[こちらハイレゾ商會]第87回 『マッカートニーIII』は半世紀ぶりの追試験? ポールの一人多重録音を聴く
掲載日:2021年1月12日
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第87回 『マッカートニーIII』は半世紀ぶりの追試験? ポールの一人多重録音を聴く
絵と文 / 牧野良幸
 ポール・マッカートニーが一人で演奏・制作したアルバム『マッカートニーIII』がハイレゾ配信された。これはコロナ禍のロックダウン中にポールが多重録音をして作り上げたアルバムだ。タイトルからもわかるように、1970年の『マッカートニー』、1980年の『マッカートニーII』につづくシリーズ第3作。
 昨年はまさに新型コロナ一色だった。世界中の人々が外出を控え、自宅での生活を余儀なくされたわけだが、まさかその最中にポールが一人でアルバムを作っていたとは思ってもみなかった。でも作詞作曲はおろか、ほとんどの楽器をプロ並みにこなすポールだ。ロックダウンがポールをアルバム制作に駆り立てたのもうなずける。
 『マッカートニーIII』の前に、最初の『マッカートニー』のことを書いておこう。僕が『マッカートニー』を初めて聴いたのは1972年、中学三年生の時だった。友人から借りたレコードで、針を落とした時の感想は“なんだ、こりぁ?”というものだった。完成度の高い『アビイ・ロード』とは真逆のラフな仕上がり。曲も「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」を作った人とは思えない粗々しさ。
 今なら信じられないネガティヴな感想だったのである。インターネットなどなく、音楽誌は新譜以外の批評をほとんど載せなかった時代だ。自分の聴いた音楽は自分の耳で判断するしかなかった。僕の持ち合わせていた判断材料はビートルズの残した輝かしいアルバムだけなのだから、どうしても『マッカートニー』には減点しか浮かばない。
 本当は『マッカートニー』をビートルズ時代の集大成ではなく、ポールの新たな出発点として聴かなければいけなかったのだ。加えて「レット・イット・ビー」の作者にはアヴァンギャルドを好む一面があること、ロックにはラフな音作りもアリということも嗅ぎ付けなければならなかったのだが、洋楽を聴き始めて2年目の中学生にそこまでの鑑賞眼はなかった。
 つまるところ『マッカートニー』にはリスナーの音楽センスを試すところがあり、僕は見事に落第だったわけである。それでも友人から再びLPを借り、買ったばかりのカセットデッキで録音して聴き返すと気に入るのに時間はかからなかった。それからは今さら大きな声でほめるわけにもいかず、ひとり隠れキリシタンのように『マッカートニー』を聴いていた。
 そんな過去があるので、およそ50年後にポールから届いた『マッカートニー III』。なんだか、またポールから答案用紙が送られてきた感覚だ。80年の『マッカートニーII』の時はリアルタイムで聴いていないので、その時は試験を受けていない。もうじき63歳になろうというのに、まさかの再試験に少々緊張する。
 『マッカートニーIII』を聴くうえで気をつけたのは、一回聴いただけで判断をしないこと、である。中学生の時はそれで失敗した。何度も聴き返すことが大切だ。
 でいきなり結論なのだが、『マッカートニーIII』結構いいのではないか。
 1曲目「ロング・テイルド・ウィンター・バード」。出だしのギターが僕の予想とちょっと違うテイストだったので、最初は違和感が漂った。まさに「ラヴリー・リンダ」を初めて聴いた時と同じ。49年前の“なんだ、こりぁ?”が頭をよぎる。
 しかし2回、3回と聴き返すうちに、音楽の方が語り出すというか、メロディやサウンドが心に染み入るようになる。慣れればカッコいいアルバム導入部である。他の曲もそうだった。一巡目はピンとこない曲が多かったが、毎日、繰り返して聴いていると、どの曲もよくなっていった。
 音質の話なら、音楽以上に話が早い。音質は初めてのリスニングから申し分なし。1曲目の「ロング・テイルド・ウィンター・バード」は中間からドラムが入り、そのシンバルがシャーンとなったところで早くも満足。微粒子状に広がる音、減衰感は24bitのハイレゾならではだろう。
 音楽に話を戻すと、2曲目「ファインド・マイ・ウェイ」はポップでヒット性のある楽曲。聴けば聴くほどノリのいい曲だ。ドラムもやっぱりいい。「ジョンとヨーコのバラード」以来、リンゴとはまた違ったポールのドラミングが僕は大好きなのだ。
 「ディープ・ディープ・フィーリング」は、ちょっとたとえるものが浮かばない不思議な曲調で始まるけれど、途中ピンク・フロイドのようなギターが流れたりして引き込まれる。ポールの頭にはロックのジャンル分けのようなものはないのかもしれない。
 このあとにも「スライディン」はウイングスで演奏したら似合いそうなハードなロック、「ザ・キス・オブ・ヴィーナス」はポールらしいギターの弾き語りだ。チェンバロのような音の間奏も良い。「スィーズ・ザ・デイ」はあえてこのアルバムからビートリー風を選ぶならこれが一番近いのではなかろうか。その一方で「ディープ・ダウン」は、プリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のような、一人多重録音のファンクという感じ。
 最後は「ウィンター・バード / ホエン・ウィンター・カムズ」で、アルバム最後の付け足し曲のような配置があいかわらずポール。ここでもギターの弾き語りが印象的である。
 コロナ禍で制作されたことが、ポールにどのような影響を及ぼしたのかわからないけれど、『マッカートニーIII』はポールの野心作だと思う。そればかりかシリーズとなる『マッカートニー』や『マッカートニーII』とも違う音楽性が感じられ、ポールの新たな方向を内在しているかもしれないが、それは年月が答えを出してくれることだろう。
 音質は前にも書いたように不満はなく、2020年ともなると、一人多重録音でもミキシングを含めてクオリティが高い音質になるものだと思った。ぜひハイレゾでコレクションしたいアルバムである。



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