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第93回 ライヴでスタジオ録音のクオリティ、藤田恵美『Headphone Concert 2021』
世界中のオーディオ・ファイルに人気のシンガー藤田恵美。その新作『Headphone Concert 2021』がハイレゾで配信された。ファイル形式はflacとWAVがそれぞれ192kHzと96kHz、DSDは5.6MHzと高音質ファンには申し分ない。
毎回オーディオ・ファイルが注目する藤田恵美のアルバムだが、今回はとくにユニークな方法で製作された。まずはそれを紹介したい。
収録は横浜のサンハートホールという平土間形式のホールだ。ここに少人数の観客を入れて収録された。
こう書くとライヴ録音のようであるが、ちょっと違う。
ステージに立つ藤田恵美はヘッドフォンをつけ、マイクに向かっている。マイクはヴォーカル用のよくスタジオで見かけるテレフンケンである。唾や息のノイズを取り除く丸い網のようなポップガードもついていて、これだけみるとライヴというよりスタジオ録音の風景である。他の演奏者もヘッドフォンをつけて演奏している。
なにより会場にはPAがない。観客も各自がヘッドフォンをつけて聴くのである。ヘッドフォンからは演奏者が聴いているのと同じ192kHz/24bitの音が流れる。
目の前で演奏しているのに、生音ではなくヘッドフォンの音を聴く。通常の音楽ファンなら“ええー”と言いそうであるが、オーディオ・ファイルには楽しそうな企画だ。“ヘッドフォンコンサート”と名づけられたゆえんである。
この企画はHD Impressionレーベルの主宰者であり、録音エンジニアの阿部哲也のアイディアから生まれたらしい。
確かにこの方法なら、従来のライヴ録音のようにPAシステムやステージ・モニターの音がマイクに入り込まないからピュアな音を録音できそうだ。それでいて観客がいるからライヴの緊張感も期待できる(終了後の拍手は曲の終わり部分にかぶらないのならOK)。
しかし新しい試みには何事も困難がつきものである。なにせライヴで収録し、完成度の高いスタジオ作品を作るという企画なのだから、実際の収録ではさまざまな問題が起きたらしい。曲間のMCはどうするか、ライヴならではの瞬間的なノリはどうするか。これ以上書かないが、いろいろな問題が持ち上がる。
録音エンジニアにとっても同様だ。スタジオ作品の作品性をめざすのだから普通のライヴ盤のように全曲をライヴ風でまとめるわけにはいけない。一曲一曲をその曲にふさわしい音に仕上げなくてはいけない。
このようにいざ始めてみると、さまざまな課題が持ち上がり、それらを超えて出来上がったのが『Headphone Concert 2021』なのである。
部外者として勝手なことを言わせてもらうと、そういう問題が山積みだった録音だからこそ面白い、となる。オーディオ・ファンとしてはどんな音に仕上がったか興味深い。
そして『Headphone Concert 2021』には、それだけの音が収録されているのだった。
僕が聴いたのはflacの192kHz/24bitの音源である。まずはやはりヴォーカル。藤田恵美のアルバムはどれも高音質でヴォーカルが鮮やかだが、今回は今まで以上に生々しいと思った。それだけではなくヴォーカルにとても接近した感じを持つ。ステージに立つ藤田恵美の前に椅子を持ってきて聴いている感じだ(収録会場でこれをやったら怒られるだろう)。
ヴォーカルを挟むように、左右にはピアノ、ギター。こちらもオンマイクを感じさせる高解像度であるが、ヴォーカルときれいに溶け合う。時折添えられるバックコーラスもヴォーカルと溶け合いハーモニーが美しい。ミキシングの妙を感じさせる。
中央にはベース。それから曲によってヴァイオリン、トランペットが添えられる。こちらは距離感がありフロントを邪魔しないような鳴り方だ。トランペットの音は大きかったときくが、これもミキシングでの苦労を感じさせない自然な仕上がり。
音場はホールの響きの再現というより、ヴォーカルや楽器音にフォーカスをあてつつ、音そのものにライヴ成分が含まれる音場と言ったらいいか。アンビエンス用のマイクを8本も使用したというから(ステージの前にワンポイントで設置)、この成分もうまくミキシングされているのかもしれない。つまるところ数曲に入れられた拍手がなければ、スタジオ録音と思うような完成度である。
最後に藤田恵美のヴォーカルにもふれたい。今の時代に藤田恵美の心にしみる歌声は貴重だ。収録で歌ったのは前作『ココロの時間』からの曲だが、歌い方、声の質、ともに個人的には今回の収録ヴァージョンの方が好みだ。歌う方には苦労があったと思うが、それがプラスアルファの魅力を生んだのかと思う。
このようにユニークな方法で収録されたアルバム『Headphone Concert 2021』。フォーマットは192kHz/24bitで収録されたのだから、ぜひハイレゾで聴いていただきたい。
※原稿を書くにあたって藤田恵美と制作スタッフへのインタビューを参考にした。インタビューはe-onkyoの
ウェブサイトで読める。