[注目タイトル Pick Up] “コロナ禍中に三宅純が世界各地のミュージシャンと制作した4年ぶりのソロ・アルバム / えっ、これベートーヴェン?”と戸惑うエリーザベト・ソンバールによるピアノ協奏曲
掲載日:2021年12月28日
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注目タイトル Pick Up
コロナ禍中に三宅純が世界各地のミュージシャンと制作した4年ぶりのソロ・アルバム
文/國枝志郎


 1983年に鈴木惣一朗の主宰で結成され、1985年にテイチクレコード内に設立された細野晴臣のレーベル、ノンスタンダードから細野のプロデュースによるアルバム『WORLD STANDARD』でデビューを飾ったユニット、ワールドスタンダード。その素晴らしいポップ・センスとサウンドのハイクオリティぶりには定評のあるグループのアルバムはこれまで複数のレーベルからリリースされているが、2021年の11月にこれまで発売された全13作のアルバムのサブスクが解禁され、同時にその中から数枚のアルバムがハイレゾ配信(すべて96kHz/24bit)スタートとなったのは音楽ファンにとっては一足早いクリスマス・プレゼントとなったことだろう。ハイレゾで登場したのはノンスタンダード・レーベルからの3枚のアルバム(『WORLD STANDARD』〈1985年〉、『DOUBLE HAPPINESS』〈1986年〉、『ALLO!』〈1986年〉)と、2011年に鈴木が立ち上げたレーベル「Stella(ステラ)」からのリリースとなった10枚目のアルバム『みんなおやすみ』(2011年)、現時点での最新作『色彩音楽』(2020年)、そしてもともとはディスクユニオン傘下の出版社DU BOOKSから2018年に発売された同名のCDブック由来のアルバム『Music for Ringing(“耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック”より)』の6タイトル。可能なら全タイトル聴いてもらいたいと思うけれど、コロナ禍の最中に制作され、それまでのインスト志向から一転して全編鈴木本人によるヴォーカルをフィーチャーした最新作『色彩音楽』と、耳鳴りに苦しむ鈴木がさまざまな治療や人々との対話をとおして“耳鳴りや不眠に悩む人、静けさを求める人のための楽曲”(CDブック帯より)を作り上げた『Music for Ringing』をまずは聴いてもらいたい。とくに後者は世にあふれる“ヒーリング・ミュージック”的なものとは一線を画した、作り手の顔が見える素晴らしい音楽作品であり、また実用品でもある。これを16bitではなく24bitで聴けることは、筆者も含めて耳鳴りに苦しむ人の大いなる助けになることは間違いない。


 DSDの中でも最高スペックとなるDSD 11.2による作品はもちろん誰もが作れるわけでもなく、またその真価を十分に受け止めるだけの機材を自宅に揃えているリスナーの数も限られているだろうが、このアルバムに込められたアーティストの表現のリアリティを感じ取るためにぜひDSD 11.2再生環境を整えてほしいと思えるすごい作品が登場した。1983年に木村達司(作曲, 編曲, トラックメイク)と、モデル / 女優としての活動でも知られる作詞担当の甲田益也子(作詞, ヴォーカル)によって結成されたユニットdip in the poolの音楽はある意味その初期から今に至るまで本質的には変わっていない。木村の作り出すトラックはその瞬間における最高のクオリティを持ってあたりの空気を振動させ、一瞬にしてそれが鳴る場所を最上の舞台へと変える。そしてその舞台にふさわしいのは甲田益也子のファンタスティックなヴォーカルしかない。dip in the poolとはそういう唯一無二のユニットなのだ。彼らは90年代後半に一度活動を休止しているが、その後2011年に活動を再開、現在に至るまで音楽性を大きく変えることなく活動を続けている。今回取り上げるハイレゾ・アルバム『8 red noW』(DSD 5.6&11.2およびPCM96kHz/24bit)は、活動休止直前の1997年にGrandiscレーベルからリリースしたアルバム『Wonder 8』(全8曲)から最後の2曲をカットして6曲をリマスタリング、そのうえに新たに録音した2曲を加えて8曲としたもの。リマスターされた過去曲はもちろん間違いなく素晴らしい。ハイレゾ・マスター、オノ セイゲンによるリマスターは当然のことながら20世紀末の爛熟したサウンドをより詩的にブラッシュアップした趣で素晴らしい。配信なら時間的制限はないと思うので、どうせなら今回外された『Wonder 8』のラスト2曲も同じようにリマスターして収録してほしかったというのはないものねだりか……。もっとも、新たにレコーディングされて追加となった2曲が素晴らしいのでこれ以上の贅沢は言うまい。2020年6月にシングルリリース(こちらもDSD11.2の極上サウンド)された「Color of Life」もいいのだが、今回2曲目に追加された「What About This Love」がもう圧巻すぎて優勝というしかない。シカゴのディープ・ハウサー、ラリー・ハードが1992年にミスター・フィンガーズ名義で発表したアルバム『Introduction』収録曲のカヴァーである。ここでの甲田のヴォーカルはオリジナルのラリー・ハードのファルセット・ヴォイスの味わいを超えたとあえて言ってしまいたいほどだ。このスムースな音世界をぜひともDSD11.2のシルキー・サウンドで味わってもらいたい。


 パリを拠点に音楽活動を続ける音楽家、三宅純の新作である。ジャズをベースに……という言葉はもはやいらないくらい、三宅の音楽はジャンルを超えた、大げさに言えば“地球規模のサウンドトラック”とでも表現したくなるようなものだ。世界中に三宅の音楽を称えるミュージシャンが存在し、共演して優れた音楽を次々に生み出し、そして世界中のリスナーが彼の音楽で幸せになる……三宅純の音楽はそう、地球規模で人々を幸せにしてくれる素晴らしいものであると断言してしまってもいいだろう。彼の音楽は音楽そのものも、また鳴らされる音響そのもののクオリティも極めてハイレベルなもので、当然のことながらハイレゾとの親和性は高く、当コラムでもDSDでの配信を含む彼のソロ・アルバム『Lost Memory Theatre』シリーズを何度か取り上げてきたが、彼のこのシリーズの最新作『Lost Memory Theatre act-3』はいつのリリースだったかな……と調べて驚愕。なんと2017年11月、あれからもう4年もたっているとは。このソロ作以降、三宅のハイレゾ・リリースはサウンドトラック中心となった。2019年にはNHKの8Kスペシャルドラマ『浮世の画家』と松竹映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』の、2020年にはレジス・ロワンサル監督の映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』のサウンドトラック・アルバムをハイレゾ・リリースしていたし、また三宅のコラボレーターであるヴォーカリスト、勝沼恭子が三宅との共同名義で2019年末にリリースしたアルバム『COLOMENA』もあったので、それほど間が空いた感じはしなかったのだが、この4年ぶりのソロ・アルバム『Whispered Garden』は、これまでになく刷新された三宅ワールドを全面的に展開していて感動的と言うしかない。世界的なコロナ禍で録音は難航したようだが、出来上がった作品はこれまでの三宅のソロ作をさらに上回る地球規模の内容だった。ジャズ・サックスの第一人者デイヴ・リーブマンをはじめ、リサ・パピノー、アルチュール・アッシュ、ヴィニシウス・カントゥアーリア、コスミック・ヴォイセズ・フロム・ブルガリアといったミュージシャンたちが参加。パリ、東京、ニューヨーク、リオデジャネイロ、バルセロナ、ブルガリアなど、世界各地のミュージシャンとコラボレートした全16曲がハイレゾ(48kHz/24bit)で楽しめる。今回はややスペック的に寂しい気もするが、コロナ禍の中での録音ということもあるのかもしれないし、この圧倒的な音楽の前にはスペックなど大きな問題ではないだろう。

“えっ、これベートーヴェン?”と戸惑うエリーザベト・ソンバールによるピアノ協奏曲
文/長谷川教通



 エリーザベト・ソンバールって? おそらく日本ではほとんど知られていないのではないだろうか。1958年にフランス、ストラスブールで生まれた名女流ピアニスト。ピエール・ヴァレー指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と演奏したベートーヴェンの協奏曲集だ。2019年、2020年にロンドンのカドガン・ホールでセッション録音されている。初めて聴いた人は“えっ、これベートーヴェン?”と戸惑うかもしれない。テンポは遅めで、ピアノの音色が美しくて、高音域が煌めいていて歌わせ方があまりにエレガント。速いパッセージは真珠を転がすように連なっている。「皇帝」の冒頭にも猛々しさはないし、ヴィルトゥオージティとは無縁。どこをとっても押しつけがましさはなく、細やかなニュアンスに彩られている。スピード感や才気走った指回しで弾き飛ばす演奏とはまったく次元が異なる。ベートーヴェンに対する厳めしい先入観は完璧に打ち砕かれてしまう。第3番や第5番の第2楽章を聴いてほしい。穏やかな日差しが差し込む部屋でセンスの良い調度品に囲まれながらピアノを奏でているような……むやみに鍵盤を打ち込むのではなく、むしろそっと指を置いていくようなタッチ。フレーズの終わりにスッとテンポを落として弱音で沈めるように、そして時にはズンと低音のアクセントを入れるといった遊び心もあって、いつの間にか心地よい響きの世界に引き込まれていく。三重協奏曲もいい。ヴァイオリンはコンマス、チェロはトップ奏者。それぞれオケのメンバーとピアニストが親しげに共演する。この曲は3人の大物ソリストが競い合う演奏よりも、まるで合奏協奏曲のようにオケの響きと融合するのが好ましい。ちなみにソンバールはクラシック音楽を多様な聴衆と共有したいと、1988年に「レゾナンス財団」を立ち上げ、病院や孤児院、刑務所などで年間500回を超えるコンサートを行なっているという。現代の音楽マーケットの潮流とは真逆とも言える活動と、そうした美意識から生まれる表現だからこそ、ベートーヴェンの音楽から新たな表情を発見することができるのではないだろうか。


 現役最高と言われるメゾ・ソプラノ、エリーナ・ガランチャが2020年と2021年のザルツブルク音楽祭でワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」とマーラー「リュッケルト歌曲集」を歌った。そのすばらしさは、音楽ファンならすでに聞き及んでいるに違いない。オケはクリスティアン・ティーレマン指揮するウィーン・フィル。これ以上は望めない組み合わせだ。そして96kHz/24bitのハイレゾ音源が配信されたのだから、まさに待った甲斐がありました! ガランチャの魅力は何と言っても中音域から低音域にかけての深い声による強い表現力、そして艶やかに伸びてくる高音域。声そのものに表情がある。「ヴェーゼンドンク歌曲集」の冒頭、オケの前奏から「子供の頃……」と歌い始め「Engeln Sangen」で声が伸び、いっきに詩の世界に引き込まれてしまう。3曲目の「温室にて」までくると、まさに「トリスタンとイゾルデ」にも通じる濃密な表現が漂い出す。もう少し子音をはっきりとか母音を正確にといった指摘があるかもしれないが、ガランチャは言葉の背後にある内面的な意味を声の表情で歌い出そうとする。そこがすごいし、美しいのだ。そしてマーラーへ。「ほのかな香りをかいだ……」と歌い出す。声のトーンがいくぶん明るく愛らしく変化する。巧い! そして「私がきれいだから愛するの?」「お金持ちだから愛するの?」と歌う。さらに「真夜中に目を覚まして空を見上げた……」「私の詩集を覗かないで……」と続き、エンディングは「私はこの世にはいない」「ひとりぼっちで生きている、私だけの空に、私だけの愛に、私だけの詩の中に……」。「リュッケルト歌曲集」には曲順の指定がないので、それぞれの曲をどうつないでいくかは歌手にとって大切な部分。ガランチャは5曲を一つのドラマのようにとらえることで詩の持つ意味を自分の内面に投影させたのだ。ティーレマンもそのことを理解し、みごとなサポートを聴かせている。





 知る人ぞ知る……ブランディーヌ・ヴェルレの録音がハイレゾで配信された。1970年代のアナログ録音全盛期を経験した音楽ファンにとっては“やった!”という気分。当時はオランダやイギリスの才気あるチェンバリストたちが注目され、その陰で彼女の実力が正当に評価されなかったのではなかという思いもある。ヴェルレは1942年のフランス生まれで、1963年のミュンヘン国際コンクールのチェンバロ部門で1位を獲得。ランドフスカやカークパトリックといったレジェンドたちにも師事するなど、正統派としてのスタイルを叩き込まれた継承者だった。クープランやバッハで数多くの名演を遺している。半世紀の時を経てヴェルレのバッハを聴き直してみると、思いのほか骨太の音楽が聴こえてくる。フランス的な雅さとは違うし、20世紀末の古楽器奏法を牽引した先鋭な表現とも違う。いくぶん遅めのテンポで、一音一音を克明に打ち込んでいく。その打鍵の強さはむしろ男性的と言ってもいいかもしれない。とくに低音弦の打ち込みが痛快!「パルティータ」ではがっしりと構成された音の造形が見えるかのような演奏だ。装飾音も控えめ。それなのに単調さがない。というのも、要所でわずかなテンポの揺らしというか、タメが入って、それが感情の起伏を表現していて、とても味わい深い音楽に仕立てているのだ。「フランス組曲」になると右手の華やかさが際立ってくるが、テンポを大きく揺らすことはなく、低音弦をベースに音を構築する作法に変化はない。でも飾り気のない無骨さの中に、何故か心にしみる曲想が流れてくる。これがヴェルレの個性であり唯一無二の才能なのだろう。「半音階的幻想曲とフーガ」を聴く。これはすごい演奏だ。“魂のこもった……”とは、こういう音楽を言うのだ。感情のたかぶりと音を構築する理性とが融合したすばらしい演奏。弦の響きがクリアで潤いがあり、アナログ録音ならではの深みのあるチェンバロ。オリジナルマスターから192kHz/24bitでデジタル・リマスターされた鮮度の高さをぜひ味わってほしいと思う。

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