[注目タイトル Pick Up] “小菅優が4年の歳月をかけた、多彩な音楽で伝える“四元素” / 「ゴルトベルク変奏曲」がコルトレーンに パイプオルガンとテナー・サックスによる癒しの一作
掲載日:2022年1月25日
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注目タイトル Pick Up
小菅優が4年の歳月をかけた、多彩な音楽で伝える“四元素”
文/長谷川教通




 小菅優が2017年から4年の歳月をかけて取り組んできた“Four Elements=四元素”。この世界の物質は“火・空気(風)・水・土”という4つの要素からできているというギリシア時代からの考え。現代では分子レベル、原子レベルからさらに微細な世界に踏み込んでいるので、いまさら“四元素”もないだろうと考えるかもしれない。でも、現実に人の肌に触れ、人の生き様に寄り添い、ときには苦しみを与える自然を“四元素”ととらえるのは、けっして古びた戯言ではない。実際、19世紀頃まで四元素は本来ヨーロッパやアラブ人たちの概念として定着していたし、それは音楽の世界でも同じこと。
 すでにベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音していた小菅優にとって、その流れをシューベルトにブラームスに……と進めることが妥当だったかもしれない。でも、作曲家別や年代別に演奏するだけでいいのだろうか。自分なりのテーマを掲げて数多くの作曲家の作品を横断的に選んでいくことで、きっと新たな発見につながる。そう考えた小菅は“水(Water)”からスタートさせた。メンデルスゾーンの無言歌とフォーレの舟歌を交互に弾き、ラヴェル、ショパン、武満徹の「雨の樹素描」へ、そしてリスト、ワーグナーへと展開した。さらに“火(Fire)”ではチャイコフスキーの「四季」から「炉端にて」をスタートに、レーガーやドビュッシー、さらにストラヴィンスキーまでプログラムは拡がった。第3弾の“風(Wind)”になると、なんと時代を遡ってダカンやクープランといったフランスのクラヴサン作品からアルバムをスタートさせた。おそらく作曲家や年代をベースにしたプログラミングでは考えられないバリエーションだろう。そしてベートーヴェンの「テンペスト」を経てヤナーチェクへ……。
 最終章の“大地(Earth)”に至り、小菅はシューベルトの「さすらい人幻想曲」、ヤナーチェクのソナタ、ショパンの第3番のソナタという大作を取り上げた。ここでは“水にちなんだ曲”“風を感じさせる曲”“火の暖かさ、希望”といった選曲から、人生の総決算とも言える作品へと突き進んだのだ。この間、彼女が選んだ時代や地域を越えた数多くの作品をコンサート・シリーズで取り上げ、録音することで、人間が音楽に込めた多様で奥深い表現を学び取り、みずからの表現力を掘り下げる糧となったに違いない。その成果が第4弾“大地”に結実したと言えるだろう。



 ようやく、ついに……音楽ファンにとってはいろいろな想いが駆け巡る。諏訪内晶子のバッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」全曲がハイレゾで聴けるのだ。いまやバロック・ヴァイオリンによる演奏がスタンダードであるかのように言われる音楽界だが、諏訪内にそんな演奏をしてほしいとは誰もが思っていないだろうし、彼女はインタビューでも「モダンの楽器と弓で、モダン奏法でバッハを弾く」んだと言っており、それはどんな奏法であっても曲の魅力が出せる。それがバッハだし、自分の奏法で最上の演奏ができるという自信でもあるだろう。じつは2020年に、20年間相棒としてきたストラディヴァリウス「ドルフィン」を返却しているが、次の相棒として出会い、現在弾いている楽器がなんと1732年製のグァルネリ・デル・ジェズなのだ。この名器を弾いて録音する初のアルバムということになる。録音は超優秀! 2021年オランダでの収録だ。
 ソナタ第1番のアダージョ。ゆったりと奏でられるヴァイオリンの音色。すごい! 低音域の迫力はデル・ジェズの特長だが、諏訪内は厚みにふくよかさが加わっている。おそらく無理に弓圧をかけるのではなく、もっとも楽器が豊かに鳴ることを意図した弓使いなのだろう。高音域にかけてもきわめて美音。艶があってピアニシモから強い音色まできれいにつながる。プレストの高速パッセージでもまったく乱れない。とくに重音の美しさは特筆モノで、次々と音程を変化させる部分でも移弦はスムーズだし、すべての音が思うように鳴りきっている。ソナタ第3番の冒頭など、これほど美しい重音奏法は滅多に聴けるものではない。けっしてアグレッシヴであることや強烈な個性で主張する演奏ではない。有名なパルティータ第2番のシャコンヌでは、内に秘めた情熱をヴァイオリンという楽器の音色にのせて訴えかけてくる。繊細でささやくようなピアニシモから、フォルテシモでも気品があって優美さを失うことがない。エンディングではもっと劇的に演奏する演奏も多いけれど、穏やかな表情でしっとりとした情感を漂わせて終えるあたり、いかにも諏訪内らしい。




 トーマス・アデス。いまや現代イギリスを代表する作曲家として世界中の音楽ファンから注目されているが、1971年生まれなので、まだ50歳を超えたばかり。作曲活動に加えピアニストとして、あるいは指揮者として、きわめてエネルギッシュだ。その活動ぶりからベンジャミン・ブリテンの再来とまで評価されている。そのアデスがブリテンの名を冠した室内オーケストラを指揮したベートーヴェンの交響曲全集だ。これは聴かねばなるまい。3つのアルバム構成になっていて、1~3番、4~6番、7~9番のそれぞれに、ベートーヴェンに強く影響されたというアイルランドの作曲家ジェラルド・バリーの作品を組み合わせている。古典としてのベートーヴェンへのリスペクトは言うまでもないが、そうした次元を超えて現代へとつながる音楽の息吹をも表現したいという願いがあるからだろう。
 全体として速いテンポ、アタックの効いたアンサンブル。音楽の勢いがものすごい。だからといってピリオド・オーケストラのようなバロック奏法とは違う。バロック奏法の要素は取り入れているモノの、全体としてはむしろオーソドックスな現代奏法と言える。むやみに先鋭化させるのではなく、曲の持っているエネルギーを引き出すために、速めのテンポと絶妙なコントロールでフレーズを大きく捉え、音楽はダイナミックに展開する。ベートーヴェン特有のたたみかけるような反復と展開がクッキリと見えてくるではないか。それが聴き手の聴覚を刺激するのだ。第5番や第7番はその典型的な例だろう。
 全9曲の中でいちばん面白いのは第6番「田園」かもしれない。冒頭のテンポ感は、そう新幹線なみと言ったらオーバーだけれど、アデスは勢いのあるタクトでグングンとアンサンブルを引っ張っていく。ゆったりとした散歩気分ではない。生き生きと音符が踊り出すような雰囲気。第4楽章の嵐の場面で乱打されるティンパニもすさまじい。金管の鮮やかさはいかにも室内オケの特徴だ。第9番も名演だと思う。重々しさとか、壮大さなどとはひと味違うエネルギッシュなアンサンブルがすばらしい。第4楽章ではジェニファー・フランスなどソリストたちもコーラスも熱演するし、クライマックスなどバイロイトのフルヴェンかと思えるほど疾駆する。録音も優秀だ。ダイナミックレンジも広く、内声部の細かい音型もクリアに録られている。

「ゴルトベルク変奏曲」がコルトレーンに パイプオルガンとテナー・サックスによる癒しの一作
文/國枝志郎

 コロナに明け暮れた昨2021年暮れにリリース(フィジカルCDは12月1日、ハイレゾ配信はクリスマス・イヴ)されたこのアルバムは最近でもっとも驚かされ、感銘を受けた作品だ。
 ほんとうはなにも予備知識なしにこのアルバムを聴き始めてほしいのだが、この文章を読んでいる時点でそれは無理として……アルバムはパイプオルガンによる演奏でヨハン・ゼバスティアン・バッハの有名な「ゴルトベルク変奏曲」のアリアからスタートする。パイプオルガンによる「ゴルトベルク変奏曲」はそれほどめずらしいものではないのだが、最初のアリアの主題提示が終わると、静かにテナー・サックスのオブリガードが入ってくる。えっ、と思う間もなく、続いてまたしてもオルガンで始まるのは……ジョン・コルトレーンの「ワイズ・ワン」!
 本作はパイプオルガンの岩崎良子とテナー・サックスの竹内直によるアルバムである。岩崎はジャズ・ピアニストとしての活動のほかに、小野田良子という名義で聖路加国際大学の聖ルカ礼拝堂オルガニストとしても活動している才人。かつて岩崎は日野皓正のトランペットとオルガンで共演(2017年、ミューザ川崎)した経験を持つという。岩崎はコロナ禍に喘ぐ人々の心を癒すべくこのアルバムの企画を立てた。そしてジャズ・テナーの第一人者である竹内に共演を持ちかけて実現したのが本作である。通常、教会オルガニストとして活動するときは小野田良子名義だが、このアルバムはクラシックとかジャズといった垣根を取り払った地平を表現したいがために岩崎良子名義になっているということも彼女のこのアルバムへの深い思いを表しているようだ。バッハのコラールに新鮮な響きをもたらすテナー・サックスの鮮やかな色彩感。コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」「ナイーマ」「クレッセント」に天上のイメージを添えるパイプオルガンのディープな響き。東京都中央区の聖ルカ教会で7ヵ月をかけ、すべて一発録りで制作されたこのジャンルを超えたアルバムの空気感たっぷりの荘厳な響きはやはりハイレゾ(96kHz/24bit)で楽しみたい。


 ロンドンのダブステップ・シーンを牽引してきた……という言い方はちょっと語弊があるかな。ブリアルの出自はもちろんダブステップではあるのだが、今や彼の立ち位置はダブステップから連想されるそれ(たとえばリズムとか)を遥かに超えるものだ。R&Bのサンプリング(今作にも顕著だが、そこには盛大なスクラッチノイズがソフトウェアで消去されることなく残されている)を軸とした奇妙な浮遊感のある、それでいて深く沈み込んでいく、“闇の”コラージュ・ミュージックである。
 ロンドン・ベースのダブステップ・レーベルであるHyperdubから2005年にデビューしたブリアルのフルレンス・アルバムはじつは現時点でまだ2枚しかない。しかもそれはキャリアの極初期のものだ(2006年の『Burial』と、続く2007年の『Untrue』)。あとはいずれもEPやシングルである。ちなみに2017年のシングル「Subtemple / Beachfires」と「Rodent」、2021年の「Chemz / Dolphinz」はハイレゾ(44.1kHz/24bit)でのリリースもある。また、ベリアルがフォー・テットとトム・ヨークと組んだシングル「Her Revolution / His Rope」は超限定のシングル・リリースであっという間にソールドアウトになった話題盤だが、これもストリーミングサービスにハイレゾ・ヴァージョンが存在するのでぜひチェックしてもらいたい。
 そして今回の『ANTIDAWN EP』だ。タイトルにEPとあるうえに、5曲しか収録されていないのでフルレンス・アルバムとは言い難いかもしれないが、トータルタイムは43分におよぶのである。そしてこのEPはほぼノンビートのアンビエント・タッチだ。ブリアルは最初の2枚のアルバムにアンビエント・インターリュードを収録していて、2010年代後半から2020年代前半にかけて、徐々にビートレスなナンバーに多くのスペースを割くようになった。この『ANTIDAWN EP』はまさに現時点でのそういった流れの集大成と言えるもので、これまでの彼の作品からアトモスフェリックなパッセージを長い一種の組曲に伸ばしたものとでも表現できるだろうか。捉えどころのないブリアルの音楽は、つねに孤独とズレの感情、そして空虚を表現してきたが、本作はその真骨頂だ。何かが起こりそうで、しかしけっして起こらないこのEPは、彼の存在同様、最高に謎めいている。今聴くべき作品。


 カーペンターズの作編曲家であり、キーボーディストでもあったリチャード・カーペンターの最新ソロ・アルバムが最近ポスト・クラシカル的なリリースが続く名門レーベルDeccaから登場となった。カーペンターズは日本で非常に人気が高いためもあってか、このリチャードのソロ新作も日本はフィジカルCDが昨年10月に先行発売されていたものだが、海外でのリリースに合わせてハイレゾ(96kHz/24bit)での配信もスタートした。
 リチャードのソロとしては、1987年の『Time』と1997年の『Pianist, Arranger, Composer, Conductor』(邦題は『新たなる輝き~イエスタデイ・ワンス・モア』)に続く3作目。正直に言うと、リチャードのソロ・アルバムはグループのアルバムに比べるとやはり評価的には厳しいものがあるのも事実で、初ソロ『Time』ではリチャードみずからがリード・ヴォーカルを取ったバンド・サウンドで意欲的なところを見せはするものの、その後しばらく沈黙。10年後の『Pianist~』ではタイトルどおりピアニスト、アレンジャー、作曲家、指揮者を兼務し、「イエスタディ・ワンス・モア」をはじめとする代表的なカーペンターズ・ナンバーと、妹カレンへのトリビュート曲「カレンのテーマ」などの新曲を加え、イージーリスニング的なシンフォニック・アルバムを作り上げた。カーペンターズはイージーリスニングということではないけれど、ヴォーカルやマイルドなロックの要素を取り除いてみると、彼らの音楽がいかに甘くて優しいものであったかがわかる。そこにはカーペンターズにおけるリチャードのアレンジ(ときには作曲)のスキルも披露されていてとてもいいアルバムだと思えるのだが、最終的にはやはり二人のオリジナル・レコードを聴きたいという欲求以外には何も残らないのだということを感じさせてしまう弱点もあった。それから20数年ぶりに出た3作目のソロはやはりカーペンターズのナンバーを中心とした作品集である。しかし前作の豪奢な作りとは打って変わってリチャードのアコースティック・ピアノ1台によるパフォーマンスとなった本作は、BGM的な世界に陥ることなく、カーペンターズの豊かな世界をシンプルに描き出す佳品となった。

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