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広い部屋に引っ越したように鳴るH ZETTRIOのベスト・アルバム文/國枝志郎
H ZETTRIO(エイチ・ゼットリオ)。ピアノのH ZETT M、ベースのH ZETT NIRE、ドラムスのH ZETT KOUによるトリオ。見た目がなかなかユニーク(赤、青、銀のつけ鼻スタイル)なので一見冗談ユニット? とも思ってしまうが、じつはめちゃくちゃキレのあるグルーヴで聴き手をぐいぐい引き込んでしまうピアノ・トリオである。2014年には、ジャズ・フェスティヴァルの中でも有名な“モントルー・ジャズ・フェスティヴァル”に出演しているという実力派。僕は残念ながらライヴは未見なんだけど、この演奏なら広い野外で聴いても楽しいだろうなあと夢想しながら彼らのハイレゾ・リリースをずっと追いかけている。H ZETTRIOのハイレゾ配信はすでに2015年、グループとしてのごく初期から始まっており、最初は配信サイトも限定されていたものの、その人気の高まりとともに今では複数の配信サイトで彼らのご機嫌なナンバーが扱われるようになってきた。僕が彼らのハイレゾを聴き始めたのは2017年4月の「NEWS」から同年9月の「DERBY〜栄光の道しるべ〜」まで、シングルを6枚連続ハイレゾ(96kHz/24bit)で発表した配信限定リリースからだった。2019年1月からはなんと12ヵ月(!)連続シングルリリース。それらをまとめた5作目のアルバム『RE-SO-LA』を2020年の元日にリリースしたが、同時に2020年も元日からスタートした毎月配信シングル・リリースが現在も進行中というのに、この3月には日本の名曲10曲を収録するカヴァー・アルバム『SPEED MUSIC ソクドノオンガク vol. 1』をリリースしてしまうという、なんともすさまじい活動量となっているわけなのだが、じつはこれだけでは終わらないH ZETTRIOの春なのだ。これまでの彼らの作品から“情熱的なナンバー”を10曲セレクトしたベスト・アルバム『PASSIONATE SONGS』が登場したのだが、このアルバムはただのハイレゾ・ベストではない。副題に「Super High-Resolution Audio[Selected by MIXER'S LAB]」とある。彼らの作品をずっと手がけてきたエンジニア、三浦瑞生(MIXER'S LAB)が選曲とリミックスしているのだが、スペックが尋常じゃない。なんとPCM384kHz/24bitとDSD11.2MHzの2フォーマットでの配信となるのだ。同じ曲を旧スペック(それでも96kHzとかですが)とハイスペックで聴き比べると、とにかくすべてにおいて音の余裕が違う。狭い部屋から広い部屋に引っ越したような鳴り方をしている。どちらも存在意義はあると思うけど、今回のリミックスはとにかく圧巻で衝撃的。ちなみにこれまでまだハイレゾ配信されていなかったファースト・アルバム『★★★(三ツ星)』も同スペックで配信開始。これは聴き手の耳も機材も試されるなあ(笑)。
ミュージカル・シンガーとして、また俳優として、テレビの司会者として八面六臂の活躍を見せる石丸幹二と、石丸とは2003年の石丸のアルバム『Love Songs』 に参加したことで交流が始まったマルチジャンルなギタリスト / コンポーザー吉田次郎によるデュオ・アルバムがハイレゾ(96kHz/24bit)で登場。石丸のアルバムといえばゴージャスなオーケストラを従えてミュージカル・ナンバーを歌い上げるイメージが強いが、このアルバムで聴けるのは吉田のギターと石丸のヴォーカル(一部に石丸のサックスも)のみというシンプルなもの。取り上げてられているのはフレンチ・ポップス「オー・シャンゼリゼ」から始まり、「カーニバルの朝」「アンダー・ザ・シー」といった映画音楽から「サムシングズ・カミング(何か起こりそう)」といったミュージカル・ナンバー、西條八十作詞、服部良一作曲によるしっとりとした「蘇州夜曲」まで、幅広いジャンルの14曲。今年デビュー30周年を迎える石丸のヴォーカルも変幻自在で素晴らしいが、注目したいのは吉田のギターワークである。膨大なギター・コレクションを持つ吉田はなんと14曲、すべて異なるギターを使用しているというのだから恐れ入る。ギターマニアの方向けに曲順に使用楽器を列挙してみよう……Gibson Super400、Fields OO−SC、Gibson Birdland、Fields OM-SC、Takamine Kanji Ishimaru model、Ohya Akira Stratocaster、Herman Hauser II、Gibson LesPaul、Robert Bouchet、Gibson L-5、KISO ATK-1、Martin D-45、Carlo Greco、Irvin SOMOGI OOO-C。この14本である。最新のモデルから、マニア垂涎のヴィンテージまで。これらの超ド級のギターのサウンドを聴き分けるのならやはりハイレゾでないとね。吉田次郎は自身のソロやマリーン(vo)、クリヤ・マコト(p)とのトリオ、THREESOMEでDSDダイレクトレコーディングを敢行し、ハイレゾにきわめて意識的な音楽家。今回は残念ながらDSD録音ではなかったけど、PCMでも圧巻の高音質を楽しめる。
2018年にアルバム・デビュー40周年を迎えたアメリカのバンド、TOTO。それを記念して2018年末に『ALL IN』というボックス・セットがリリースされた。内容はCD13枚、アナログLP13タイトル(全17枚)、Blu-ray1枚というもので、1978年のデビュー・アルバム『宇宙の騎士』から1998年の『TOTO XX』(未発表音源集)までのスタジオ・アルバム11作と、このボックスで初お目見えとなった『The Old Is New』(新曲7曲を含む全10曲)と『Live In Tokyo EP』(1980年の「ハイドラ・ツアー」での初来日公演音源のお蔵出し!)の2作、そしてBlu-rayには初Blu-ray化となる映像作品『Live In Paris 1990 Concert』に、大ヒット・アルバム『TOTO IV 〜聖なる剣〜』の5.1ch サラウンドを収録していた。このボックス化にあたっては、メンバー(デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ルカサー、スティーヴ・ポーカロ、ジョセフ・ウィリアムズ)がエンジニア / プロデューサーのエリオット・シャイナーらとともにリマスター作業を行なっているのだが、その時に聴いたサウンドの素晴らしさが今回のハイレゾ配信につながっているという。とくに、これまで数回リマスタリングが行なわれてきたという初期4タイトルについては、メンバーも興奮を隠しきれないくらいに音質が改善されていたとスティーヴ・ルカサーも述懐しているほど。それならばその時すぐに配信してくれよと思ったりはするのだが(苦笑)、日本では初来日公演から40年という節目の年に全13作が一気にハイレゾで配信スタートしたのだから文句は言うまい。配信スペックはなぜか統一されておらず、ほとんどの作品は192kHz/24bitという高スペックだが、『Kingdom of Desire 〜欲望の王国〜』と『Live In Tokyo』は44.1kHz/24bit 、『The Old Is New』は96kHz/24bit。マスターの状態によるのかもしれないが、でも全般的にはどれも素晴らしい音質で楽しめる。全13枚は難しいにしても、まずは初期4枚はぜひ押させていただきたいが、どれか1枚というのであれば、やはりもっともヒットした『TOTO IV』をオススメしておこう。冒頭の「ロザーナ」のリズムから興奮させられること間違いなし。
アメリカ出身で現在はイタリアを拠点として活動するショーン・ボウイakaイヴ・トゥモア。耳ざとい音楽ファンなら自主制作のファースト・アルバム『When Man Fails You』(2015年 / カセットおよびダウンロードでのリリース)に続いてベルリンの実験的な電子音楽レーベルPANから2016年に出したセカンド・アルバム『Serpent Music』の頃から彼のいわゆる“エクスペリメンタルなローファイR&B”ともいうべき特異なサウンドに注目していたと思うが、2017年末に坂本龍一のリミックス・アルバム『ASYNC - REMODELS』に参加した後、2018年にテクノ / エレクトロニック・ミュージックのパイオニア的レーベルWARPから出したアルバム『Safe In The Hands Of Love』の頃からはその知名度は格段にアップした。ただしかつてのエイフェックス・ツインを思い起こさせたりするややショッキングなアーティスト写真を見て引いてしまった人も少なからずいたかもしれない(涙)。しかしそんな人もぜひWARPからの2作目となるアルバム『Heaven To A Tortured Mind』は、どうか喰わず嫌いを決め込まず、一度耳にしていただきたい。これまでの実験性はもちろん残しつつではあるけれど、より広範囲な音楽好きをも虜にする可能性がある作品なんですよ、そこの人! 前作と比べてもまず曲が短くなっているのが目を引く。2分とか3分の曲が多いのだ。このアルバムはIDMとかエレクトロニカの音響的装いは残しつつも(とくにすさまじい低音は相変わらずである)、ポップスやロックに接近したアルバムということができるだろう。4曲目の「Kerosene!」は甘ったるいソウル・ナンバーだし(これは5分以上あるんだけど)、8曲目「Super Stars」や、短いトラックが連続していく6曲目「Romanticist」から7曲目「Dream Palette」は胸をかきむしられるようなまばゆいポップ・ナンバーだ。WARPは電子音楽レーベルとしては異例にハイレゾ・フレンドリーなレーベルだが、前作に続いて本作もハイレゾ(44.1kHz/24bit、ただし前作は48kHzだった)で配信されている。ジャケットも前作より怖くないのでぜひご一聴を(笑)。
アンビエント・ミュージックの世界では知らぬ者なきイーノ兄弟がクラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンから! ヨハン・ヨハンソンやマックス・リヒターなどのポスト・クラシカル路線を推進する昨今の同レーベルのカラーを考えると、まあそれほど違和感のある組み合わせではないんだけど、それにしてもね。ブライアン・イーノが90年代テクノ以降の電子音楽総本山的レーベル、WARPと契約した時は、ベテラン・アーティストとWARPが組むのかぁ……と良くも悪くも思ったんだけど、今回は逆パターンですね。ドイツ・グラモフォンという、ヨーロッパのクラシック音楽録音の総本山、巨大な要塞のようなレーベルにロック畑出身のアーティストが参入するだけでも感慨深いのに、さらにブライアンだけではなく、弟のロジャーまで一緒かよ! とつい立ち上がりそうになってしまうわけですよ。じつはこのアンビエント兄弟、これまで兄ブライアンの名義によるサウンドトラック的なアルバム『Apollo』(1983年 / ちなみに2019年にはアポロ11号の月面着陸50周年を記念して、新曲を追加したリマスター・ヴァージョンがリリースされている)で共演したり、デヴィッド・リンチの映画『デューン / 猿の惑星』のテーマ音楽を共作したりしていたりと、映画や映像音楽の世界では何度か共演を果たしていたが、純粋な共作はこれが初だというのは驚きではある。基本的にはロジャーがおもに作曲し、キーボードで演奏したデータをブライアンに送って、ブライアンがトリートメントを施すというやり方で作られたそうだが、これはブライアンの初期のアンビエントの名作、『Ambient 2: The Plateaux of Mirror』(当時の邦題は『鏡面界』 / ハロルド・バッドとの共作)を想起させる。しかし、この兄弟による新作は、いわゆる“アンビエント”していたバッドとの共作に比べると、リヴァーブやエコーのようなエフェクトは控えめで、ロジャーならではの美しいメロディを生かすような音創りがなされている。そこにはやはり“ドイツ・グラモフォン”というレーベルからのリリースということも考慮されているのかもしれない。それゆえ、このアルバムはアンビエント・ミュージックになじみのないリスナーであっても、とっつきにくさを感じることなくその世界に浸れるのではないかと思う。弟の紡ぐ美しいメロディに、兄がさまざまな“色(カラーズ)”を加えていく。この微妙なテクスチャーの変化をハイレゾ(44.1kHz/24bit)で楽しむ贅沢よ。
ベートーヴェン生誕250年、クルレンツィスのたたみ掛ける“ダダダダーン”文/長谷川教通
ストラヴィンスキーの「春の祭典」で音楽ファンの度肝を抜き、マーラーの交響曲第6番でも想像を超える斬新さ……とにかく新録音がリリースされるたびに大注目を浴びるテオドール・クルレンツィスが、いよいよベートーヴェンだ。2020年はベートーヴェン生誕250年のメモリアル・イヤーともなれば、往年の名録音から最新の演奏まで、交響曲からピアノ曲、室内楽まで次々と音源が登場してくるが当然だが、それらの中でも期待値ナンバー・ワン、どうしても聴いてみたい音源としてクルレンツィスの交響曲第5番をあげないわけにいかない。手兵のムジカエテルナを振った2018年、ウィーンのコンツェルトハウスでのセッション録音だ。
最近ではベートーヴェンの指定した速度で演奏する例は少なくないが、それだけではどうしようもない。問題は、速い速度の中でどう音楽を作るか。クルレンツィスはそこがすごい。あまりに有名な“ダダダダーン”という音型が、さまざまな手法を駆使して繰り返し繰り返したたみ掛けてくる。これこそベートーヴェンの真骨頂! 第1楽章の冒頭では“ダダダダーン”が2度繰り返される……と見るのではなく、速いテンポで“ダダダダーンダダダダーン”までをひと続きのフレーズととらえると、音楽は突然に弧を描くように流れ出す。鋭いアタック、スタッカートとマルカート、さらにはテヌートをも駆使し、強弱を多彩に変化させ、それにクレシェンドを加え、指揮者とオケが一体となって音楽を躍動させる。彼らは勢いに乗って演奏しているように見せながら、じつは細部に至るまで徹底的に作り込んでいる。おそらく仕上げるのにかなりの時間を要しているだろう。何度もコンサートで演奏した後のセッションだと思う。第3楽章も猛烈な勢いで突き進むが、聴き手を威圧するのではなく、グイグイと音楽へ引き込むような吸引力がある。そしてすばらしいクライマックスへとなだれ込む。秋には第7番のリリースも予定されている。期待しよう!
最近話題の指揮者によるベートーヴェン演奏は新鮮&斬新さが聴き手を惹きつける。では、往年の演奏はもう過去のもの? いや、そんなことはない。そこで注目したい全集がある。アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルによる交響曲全集だ。1957〜60年、ベルリンのグリューネヴァルト教会でセッション録音されたもので、ステレオ初期の代表的な録音であるだけでなく、ベルリン・フィルにとって初となるベートーヴェン交響曲全集なのだ。1950年代後半から60年代にかけて録音技術の進化は目覚ましく、この全集も当時としては最上級の音質と言っていいだろう。
クリュイタンスはベルギー出身で、とくにフランス音楽に定評があり、フィルハーモニア管を振ったベルリオーズの「幻想交響曲」やパリ音楽院管を振ったラヴェルの管弦楽曲、ピアノ協奏曲(ピアノ:サンソン・フランソワ)、フォーレの「レクイエム」など、現在でも決定的な名演と評価されている。その一方でドイツ音楽への理解も深く、バイロイト音楽祭でも指揮をとり、1964年の日本公演ではラヴェルなどのフランスものに加え、ベートーヴェンやブラームスでも圧倒的な演奏を聴かせたことで、日本でのクリュイタンスへの評価は決定的なものとなった。そのエレガントな指揮ぶりは今でも語り草になっているほどだ。
彼がベルリン・フィルを振ったベートーヴェンの交響曲全集は落ち着きのあるテンポ感で深々とした音楽を奏でている。もちろん現在のベートーヴェン指定のテンポによる演奏に比べれば遅いが、当時はこれがスタンダードだったし、だからといって間延びした感じはまったくない。重々しさとは一線を画した躍動感。心地よく、それでいて味わい深い響き。あざとい鮮鋭感とは次元が違う。これがクリュイタンスのすばらしさ。どこをとっても節度ある上品さがある。唯一無二の美質だと言える。2017年オリジナルマスター・テープから96kHz/24bitでリマスターされた音源だ。この交響曲と序曲を含めた全集が2,306円とは……抜群のコストパフォーマンスではないだろうか。
悩むのはflac 96kHz/24bitとMQA Studio 96kHz/24bitのどちらを選ぶかだ。そこでWindows10+foobar2000+Meridian Audio Explorer2で聴き比べてみた。まずはflac音源。60年も前のアナログ録音であれば、広いダイナミックレンジや解像度は望めないし、響きがいくぶん薄めになるのは仕方がない。しかし、高音域には思いのほか刺々しさがないし、オケのバランスも良い。クリュイタンスの良さは十分聴きとれる。これでMQA音源に切り換えるとどうなるか。キリッと印象が変わる。各楽器の音像感がハッキリしてきて、ヴァイオリンがスッと浮き出してくる。さらに内声部の細かな動きが聴きとれるようになってくる。輪郭のにじみがなくなりフォーカス感がアップしたと言えばいいだろうか。画像加工に喩えると、わずかにアンシャープマスクをかけたような感じ。この音源に関しては、MQAエンコードがプラスに作用していておすすめだ。
1973年、まだ20代の頃にイングリッシュ・コンソートを設立し、オリジナル楽器による演奏で音楽界に新風を吹き込んだトレヴァー・ピノック。アルヒーフ・レーベルに数多くの録音を行ない、20世紀後半に盛り上がった古楽器演奏の潮流を牽引したトップランナーだ。イングリッシュ・コンソートによるヴィヴァルディの「四季」は、颯爽とした音楽で話題となった。バッハの「ブランデンブルク協奏曲」やヘンデルの「メサイア」、ハイドンやモーツァルトの交響曲など、ズラリと名演が並ぶ。指揮者としてはもちろんチェンバロの名手でもあり、バッハ演奏にも定評が……と思っていたのだが、なんと「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は初録音だった。そうか“いつか録音しよう”と、長い時間をかけて大切に温めていたのか。
録音は、2018年8月から2019年1月にかけてイギリスのカンタベリーで行なわれた。70代の半ばに差し掛かった巨匠が、故郷のカンタベリーで弾くチェンバロ。少年時代は大聖堂の聖歌隊で歌っていた。彼の音楽性を育んだ大切な街だ。第1曲の「プレリュード」が奏でられる。四角四面のアカデミズムとは一線を画した自在さが印象的だ。若い頃からインスピレーション豊かな音楽家だった。バッハが繰り出してくる対位法の粋を理論的に解析することはもちろんだが、その先に香り立つ音楽の愉悦にピノックは身を置いている。だから聴き手に鋭く迫ったり緊張感を強いたりすることはない。192kHz/24bitのハイレゾ音源はきわめてS/Nが高く、一音一音が繊細で美しい。チェンバロの響きが優しく空気を震わせ、響きが作り出す空間に自然と引き込まれてしまう。あえて小音量でも聴いてみてほしい。音が痩せることもなく、聴感を穏やかに刺激してくれる。流れていく時間のなんと快いことだろうか。
ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲はいつの時代も一対の作品のように扱われ、これまでもフランスの薫りを感じさせるパレナン四重奏団、明るい陽光が降り注ぐような印象のイタリア四重奏団など名演と評される録音は少なくないが、それらに勝るとも劣らない演奏が聴けるのは嬉しい。日本を代表するヴァイオリン姉妹、姉の漆原啓子がファースト・ヴァイオリンを受け持ち、妹の朝子がセカンド、それにヴィオラの大島亮、チェロの辻本玲が加わって結成された常設の弦楽四重奏団だ。2018年に第1回公演を行なっているが、これがすばらしいのだ。ひばり弦楽四重奏団というと“ずいぶん可愛らしい”などと思うかもしれないが、とんでもない。脱帽です。
ドビュッシーの第1楽章。4本の弦楽器が渾然一体となって和音を奏でる。その集中力と燃焼度、そして何より音楽の推進力がすごい。それぞれの楽器は精緻にコントロールされ、ドビュッシーの光と影を鮮やかに描き出す。それに録音がいい。たとえば第2楽章でのピチカート。まるで音色の異なる水玉が飛び跳ねているかのように躍動する。第3楽章では憂いを湛えたメロディが音色を変化させながらスピーカーから溢れ出してくる。楽器の音像はステレオ音場に広く位置づけられており、セカンド・ヴァイオリンやヴィオラの動きがきわめて明瞭に録られているので、楽器の浮き沈みや融け合いがハッキリと聴こえてくる。いわゆるアナログ的なぼかしや曖昧さはない。ドビュッシー特有の音の動きを、これほど明瞭にとらえた録音は少ないのではないだろうか。だからといって刺激的すぎることはない。ラヴェルもいい。第1楽章の何か夢の中を歩いているような浮遊感。飛び跳ねるようにピチカートが絡み合う第2楽章からレントの旋律が漂う第3楽章の陰影感も絶妙だ。演奏と録音が相互に影響しながら化学反応を起こしたハイレゾだからこそ可能になった優秀録音と言えるだろう。
クラリネットに新星現る! 最難関のコンクールとして知られるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したのが2012年。ベルギー出身のアンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェは、いまヨーロッパでもっとも期待されているクラリネット奏者だ。2017年には毎夏ロンドンで開催されるプロムスにもデビューし、現在はイギリスを中心に活躍している。彼女のデビュー・アルバムが『ベル・エポック』として“PENTATONE”レーベルからリリースされた。2018年12月、リールのヌーヴォー・シエクルでの最新録音だ。“PENTATONE”とは長期契約を結んだことが発表されているので、今後もモーツァルトのクラリネット協奏曲とかサン=サーンスやプーランクのクラリネット・ソナタなど魅力ある作品がリリースされたらいいなと思う。
『ベル・エポック』というタイトルには19世紀末から1910年代までの繁栄していたパリへの追憶が込められているのだろうか。ドビュッシーの「第1狂詩曲」は1909〜1910年ごろパリ高等音楽院の卒業試験のための課題曲として作曲された。時期的には、まさにベル・エポック。1911年にはピアノ伴奏が管弦楽用に編曲されている。「牧神の午後への前奏曲」を想起させるような息の長い旋律。クラリネットの音色がニュアンスに富んでいてとても美しい。マンフレート・トロヤーンの「ラプソディ」は世界初録音。面白いのはブラームスのクラリネット・ソナタ第1番で、ここではルチアーノ・ベリオの管弦楽編曲版で演奏している。もうほとんど協奏曲。オケに色彩感があって、晩年のブラームスらしい諦観とか孤高の境地などといったイメージよりは、抒情的でデリケートに揺れ動く青白い焔のような感覚が漂っている。ブラームスにはこんな一面があったのだ! “PENTATONE”らしく、クラリネットの音色を大切にしながら、オケの響きを融け合わせた豊かで厚みのあるサウンドにソロの音像を自然にクローズアップさせている。