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第79回 バレンボイムの濃厚なベートーヴェン交響曲全集
今年はベートーヴェンの生誕250周年イヤー。クラシック界はベートーヴェンで盛り上がっている。しかし特別な年でなくてもベートーヴェンはよく聴く作曲家だ。特に交響曲は全集を何セットも持っている人が多いことだろう。
僕も気がつけばベートーヴェンの交響曲全集が増えた。手放したものも多いけれど、それでも7〜8セットはある。「これ以上増やしてはいけない」とハードルを高くしているのだが、今回取り上げるダニエル・バレンボイムの『ベートーヴェン:交響曲全集』はそのハードルをやすやすと超えて、僕のコレクション入りしたのだった。ハイレゾはFlacとMQA(96kHz/24bit)で配信されている(1曲ごとの配信もあり)。
これはバレンボイムにとって初のベートーヴェン交響曲全集。ひとことで言って濃厚な演奏である。ベルリン国立歌劇場に付属するシュターツカペレ・ベルリンも歴史の古いオーケストラで、冷戦時代は東独に属したためか、いぶし銀のような音。バレンボイムは1992年に音楽監督に就任するとこのオーケストラを磨き上げ、全曲を1999年の2ヵ月間で一気に録音した。
今日のクラシック愛好家にとって、ベートーヴェンの交響曲をモダン・オーケストラで聴くか、古楽のオーケストラで聴くかは悩ましい選択だ。ベートーヴェンを現代に蘇らせて「どちらがお気に召したでしょうか?」と訊けば話は早いのだが、それができないだけに答えは出ない。
僕はモダン・オーケストラも古楽のオーケストラも両方聴く人間だが、どちらかと言えば古楽派だ。指揮者の芸術性や解釈も興味深いが、まずオーケストラの響きからベートーヴェンの精神や時代性を感じたいからだ。簡単に言ってしまえば、ロマン派の音楽を通過した演奏やモダン・オーケストラの厚い響きはベートーヴェンの時代にはなかったよね、という理屈である。
バレンボイムの全集はその古楽派がアンチテーゼとするモダン・オーケストラの演奏であるが、それでも感銘を受けたのだから驚いた。精神を揺り動かす演奏に出会うとモダン・オーケストラも古楽のオーケストラも関係ないのだ。この演奏ならベートーヴェンも「ヤー」と共感してくれるのではないか。
バレンボイムはフルトヴェングラーの崇拝者と言われるだけあって、緩急にテンポを操り感情を揺さぶる。ダイナミクスを駆使して緊張感を高める。フレーズは長い息で演奏される。こういった演奏は他の指揮者でも珍しくないけれども、バレンボイムがそれらと違うのはエモーショナルなところだ。
たとえば交響曲第3番「英雄」。ベートーヴェンの入門曲でありながら、何十年聴き続けても飽きない名曲。僕も長年親しんできた。まるでビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』やピンク・フロイドの『狂気』を聴くのと同じくらい親密に聴いてきた。
それだけに僕も「英雄」にはこだわりを持つ。「こう演奏してくれないとコレクションに入れない」という唯我独尊的な基準を持っている。特に第1楽章と第2楽章。第1楽章は豪快に爽快に興奮させてほしい。第2楽章「葬送行進曲」は中間部の盛り上がり(特にホルンの旋律)を胸をかきむしるほどに演奏してほしい。でなければ僕の求める「英雄」ではない。
こう書くと古楽派と言いながら、求めているのはワーグナー以降のロマン派の演奏なのがバレバレで自分でも笑ってしまうが仕方がない。
バレンボイムの「英雄」はそんな僕にストライクだった。第1楽章はカラヤン指揮ベルリン・フィルの1回目の録音よりも疾走感がある。第2楽章はバーンスタイン指揮ウィーン・フィルよりもエモーショナル。「英雄」は第1楽章と第2楽章が大掛かりで第3楽章と第4楽章が小粒になるが、バレンボイムは最後まで雄大さと緊張感を維持している。第4楽章が第1楽章と同じくらいのスケールで終わるのを聴いたのはバレンボイムが初めてである。
エモーショナルなのは「英雄」だけではなく、他の8つの交響曲にもあてはまる。特に第8番は「偶数番号の交響曲は女性的」と言われるとおり、穏やかで室内楽的な演奏が多いけれども、バレンボイムはまるで第5番「運命」のように鋭角的。僕のオーディオ・システムでここまでダイナミックな第8番を聴いたことはない。
交響曲第9番「合唱」では第1楽章の導入部がかなり小さいのが印象的だった。第4楽章でオーケストラが初めて奏する「歓喜の歌」のフレーズも極端に小さい。そこから一気ダイナミクスを上げるのがバレンボイムのやり方だ。合唱の歌いっぷりにも熱がこもっているのが伝わる。
CDの発売時から愛聴している方も、この機会にハイレゾに乗り換えてはどうだろうか。シュターツカペレ・ベルリンのコクのある音色や濃厚な演奏をハイレゾで堪能してほしい。