[こちらハイレゾ商會]第103回 若きモーツァルトの歌劇『ルーチョ・シッラ』をハイレゾで聴く
掲載日:2022年5月10日
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第103回 若きモーツァルトの歌劇『ルーチョ・シッラ』をハイレゾで聴く
絵と文 / 牧野良幸
モーツァルトの歌劇『ルーチョ・シッラ』がハイレゾ配信された。
指揮はフランスの指揮者ロランス・エキルベイ。オーケストラはピリオド楽器のインスラ・オーケストラ。主役のチェチーリオはモーツァルトの時代はカストラートが歌ったが、録音ではカウンターテナーが歌っている。録音は2021年、パリ。
『ルーチョ・シッラ』はモーツァルトが16歳の時に作曲したオペラである。モーツァルトのオペラといえば『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』などが有名で、録音もたくさん残されている。一方で初期のオペラは録音が少なく、聴く機会は少ない。
僕も“モーツァルティアン”を自認しているにも関わらず、初期のオペラは聴いていない。モーツァルトのような早熟な天才ならば、子どもの頃や青年の頃に作曲したオペラも聴かねば、と思いつつ食指が動かなかった。
唯一の例外が18歳の時に作曲した『偽の女庭師』で、『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』のような深みには乏しいが、かわりに若々しく勢いのあるモーツァルトが聴ける。ビートルズに例えるなら「レット・イット・ビー」もいいが「シー・ラヴズ・ユー」のように初期のエネルギッシュな曲に惹かれるのと同じだ。
『ルーチョ・シッラ』はその『偽の女庭師』の前に作曲された、ミラノ宮廷劇場からの依頼によるオペラである。
今回ハイレゾが出たので初めて腰を据えて聴いたのだが、聴いてみるとあの『偽の女庭師』と同じくらい若々しいエネルギーにあふれていて、序曲からすぐに好きになったのだった。こんなにいいオペラならもっと早く聴けばよかったと後悔した。
この頃のモーツァルトはイタリア旅行の影響が大きいのだろう、明るく、流れるような旋律が印象的である。『ルーチョ・シッラ』のケッヘル番号はK.135だが、続くK.136の番号を持つ有名な「ディヴェルティメント ニ長調」の地中海の空のような明るい調べが、このオペラでも聴ける。
ただ、『ルーチョ・シッラ』の台本はそんなに面白いものではない。この頃のオペラはオペラ・セリアと言われ、ギリシャ神話や英雄などが主人公の生真面目なオペラだ。
主人公はローマ帝国の執政官であり独裁者のシッラ。そのシッラが敵対する元老院議員チェチーリオの婚約者ジューニアを愛するが断られる。シッラはそれでもジューニアを手に入れようとするが、最後には人格者となって二人の結婚を許す。権力者が最後に寛容な心を見せるオペラ・セリアにありがちな大円団である。
ローマ時代のシッラと聞いてピンとくる方は少ないだろう。僕も昔はそうだった。でも数年前に塩野七生の『ローマ人の物語』を読んで以来、ローマ時代に興味を持っていたから「ほう、あのシッラのオペラだったのか」と今回は身近に感じた。それもこのオペラを好きになる助けになったかもしれない。
台本はともかく、モーツァルトの音楽は素晴らしいのである。当時は音楽の本場イタリアで認められることを願っていたモーツァルト父子。ミラノからの依頼だから力も入ったことだろう。オペラ・セリアの型を破るような勢いを感じる。
アリアは前奏からモーツァルトらしさが全開である。快活で流れるような旋律は高揚感にあふれ『フィガロの結婚』や『魔笛』のように“モーツァルトを聴く喜び”を与えてくれる。チェンバロの通奏低音も他のオペラよりビートを刻んでいるように感じるのは僕だけだろうか。
明るいアリアの一方で、悲しみを歌うアリアや愛を歌うアリアもある。第3幕の第21曲、チェチーリオのアリア「いとしい瞳よ、涙を流さないでおくれ」などは成熟した曲で、あらためて青年オペラ作曲家の才能に驚く。
ハイレゾで聴いてよかったと思うのは、音楽への感動が音質と一体となったものだからである。歌手が目の前で歌っているようで生々しい。まるで舞台を間近に見ているような感覚だ。
数年前、僕は演奏会形式によるモーツァルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』を池袋の東京芸術劇場で見たことがある。席は中央の前から4列目という、歌手の唾さえ飛んできそうな至近距離で聴いたのだが、その距離だと歌手が放つ音圧に圧倒された。文字どおり歌手の体が共鳴しているのを感じた。
その歌声の迫力がこのハイレゾでも感じられた。さすがにナマで聴いたあのすさまじさには及ばないが、わが家のB&W 804スピーカーもなかなか頑張っている。
合唱も綺麗である。これも距離が近め。舞台の歌手のすぐ後ろにいるかのようである。生々しく、かつ柔らかい。合唱団員のひとりひとりの声がわかるかのような解像度だ。オペラを聴いていて合唱のところでオーディオ的に魅入られたのはこれが初めて。
僕にとって『ルーチョ・シッラ』はこれまでアナログレコードやCDで何度も聴こうと思いつつ、挫折してきたオペラだが、ようやくこのハイレゾで決定盤を手に入れた感じがする。これからも聴き続けるだろう。



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