[注目タイトル Pick Up] “世界各地の音楽を現地録音したキングレコードのシリーズ150タイトルがハイレゾ化 / アニヤ・ハルテロスがワーグナー、ベルク、マーラーを歌うソロ・アルバムの濃密な世界
掲載日:2021年8月24日
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注目タイトル Pick Up
世界各地の音楽を現地録音したキングレコードのシリーズ150タイトルがハイレゾ化
文/國枝志郎

 当欄でモーリッツ・フォン・オズワルド御大のことを取り上げる日がいよいよ来た……感無量とはまさにこのことだ。今ここにモーリッツについて詳しく説明するスペースはないけれど、80年代に伝説のジャーマン・ロック・グループ、パレ・シャンブルクのパーカッショニストを務め、脱退してからは90年代のテクノ・シーン黎明期から現在に至るまで、エレクトロニック・ミュージック・シーンのもっとも重要なプロデューサー / アーティストの一人として活動を続ける重鎮である。クラシックの殿堂レーベル、ドイツ・グラモフォンが2008年からスタートしたクラシックと電子音楽が交錯するシリーズ「Recomposed」の最初の一枚が、デトロイト・テクノの第一人者カール・クレイグとモーリッツによる、カラヤンのラヴェルやムソルグスキーのリミックス、いや、リコンポーズド(再作曲)だったのは慧眼だったし、これがその後のポスト・クラシカルというムーヴメントを励起したのも間違いない。そのモーリッツが、その翌年の2009年にマックス・ローダーバウアー(key / ex.サン・エレクトリック)、ヴラディスラフ・ディレイ(ds)とともにモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオ(MvOT)として活動を始めたのも、間違いなくこの「Recomposed」が契機になっている。このトリオはその後2015年にドラマーが伝説のアフロビート・ドラマー、トニー・アレンに交代し、2015年にアルバム『Sounding Lines』をリリースした。その後はMvOTとしての活動は少なくなり、2017年にキルギスのグループ、オルド・サフナとモーリッツ個人のコラボレーションによるアルバムが出たこともあって、MvOTとしての活動は打ち止めか、とも思われていたのだったが、MvOTは復活した。しかもメンバーを刷新して。これまでのMvOTのラインナップもある種のスター・グループというイメージはあったが、新生MvOTのラインナップにはこれまで以上に驚きを隠せない。ローダーバウアーとディレイとアレンに変わってグループの中核に加わったのは、アヴァギャルドなエレクトロニック・アーティストの先駆者であるローレル・ヘイローと、著名なジャズ・ドラマーであるハインリヒ・ケベルリングなのだ。とくにローレル・ヘイローは近年自作にジャズの要素を持ち込み、つねにその音楽を刷新しようとしているが、そんな彼女とジャズ・ドラマーの参加によって今回のMvOTは、これまでの同名義の中でもっともジャズを感じさせるアルバムを作り出した。MvOTの諸作品で、これが初めてのハイレゾ(44.1kHz/24bit)となるが、その芳醇な響きにはハイレゾ・サウンドこそがふさわしいと自信を持って言える。リリース先が先日パット・メセニーの作曲家としての側面にスポットを当てたアルバム『Road to the Sun』をリリースして話題のModern Recordingsである点も注目だ。


 ジョン・コルトレーンの諸作品のハイレゾ化が進んでいるのはその人気度からしても当然だが、その一方でジョンの奥方にしてピアノ / オルガン / ハープ奏者のアリス・コルトレーンの作品のハイレゾ化はどうなっているのかなとかねがね思っていた。これまで知るかぎり、ジョー・ヘンダーソンのコンコードからのアルバム『The Elements』がほぼ唯一と言っていい彼女のプレイをハイレゾ(192kHz/24bitおよび96kHz/24bit)で聴くことのできる作品だった。アリス・コルトレーンのアルバムはジャズの名門インパルスからリリースされており、そのハイレゾ化はいつかはされるのではないかと思っているけれど、それより前に意外なアルバムがハイレゾ(44.1kHz/24bit)で登場してきた。彼女は1982年から1995年まで、自主制作した音源をカセットテープのみでリリースしていたのだが、それらの音源からセレクトされた8曲が、Luaka Bop(トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンによって設立されたレーベル)から2017年にダブルLP『The Ecstatic Music of Alice Coltrane Turiyasangitananda』としてリリースされて話題を呼んだことは記憶に新しい。このアルバムには「World Spirituality Classics 1」という副題があり、続編も期待されたが現在のところまだ未発表である。そんな中、インパルス・レーベルから突如登場した『Kirtan: Turiya Sings』と題されたアルバムがそれである。このアルバムはオリジナルのカセット版『Turiya Sings』(1982年)とまったく同じものではない。このアルバムのファースト・テイクのテープが2004年に発見され、それを聴いた息子のラヴィ・コルトレーンはその深みがありつつもシンプルな音楽に感動したという。リリースされていた『Turiya Sings』は、そのファースト・テイクにストリングスやシンセサイザーのアレンジ、嵐や風の効果音を付け加えているものなのだった。今回のリリースでは、それらの後付けのパートを極力カットし、新たにミックスを施してタイトルも『Kirtan:Turiya Sings』としてリリースとなった。Kirtanとは“礼拝”の意だが、ここでアリス・コルトレーンはWurlitzerオルガンと歌だけで“バジャン”と呼ばれる9つの伝統的なヒンドゥー教の聖歌を祈りを込めて演奏している。この『Kirtan: Turiya Sings』は、オリジナルよりも地味な印象を受けるが、むしろこのシンプルなオルガンのみをバックにしたアリスの歌声に力強さがあるため、感情的にもより深みを増して聴き手の心を揺さぶるのだ。

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『イラクの音楽』


(1975年、1977年、1981年録音)

 これまでいろいろとハイレゾのアルバムを聴いて書いてきたけれど、ロックやポップス系のアルバムよりも、民族音楽の現地録音ものやクラシックなどの生音系の作品にハイレゾ的にいいなと思えるものが多かったのは、やはりこれらのジャンルが「音が鳴っている空間そのものの響き」を重視するものだからだろう。もちろんだからと言って電気的な処理やエンジニアリングを前提とするジャンルの音楽がハイレゾに向いてないというわけではない。しかし、実際今回取り上げるキングレコードの民族音楽集成「THE WORLD ROOTS MUSIC LIBRARY」のハイレゾ版を聴くと、やはりハイレゾはこういう音楽(音響)に向いているなあと思うわけである。それにしてもこれは圧巻としか言いようがないシリーズだ。
 民族音楽の現地音楽録音シリーズは、アメリカのノンサッチ、フランスのオコラと言ったレーベルの仕事が非常に重要だけれど、じつは日本も古くからがんばっていた。ビクターの「JVC WORLD SOUNDS」、そしてキングレコードの「ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」は、世界中の民族音楽ファンにとっては欠かせないシリーズであるが、その中でもこのキングレコードのシリーズの重要性は抜きん出ている。たとえばシリーズ第一弾となった『トルコの軍隊』は、1970年代初頭にトルコでフィールド・レコーディングが行なわれた貴重な録音で、これを手がけたのが民族音楽学者として著名な小泉文夫氏と小柴はるみ氏だったということだけでも瞠目すべきだが、このアルバムに収録された曲がNHKドラマのテーマ曲に採用され、当時5万枚も売れたというのも驚きである。このシリーズがトータル150枚もリリースされていたというのも、偉業と讃えられるべき事実だろう。2015年には、この150タイトルから厳選された40枚がCDリイシューされ、それに対して坂本龍一からも賛辞が寄せられていたのを覚えている方もおられるだろう。しかし、今回の待望のハイレゾ化(96kHz/24bitというハイスペックにもキングレコードの本気を感じる)においては、なんと150タイトルがすべてハイレゾ化されるという。この労作をすべて高音質で後世に伝えようとする関係者にはあらためて敬意を表したい。まず第一弾としてヨーロッパ、アフリカ、西アジア、中央アジアの音楽32タイトルが配信開始となった。ここには前述した『トルコの音楽』も含まれている。これももちろん必聴だけれど、それ以外だと『イラクの音楽』を推薦したい。これはもともと2枚組で発売されたもので、ディスク1にあたる1曲めから11曲めまでは現地での録音、ディスク2にあたる12曲めから18曲めまでは日本のスタジオでの録音となるもので、その質感の違いも楽しむことができる。

アニヤ・ハルテロスがワーグナー、ベルク、マーラーを歌うソロ・アルバムの濃密な世界
文/長谷川教通



 弦楽オーケストラの清新な響きがあふれている。ドイツのチェリスト、ヴォルフガンク・エマニュエル・シュミットが結成したアンサンブル「メタモルフォーゼン・ベルリン」のアルバムに注目したい。シュミットはチェロのソロはもちろん。チーフ・コンダクターとしてアンサンブルを率いる。アート・ディレクターにはベルリン・ドイツ・オペラ管のコンマスを務めるインディラ・コッホ。しかもメンバーはベルリンの名門オケの若手で構成され、国際コンクールで優秀な成績を収めた奏者ばかり。つまりベルリンの腕利き集団ということだ。まずは2015年にソニー・クラシカルから発売された『インスピレーション』。“これぞボヘミアン・サウンド”と愛されるスークとドヴォルザークの「セレナード」に加え、ヴィクター・ハーバートの作品を取り上げる。ハーバートは1859年アイルランドに生まれ、アメリカに帰化した作曲家でチェリストでもある。ミュージカルの先駆けと言われるライト・オペラで名をはせたことでも知られている。そんなハーバートならではの優美なメロディをシュミットがチェロでリードしながら歌っていくのだが、アンサンブルが瑞々しくてけっして甘すぎることはない。そこがいい。ドヴォルザークも爽やかな風が吹き抜けていくような心地よさ。2017年にリリースされたチャイコフスキーの『セレナード』も素敵なアルバムだ。「フィレンツェの思い出」から“巧いなー”と彼らの演奏に魅入られてしまう。第4楽章のダンスのリズムの爽快さ! 「セレナード」もダイナミックで厚みのあるサウンドによる名演だ。そして最新の『ヴェリー・ブリティッシュ』。このアルバム最高! ピアニシモの精緻な響きでピーンと緊張の糸を張った後にグーッと盛り上げて、さらにテンポを落としてタップリと旋律を歌わせる。それにシュミットのチェロが感興に合わせたボウイングで、とっても魅力ある歌を聴かせてくれる。若いアンサンブルが阿吽の呼吸でチェロに呼応する。この変幻自在さ。「メタモルフォーゼン」の名にふさわしいかも。名曲「愛の挨拶」などハイポジションの巧さと音色の良さに惚れ惚れしてしまう。アマオケのレパートリーとしても親しまれているブリテンの「シンプル・シンフォニー」もリズムの切れ味に音楽の勢い、表情の付け方など、「なるほど」と発見させられる要素がたくさん見つかるはずだ。


 アニヤ・ハルテロスのソロ・アルバムを待ち望んでいた音楽ファンには朗報だ。2018年、2019年、2020年、ミュンヘン・ガスタイクでのライヴ録音だ。1999年にウェールズのカーディフで開催されたBBCの「シンガー・オブ・ザ・ワールド」コンテストで最高位を獲得し、これを機に彼女のキャリアは世界に拡がっていった。これまではバイエルン歌劇場と縁が深くモーツァルトからR.シュトラウスやワーグナー、さらにはヴェルディやプッチーニもこなすなどレパートリーの広さは驚異的。ヤンソンス指揮バイエルン放送響のマーラー「復活」や、マゼールが生涯最後にミュンヘン・フィルを振ったヴェルディ「レクイエム」でも感動的なソプラノを聴かせてくれた。歌唱だけでなく、舞台上で見せる演技力でも高い評価を受けている。最近のハイレゾ音源では、パッパーノ指揮する聖チェチーリア音楽院管でカウフマンと共演したヴェルディの「アイーダ」が圧巻だった。でも、いまや世界中の歌劇場からオファーが舞い込むトップ歌手にしては、思いのほかソロ・アルバムが少ないなと思っていたら、なんとワーグナー、ベルク、マーラーときた。オケはゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルだ。これほどのプログラムは並のソプラノでは歌いきれないだろう。1972年のドイツ生まれだが父はギリシャ人。だからというわけではないが、どこかマリア・カラスのイメージがオーバーラップする。“えええっ、そんな軽はずみな妄想を……”と叱られてしまいそうだが、ギリシャ系の音楽家ってマリア・カラスにかぎらず古くは指揮者のミトロプーロスとか、最近ではクルレンツィスとか、作曲のクセナキスやスコルコッタスなど独特の感性を輝かせているような気がする。ハルテロスはいくぶん重くて深みのある声が魅力で、ときには陰りをも感じさせる表情に惹かれる。冒頭のワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」。存在感のある声で綴るロマンティックで濃密な世界。あまりに美しい。しかも、その背後に妖しさと憧れまでが漂いだしてくるではないか。これこそ軽はずみな妄想からハッと目覚めさせるハルテロスの独自性であり、彼女が唯一無二のソプラノであることの証明だろう。芳醇な音色が織りなすオーケストラの響きをバックに多彩な表現を繰り広げるベルクとマーラーも聴き応え十分だ。録音も優秀なので、彼女の声をどこまで再現できるか、オーディオ・ファンのレファレンス音源としてもオススメだ。


 カラヤンの最高傑作は? などと愚問を発するつもりはないけれど、ベートーヴェンもブラームスもワーグナーもいい。もちろんプッチーニもヴェルディもすばらしい。でも忘れてほしくないのが、この『新ウィーン楽派管弦楽作品集』だ。レパートリーの広さでは歴代の指揮者中でも抜きん出ているカラヤン。どの作曲家に対してもカラヤン流の美意識を突き詰めていったのはもちろんなのだが、でもシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンについては特別な感覚を持っていたように思う。耽美的でありながら冷めた視線から生み出される極限の美……徹底的にロマンティックな情感を演出しながらも、あくまで意識的に作り上げる昇華された響きの美しさ。そうしたカラヤンの表現がみごとなまでに発揮された音楽がこのアルバムに記録されている。ほかのアプローチや表現があることは承知しているが、カラヤンが描き出したオンリー・ワンの世界を認めないわけにはいかない。これほどの名演を前に多くを語る必要はないが、ただ気がかりだったのがリマスターされたDSD音源の音質だった。2021年に制作されたオリジナル・マスターからドイツEmil Berliner Studiosで制作されたDSDマスターを使用したハイレゾ音源であれば、S/Nの制約もダイナミックレンジの制約も取り払ったマスターそのものの音が聴きたいと期待してしまう。まずシェーンベルクの「浄夜」。ベルリン・フィルによる弦楽合奏のすごさに圧倒されそうになるが、嬉しいことにピアニシモが濁りなくきれいに記録されている。さらにクレシェンドのストレスのなさと、低音域の力強さと解像度がアップした内声部が土台となり、それにヴァイオリン群がひずみなく重なってくる。高音域のシズル感を保ちつつ、ざらつきもない。アナログLPとは別物のような音の伸び、CDとも次元の違う音質だ。「ペレアスとメリザンド」では弾ける音の輪郭……鋭さはあるのに楽器の質感にアナログ録音ならではの良さを感じさせる。ベルクの作品では特有の色彩と艶めかしさがのってくる。ウェーベルンはより激しく鋭角的になるが、その響きの背後にある理性的な意識。どこか不安な空間に誘い込まれていくような……これがカラヤンにとっての現代性であり凄さなのだと思う。“十二音技法”とか“セリー”とか言われると、どこか無機質なイメージを持つかもしれないが、いやいやカラヤンの腕にかかると音に血が通ってくる。これぞカラヤン・マジック!

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