,harmonium)の4人で、スティーヴとトーマスは、2007年のスティーヴのソロ・アルバム『Slope』で出会い、2014年にウルフとチャールズが参加してExit Northが始動。兄であるデヴィッド・シルヴィアンにも通じる、フィールド・レコーディング・サウンドなどを織り交ぜた音響彫刻的なサウンドメイク、トランペット、ハーモニウム、弦楽合奏やヴォーカルをフィーチャーした室内楽など、神秘的でいながら開かれた音楽性を持った普遍的な音楽、それがExit Northのサウンドの特徴と言えよう。フィジカルのアルバムは2018年10月にリリースされていたんだけれど、このアルバム、そもそも原盤(Exit North名義……というかジャンセン?)からしてマスタリングはSaidera Masteringでオノ セイゲンが手掛けていたのだ。そう、世界に誇る日本のハイレゾ・マスターの仕事なのである。だから、フィジカルCDが出た時、すぐにでもハイレゾ配信がスタートするだろうと期待していたのだったが、なぜか待てど暮らせどそれがスタートせず……もはや忘れかけていた2019年6月にこのユニットの来日(2019年9月)が発表され、それに合わせて8月にハイレゾ配信がスタートしたのだった。配信はスタンダード・フォーマットとも言えるPCM96kHz/24bitでも行われているが、なんといっても注目は最近オノが頻繁に言及し、使用頻度も高いKORGのUSB-DAC、Nu-1を駆使して作成されたDSD11.2データ配信に尽きるだろう。世界でもっともこの機材のことを知りつくしたオノによるマスタリングによって、未来的でありながらどこか郷愁を感じさせる音楽の深みが100段階くらい増した印象がある。これは2019年に配信された作品の中でもダントツに素晴らしいものと言っても過言ではない。


 いや〜〜〜〜〜これは事件でしょ。っていうか、たぶんムーンライダーズファンでもこれに気が付かない人多いんじゃないかなあ、それはもったないよなあって思うので、ミニ・アルバムだけど紹介したいと思います。カイ。そうです。アーティスト名が“カイ”。カイちゃんです。アイドルです。元Bellring少女ハート(2013年〜2016年)/THERE THERE THERES(2017年〜2019年)を経て2019年春からソロ活動を繰り広げるアイドルです。実はこのふたつのユニット以外にも、宇佐蔵べに(あヴぁんだんど)、石川浩司(ex-たま)とともに“えんがわ”を結成、2016年4月に「おばんざいTOKYO / オー・シャンゼリゼ」をTRASH-UP!! RECORDSからリリースするなど、従来のアイドルの枠組みにとらわれない柔軟な活動を行なってきたアイドルを超えたアイドルであり、なおかつその歌のうまさというか味わいはほかに並ぶもののないくらいの存在だったのです。そんなカイちゃんが2019年2月末のTHERE THERE THERESの突然の解散劇を経て、“えんがわ”と同じTRASH-UP!! RECORDSに移籍して6月に発表したマキシ・シングル「ムーンライト・東京」は、佐藤優介(カメラ=万年筆)が書き下ろした「遊星よりアイをこめて」、吉田哲人による「ムーンライト・Tokyo」、カイちゃんも大好き80'sテクノポップ・アイドル真鍋ちえみの名曲「不思議・少女」(作曲/細野晴臣)、三田寛子(オリジナルはブレッド&バター)の「ピンク・シャドウ」、京都のバンド本日休演の「秘密の扉」のカヴァーを含む計5曲、テクノポップやニューウェイヴな感覚を持った強烈な一枚だったのですが、それに続くこのミニ・アルバム『ペーパー・ダイヤモンド』は、なんとムーンライダーズの鈴木慶一の全面プロデュース! カイちゃんはムーンライダーズの大ファンという情報もあり、事実ベルハー時代に鈴木慶一、白井良明、鈴木博文らと一緒に満面の笑みを浮かべるカイちゃんの写真がTwitterにアップされてたりしていたのですが、ここに来てついに全面的に共演! 鈴木慶一といえばかつてアイドルの渡辺美奈代のシングル「ちょっとFallin'Love」などを手掛けていたりして、これはむしろ一般的にはムーンライダーズの曲より知られているかもしれません(涙)。しかも最近では鈴木のユニットControversial Sparkが毎年正月に新代田のFeverというハコでやっているライヴにアイドル枠を作ったりしてけっこうな人気を博しているわけです。2020年1月13日に行われる同ライヴにはカイちゃんが出演するとのこと。従来のアイドルとは一線を画すカイちゃんと鈴木慶一の共演をハイレゾ(48kHz/24bit)で予習して公演に臨みましょう。そのヴォーカルの艶っぽさに驚くこと必至ですよ。

生誕250年の2020年に向けてベートーヴェンの作品が続々登場
文/長谷川教通


 名手アンナー・ビルスマが録音した2種類の全曲演奏がいっきにハイレゾ配信された。第1回目の録音は1979年。当時は「無伴奏チェロ」といえば、神のごときパブロ・カザルス盤は別格として、圧倒的なテクニックを誇ったヤーノシュ・シュタルケルや気品のある優雅なピエール・フルニエなどが名演とされていたが、そこへ登場したのがアンナー・ビルスマの演奏。まだピリオド楽器がそれほど一般的とは言えなかったところへロマン的な表現とはまったく異なる軽快で舞曲の要素を意識したチェロは斬新で、その後のチェロの表現にも多大な影響を与えた名演だった。ジャケット写真でもわかるように、チェロ本体はエンドピンを使わずに両足で抱え込むようにして支え、ガット弦にバロックタイプの弓を使用していた。
 ビルスマは1962年から名門アムステルダム・コンセルトヘボウ管の首席チェロ奏者を務めると同時に、フランス・ブリュッヘンやグスタフ・レオンハルトらとともにオランダ発の古楽運動を牽引してきた功労者。リズミカルで多様なニュアンスを含んだ演奏は、聴き手に語りかけるようなチェロ。第6番だけは5弦のチェロ・ピッコロを弾いている。
 第2回目は1992年の録音で、こちらの楽器はモダン仕様。といってもストラディヴァリウスだ。A線は生ガットで、あとの3本はガットをコアに金属線を巻いた弦。もちろんピッチも違う。第6番だけはチェロ・ピッコロだ。
 前作がややドライな音色で、左右スピーカーのセンターに音像がクッキリ描き出され、いかにもアナログ時代の録音だなと感じさせられるのに対し、こちらは音色がグッと艶やかになり、音像は明瞭ながら空間性を意識した録音で、とても豊かな響きをともなっている。しかもテンポの伸縮が大きく、音楽の勢いとともに旋律をゆったりと歌い上げるようなロマンティックな演奏が印象的で、その味わい深さに惹かれてしまう。


 エマニュエル・パユの最新録音。彼のプログラミングはとてもユニークだ。ときにはプロイセンのフリードリヒ2世の宮廷で活躍した知られざる作曲家にスポットを当てたり、ギタリストと組んで世界中を旅するような気分で多彩な曲を弾いてみたり、フランス革命の時代に作曲された作品を選んでみたり。いわゆる有名作曲家の作品をまとめたり、あるいは音楽史に沿って選曲したりというより、フルート1本で世界を股にかける音楽家らしく、自分で発掘し、選んで、古典も現代曲も関係なく“これは革新的だよ”と共鳴した作品でアルバムを構成する。
 1970年、ジュネーヴ生まれ。1992年のジュネーブ国際国際音楽コンクールで優勝したときはすでバーゼル放送響の首席奏者。1992年末からはミュンヘン・フィルの首席奏者になるはずだったのに、ベルリン・フィルの入団試験にも受かってしまって結局はベルリンへ……。2000年には忙しすぎるからと一度退団するも、どうしてもパユの音色が欠かせないんだと請われ、ベルリン・フィルに復帰する。とにかく彼の天才ぶりは規格外。
 今回のアルバムのひと癖あるプログラム。前衛の旗手と言われたペンデレツキがメロディアスな作風へと変化していく時期に書かれたコンチェルト。ロマン派ドップリだったライネッケが最晩年の1908年に書いたコンチェルトに、その後に起こる表現主義への匂いを、パユは感じとっているのかもしれない。そういえば、ライネッケやブゾーニの作品は、パユの師でもあったオーレル・ニコレもすばらしい録音を残していたっけ。プログラムの最後に置かれた武満徹の「ウォーター・ドリーミング」を聴きながら、川や森などの自然へ溶け込むような空気感、ライネッケが描く夢見るような時間……そうだ、こういう意識の流れを表現することがアルバムのコンセプトなのだと気がつく。




 2020年はベートーヴェンの生誕250年。ドイツグラモフォン(DG)からは、記念の年に向けたアルバムが準備されている。じつは1970年の生誕200年でもビッグなアルバムが発売され、大きな話題を呼んだことはオールドファンなら記憶しているだろう。ここではケンプを中心にして、最近ハイレゾ音源がリリースされたアルバムを見ていこう。まずはピアノ三重奏全集。1969、1970年にスイスのヴヴェイ、テアトル・ムニシパルで録音されたものだが、ピアノがウィルヘルム・ケンプ、ヴァイオリンがヘンリク・シェリング、チェロがピエール・フルニエという超豪華なメンバーで、音楽ファンの期待はいっきに高まった。もちろん誰もこの3人の演奏に個性のぶつかり合いだとか、豪快なパフォーマンスなどを求めない。人生の長い道を歩んできた演奏家たちが互いをリスペクトしながら音楽を紡ぎ出す、その心を通わせながら奏でる温かく滋味豊かな音楽が、聴き手の心を優しく包み込んでくれる。音楽の本質を示してくれているような気がする。第4番「街の歌」ではベルリン・フィルの首席を長く務めたカール・ライスターがクラリネットを吹いている。
 ユーディ・メニューインがケンプとともに演奏したヴァイオリン・ソナタ全集もすばらしい。1970年6月、ロンドンのコンウェイホールでの録音だ。神童と謳われたメニューインが、戦後思索する音楽家へと変貌していく過程で、2つの要素が融合してピークを迎えていた頃の名演と言える。現代の奏者のような鋭角的なボウイングとは違い、あくまで柔和な表情をたたえたヴァイオリンに、ケンプのピアノが語りかける、そんな演奏だ。録音はアナログ時代の技術が成熟した時期でもあり、音質は良好。デジタルリマスターでヴァイオリンの音色はより艶やかさを増し、ピアノの高音域がクリアに伸びている。
 もう一つ追加しよう。1965年2月パリのサル・プレイエルでライヴ録音されたチェロ作品全集だ。フルニエのチェロとケンプのピアノ。これも超級名演。フルニエのチェロは前期の作品ではみずみずしい音色で溌剌とした歌心を聴かせ、後期では気品があって、しかも深々とした音楽を奏でる。ケンプのピアノもチェロの引き立たせたり、前面に出たり、まさにデュオの醍醐味が味わえる。


 ピアノ・ファンなら必聴&必携のアルバム。CDの評価も最上級だが、一度384kHz/24bitのハイレゾ音源を聴いてしまうと、もう元には戻れない。レーベルがマイスター・ミュージックならデットリック・デ・ゲアール製作の真空管マイクロフォンによるワンポイント録音に違いない。このマイクロフォンは一台のピアノ、ソロ・ヴァイオリンといったシンプルな音楽を録らせると抜群のパフォーマンスを聴かせる。パスカル・ドゥヴァイヨンの絶妙な和音のコントロールで描き出す色彩感、シャープなタッチでクリアな旋律を奏でたと思うとフッと優しいタッチで響きを抑える。色合いの異なる響きを積み上げていくドゥヴァイヨンの感性。周到に考え抜かれたはずなのに、それをまったく感じさせず、音楽が生まれたばかりの新鮮さで刻々と連なっていく。「沈める寺」のバーンと鳴る低音域と輝かしい高音域のコントラスト、ピアニシモからフォルテシモまでの伸びやかなうねり。そうしたピアノの性能を極限まで駆使する演奏のすごさが克明にとらえられている。
 この音を再生するスピーカーには、ぜひともデリケートな反応に応える性能を備えてほしい。オールドスピーカーの中には有名なモデルであっても中高域が暴れていたり、重たい振動系ゆえに鈍い低音を売りにしていたり……個性的であっても、384kHz/24bitによるデリケートな和音の彩りや、高音域のカーンと空気を突き抜けていくようなリアリティへの追従ができないと、ドゥヴァイヨンのピアノを100%再現するのは難しいかもしれない。
 ドビュッシーには多彩な表現が可能だし、多くのピアニストが個性的であろうとするのは理解できる。ただ楽譜を精緻に読み解くと“ピアノはこう鳴るんだ”という基本があるはず。音楽ファンやオーディオファンにも同じことが言えて、演奏など自分の好みで選べばいいけれど、でも“ああ、こういう響きなんだ”という演奏を聴けるのは幸せなことだと思う。ドゥヴァイヨンのドビュッシーはそういう存在なのではないだろうか。


 最近のBISレーベルのハイレゾ音源では、2chと同時に5.1chのサラウンド音源がリリースされることが多く、サラウンドならではのリアリティを求めるファンにはたまらなく嬉しい。しかもムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」となれば……えっ、BISのオペラ録音? これはめずらしい。どんな音に仕上がっているのだろうか。2017年3月、エーテボリで行なわれた演奏会形式の上演をライヴ録音したものだ。ケント・ナガノ指揮するエーテボリ響&合唱団の演奏。主役のボリス・ゴドゥノフはアレクサンドル・ツィムバリュクが歌う。ケント・ナガノは2013年にバイエルン国立歌劇場を振った公演が映像ソフト化されているが、このときも主役はツィムバリュクだった。注目すべきはどちらも1869年原典版を採用していることだ。
 「ボリス・ゴドゥノフ」の版については紆余曲折があり、彼自身が最初に書き上げたのは1869年のことで、これが1869年原典版。ところが、この原典版は劇場側から上演拒否を食らってしまう。物語が暗いうえに、男声ばかりがメインでオペラの華ともいうべき女声の登場が少ない……ウーン、そんな理由なのか。やむなくムソルグスキーは規模の拡大やオケにも手を入れるなどの改訂(現在原典版といえばこの版を指す)を行なって初演にこぎつけるものの、その後はすっかり忘れ去られていた。ところが30数年後「ボリス・ゴドゥノフ」は不死鳥のように甦る。リムスキー=コルサコフによる改訂版が上演されると、その豊麗な管弦楽の効果もあってロシア・オペラの最高傑作と評価されるようになる。ただ、あまりに絢爛豪華で歴史絵巻のようになった作品は、ムソルグスキーの意図から離れすぎているのではないかという声もあって、ショスタコーヴィチやイッポリト=イワーノフによる管弦楽改訂版などが登場したり、ムソルグスキー自身が改訂した原典版が上演されたり、さらに最近では改訂前の1869年原典版こそ作曲の意図を反映していると評価されている。どんどん原点回帰する……時代によって音楽の評価ってずいぶん変化するものだと、あらためて感じさせられる。
 1869年原典版は演奏時間が2時間ほど。改訂版が3時間を超えるのに比べれば、ずいぶんとスリム。オペラとしての華やかさや舞台映えする要素は少ないかもしれないが、その一方でボリスという人間の苦悩と死に焦点を当てた凄絶なドラマになっている。誤解を恐れずに言うなら、舞台を抜きにした音楽ドラマとしても成立するのではないか。そこにケント・ナガノが演奏会形式をとり、それをBISレーベルが録音した意図があるような気がする。音質はすばらしい。ぜひサラウンドで聴いてほしい。前方の音場は広大でフロントL/Rのスピーカーを超えて響きがつながる。オーケストラはきわめてクリーンでダイナミック。そこに浮き立つようなソリストたちの音像が明瞭で、やや後方から歌われる合唱との対比で描かれる立体的な音場がみごと。まるで演奏会場の10〜20列目ぐらいの席で聴いているような臨場感。いわゆるロシア的重戦車級のサウンドとは違い、細部までコントロールされた演奏が展開される。ケント・ナガノの指揮は冴えわたり、ドラマティックに物語を牽引していく。ボリスの死に至る約2時間、いっきに聴き通せてしまう。

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