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ジャズから広がる音楽を聞かせるメアリー・ハルヴォーソンの2枚のアルバム文/國枝志郎
ニューヨークを拠点に活動するコンポーザー / 即興ギタリスト、メアリー・ハルヴォーソンがノンサッチと契約、ハイレゾ(96kHz/24bit)配信とあわせてアルバムを2枚同時にリリースしたことには驚かされた。プロデュースを手がけるのがサンフランシスコのアヴァン・ロック・バンド、ディアフーフのギタリスト、ジョン・ディートリックという点も含めて、である。
ハルヴォーソンは生物学を学ぶために大学に入学したが、その当時教鞭をとっていた前衛サックス奏者のアンソニー・ブラクストンの音楽の授業を聴いた後、予定していた専攻をやめ、ブラクストンの勧めでギタリストになった人である。ブラクストンからは「もっとも重要なことは自分自身の声を見つけること」と教わったという彼女は、そのキャリアを通してその教えに忠実な活動を繰り広げている。ソロ、アンサンブルのリーダー、前衛的なインプロヴィゼイション、ノイジーなインディ・ロック・プレイヤーとのデュオなど、彼女の音楽はジャンルレスで多様なスタイルをまとってはいるものの、しかし一度聴けばそこにはあきらかにハルヴォーソン・サウンドの刻印があることに気がつかされるのである。
ノンサッチからのこの2枚のアルバムはどちらも40分に満たない、やや短めのアルバムである。ジャケットのデザインも趣向が似ているので一見したところでは区別がつけにくいかもしれないが、この2枚は対になる作品集であり、聴いた後ではむしろこのデザインの近似はしっくり来る。
『Amaryllis』はクインテット(トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、ベース、ドラムスとギター)、いっぽうの『Belladonna』はミヴォス四重奏団による弦楽四重奏とギターによる演奏(ミヴォス四重奏団は『Amaryllis』にも一部参加)で、それぞれ独立した作品として聴ける作品である。たしかにそれぞれの演奏時間は長くはないけれど、だからと言って何かが足りないという感覚はない。しかし、この2枚のアルバムを続けて聴いたときの不思議な一体感は格別である。それぞれのアルバムはアンビエント的と言っても過言ではないほどの穏やかさを湛えたものだが、ハルヴォーソンは両アルバムのそれぞれ最後の曲においてそれまで封印してきたディストーション・ペダルを思い切り踏み込んだ強烈なソロを披瀝し、その先にある深淵を聴き手の眼前に提示するのだ。ベースはジャズだが、その音楽の沃野は果てしなくジャンルを超えて広がっている。
繊細で耽美的な美しいサウンドとメロディを紡ぐjanとnaomiによるデュオ・ユニットjan and naomiが、2020年5月に3作目に当たる2枚のアルバム(janのプロデュースによる『Neutrino』と、naomiプロデュースによる『Yes』)をリリースしたのと同時にCOVID-19禍によって活動を制限せざるを得なくなったことは、この2枚のアルバムの素晴らしい出来栄えが、janとnaomiの音楽性がさらなる高みを目指しつつあったことを感じさせてくれるものだっただけにとても残念なことだった。
だがCOVID-19による分断がこの孤高な美しさを持つ作品集を世に問う機会をもたらしたことは僥倖とすら……とは言いすぎかもしれないが、それにしてもこれは、一時的に閉ざされたこの世界に差し込んだ一筋の光のようなものだとすら思える。
その作品集とは、中性的で柔らかな声を持つnaomiがその表現を止めることなく作り上げたnaomi paris tokyo名義による一連のEPのことである。
最初の作品集は2020年12月にリリースされた『21SS』。jan and naomiの3作目のアルバムがリリースされたわずか7ヵ月後に世に出たということが信じ難いほどの完成度の高さに驚かされたものだった。
続く『21FW』はそれから半年ほど経った2021年7月にリリースされた。曲数も前作の4曲から6曲へと増え、作品としての洗練度もより高まった2作目。
そして今回登場したのが3作目となる『22SS』である。
タイトルに使われている「SS」は「Spring / Summer」、「FW」は「Fall / Winter」。アパレルブランドの春夏・秋冬シーズンに合わせてリリースしているような感覚だが、このようなタイトルにすることで、naomiみずからの制作者としての自分を律するような意味もあったに違いない。その音の質感は表面的にはファッションショーに使われてもおかしくないような洗練されたものとも言えるけれど、しかし根底にはもっとパーソナルな心の揺らぎが刻み込まれている。
いちばん新しい『22SS』が、それ以前の2作と違っているとすれば、今まさに変わりつつある(戻りつつある、ではない)世界への希望のような、ほのかにポジティヴなエネルギーが確実に芽生えていることだろう。ピアノにリードされてひそやかに始まる「Sad Vacation」が、ノイジーにはじまるラスト・トラック「Soap」のエンディングで流麗なギターとコーラスに彩られた美しいピアノの残響に収斂していく様に光を感じない聴き手はいないだろう。
マーク・ノップラー率いるイギリスのロック・バンド、ダイアー・ストレイツは、5枚目にして世界中のチャート1位を独占して大ヒットとなったアルバム『ブラザーズ・イン・アームス』(1985年)に続くオリジナル・アルバムを制作することなく、88年に解散を宣言。それに続いてリリースされたのがベスト・アルバム『マネー・フォー・ナッシング』である。その後同バンドは91年に再結成し、ゲストを迎えてスタジオ・アルバムとライヴ・アルバム、ベスト・アルバムを制作するが、やはりダイアー・ストレイツのベスト・アルバムといえば本作が決定盤であることは間違いない。
第1期ダイアー・ストレイツ(1976~88年)は、『悲しきサルタン(原題:Dire Straits)』(1978年)、『コミュニケ』(1979年)、『メイキング・ムーヴィーズ』(1980年)、『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』(1982年)、『ブラザーズ・イン・アームス』(1985年)という5枚のオリジナル・アルバムをリリースしたが、このベスト・アルバムはそれら5枚のオリジナル・アルバム所収のヒット・ナンバーに加え、未発表ライヴ音源やEP収録のリミックス・ヴァージョン、84年にリリースされたライヴ・アルバム『アルケミィ~ダイアー・ストレイツ・ライヴ』収録のライヴ音源など12曲が収録されている。
それぞれのトラックのオリジナルが収録されたスタジオ・アルバムは3作目の『メイキング・ムーヴィーズ』以外はハイレゾでの配信もされている。今回の『マネー・フォー・ナッシング』も含めてすべてが192kHz/24bitという高音質で配信されているのは素晴らしいが、オリジナル盤の配信は今から10年前の2012年になされたものだった。それに対して今回のベストは2022年に新たにリマスターされた音源で構成されており、実際聴いてみても奥行き、広がりなどすべてにおいて今回の新しいマスターの高音質化は顕著で、マーク・ノップラーの乾いたギター・サウンドの質感からは、ギターのグレードをあげたような感覚を受けるほど。あらためてその至芸に触れるには格好のベスト盤だ。
わずか12年の活動期間にジャクリーヌ・デュ・プレが残した永遠の輝き文/長谷川教通
クラシック音楽ファンにとってジャクリーヌ・デュ・プレは特別な存在だ。1987年に42歳で亡くなった天才チェリストの生涯は、あまりに鮮烈で輝かしく、一方で多発性硬化症という不治の病にかかって夭逝してしまう……それはあまりに過酷で哀しい。61年に16歳で衝撃のロンドン・デビューを果たし、その激しく感情のあふれ出す演奏で聴衆を虜にしてしまった。65年にジョン・バルビローリの指揮で録音したエルガーのチェロ協奏曲は、録音から半世紀以上が経過しても唯一無二の演奏と評価され、それまでそれほどの人気曲ではなかったこの曲を、もっとも愛される作品へと押し上げた。それが20歳のときだった。その後の活躍ぶりはすさまじいばかり。でも不治の病が忍び寄っていた。26歳の頃から指先の感覚が鈍くなってきたことに気づいたというが、症状は徐々に悪化し、1973年には来日したものの満足のいく演奏ができる体調ではなく、公演はすべてキャンセルとなり、それ以後演奏活動から身を引いてしまった。まだ28歳という若さだったのに……。
彼女の演奏活動期間はわずか12年ほど。その間、多くの作品を旧EMIに録音しており、最新のデジタル・リマスターされたハイレゾ音源が次々と配信されているのは嬉しい。それらの中からジャクリーヌ・デュ・プレの魅力を5時間を超える収録時間に詰め込んだハイレゾ・アルバムが『Joy of the Cello』のタイトルで配信されている。エルガーのチェロ協奏曲はもちろん、ドヴォルザーク、サン=サーンスのチェロ協奏曲はそれぞれ全曲が収録され、シューマンやハイドン、ボッケリーニ、ディーリアスやめずらしいゲオルグ・マティアス・モンの協奏曲の抜粋、ブルッフの「コル・ニドライ」など、その多くは彼女が21歳で結婚したダニエル・バレンボイムの指揮で収録され、さらにバレンボイムのピアノでバッハやベートーヴェンやブラームス、フランクのチェロ・ソナタからの抜粋、ピンカス・スーカーマンのヴァイオリンが加わったベートーヴェンのピアノ三重奏曲の抜粋、そしてフォーレやシューマン、メンデルスゾーンなどの小品……とジャクリーヌ・デュ・プレの全盛期をカバーするプログラムとなっている。
彼女のチェロは感情的過ぎると評されることもあるが、たしかに感情の高ぶりに合わせていくぶん音程が甘くなったりボウイングが粗くなったりするけれど、彼女は正確無比な演奏を心がけたわけじゃなく、曲にのめり込むように感情をぶつけて、チェロから音を絞り出す、そのウェイトのかかった音色と精一杯の表現が伝わるからこそ聴き手は胸がいっぱいになるほど感動するのだ。そこが天才であることの証。それがなかったらデュ・プレじゃない。巧くて正確なだけの演奏ならいくらでもある。半世紀前の録音であり、最新のデジタル録音と比べれば解像度もダイナミックレンジもS/N感も劣るけれど、嬉しいことにハイレゾ音源ではチェロの生々しさがはっきりと聴きとれる。少々を音量をあげてみれば、ドヴォルザークやサン=サーンスでの生き生きとした弾きっぷりが手に取るように伝わってくる。協奏曲だけでなくバレンボイムがピアノを弾いたベートーヴェンのチェロ・ソナタやスーカーマンのヴァイオリンが加わったピアノ三重奏曲も聴きものだ。協奏曲の指揮では奔放なチェロに合わせて熱くタクトを振っていたのが、ピアノとなると「ここはオレの出番だ!」とばかりに演奏をリードする。若い仲間による溌剌としたアンサンブルが愉しい。もし演奏が気に入ったら、ぜひ全曲の音源を手に入れてほしいと思う。ブラームスやラフマニノフのチェロ・ソナタも名演!
まず収録曲をチェックしてほしい。クラリネット三重奏曲といえば、まずベートーヴェンの作品11「街の歌」が思い起こされるけれど、ジャンルとしてはそれほどポピュラーではない? などと思っていたら、アンソロジーとしてまとめられた96kHz/24bitのハイレゾ音源のアルバムにはCDで7枚分にも及ぶ作品がずらりと並んでいる。2019年末に中国の武漢から拡散した新型コロナウィルス。そのパンデミックの真っ最中。ヨーロッパの各都市では軒並みロックダウンとなり、音楽活動も休止に追い込まれてしまった。出口の見えない中でも音楽家たちは「自分に何ができるか」を模索していた。そこから生み出された『ザ・クラリネット・トリオ・アンソロジー』は、ウィーン・フィルの首席奏者ダニエル・オッテンザマーのクラリネットを中心にベルリン・フィルのシュテファン・コンツのチェロとスーパーアンサンブル「フィルハーモニクス」のピアニストでもあるクリストフ・トラクスラーが組んで、クラリネット三重奏の世界を探求するという果敢で刺激的な旅だ。
2020年の7月にベートーヴェン「街の歌」とブラームスのクラリネット三重奏曲が録音され、2021年に入ってからは9月まで断続的に録音を行う。おそらく大量の楽譜を集め、それぞれの作品ごとに検討を重ねて練習し、その間に迷いもあり、意見のぶつかり合いもあり、新しい発見に心躍らせることもあっただろう。そのような集中した時間を共有できたことは、3人の音楽家にとってかけがえのない成果となったに違いない。「街の歌」ではいかにもウィーン魂! という味わいを聴かせ、ブラームス晩年の深々とした世界にも心打たれる。シェーンベルクのわずか30秒あまりの断片も、こんな優しい旋律を書いていたんだと気がつくし、ツェムリンスキーの濃密でロマンティックな音楽。そしてチェルハ、フリューリングへ続くウィーンならではの流れを辿る。ベートーヴェンの弟子でもあったフェルディナント・リースの「三重奏曲」も聴ける。マックス・ブルッフの「8つの小品」はノスタルジックな旋律と愛らしいリズムが聴きどころ。こういう小品を情感豊かに演奏するあたり、さすが3人の名手ならではの技だ。
フランスの女流作曲家ルイーズ・ファランクの作品がいい。聴いたことのある人は少ないと思うが、アダージョ楽章でチェロの導入からクラリネットが引き継ぐ旋律にいかにも優雅さが漂っていて、これは新鮮な感覚だ。ロシアではグリンカの「悲愴三重奏」やパウル・ユオンの「4つのトリオ・ミニアチュール」など、演奏される機会の少ない作品も聴けるし、さらに韓国のユン・イサン、イタリアのニーノ・ロータ、イギリスへ渡ってジョン・アイアランド、マーク=アンソニー・タネージ、アメリカのロバート・ムチンスキーなど現代作曲家へ移り、デンマークのペア・ノアゴー、フィンランドのマグヌス・リンドベルイに至って壮大な旅も終わりを迎える。クラリネット三重奏という演奏スタイルがヨーロッパ全域、さらにアメリカやアジアを含めた各地域へどのように伝播し、それぞれの地域でどんな新しい表現へとつながっていったのか、それを深く掘り下げたアルバムだ。伝統を伝える音楽家たちのエネルギーと、それによって生み出される多様な展開や斬新な感覚の発露……音楽のすばらしさを再認識させてくれる。パンデミックの中でも音楽家の情熱が消えることはなかったのだ。録音は明瞭で濁りがなく、空間の再現性がすばらしい。最新のデジタル録音でなければこれだけのピュアな質感は再現できないだろう。
ヨーロッパの音楽界で次世代の巨匠にいたる階段を真っ先に駆け上がっていると熱い視線が投げかけられていたトゥガン・ソヒエフ。2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻によって、世界のクラシック音楽界は大きく揺れた。2月25日にニューヨークのカーネギー・ホールで予定されていたウィーン・フィルの公演で、プーチン大統領と親しい関係にあるとされる指揮者ヴァレリー・ゲルギエフと、ソリストに予定されていたピアニストのデニス・マツーエフは降板を余儀なくされた。ゲルギエフのミラノでの公演は中止となり、ミュンヘンでのポジションも解任された。彼らだけではない。ロシアの音楽家は厳しい状況におかれ、ソフィエフも例外ではなかった。彼はトゥールーズ・キャピトール国立管とボリショイ劇場の音楽監督を兼任していたが、ロシアの侵攻に対して明確な立場を表明すべきたとトゥールーズ市側から迫られ、両方のポジションを辞任した。
ソヒエフとトゥールーズ管によるショスタコーヴィチは2019年12月に交響曲第8番が録音されており、戦争の悲惨さや残忍さや無力感を壮大な音響の中に多層的に織り込んだ作品をみごとな指揮で表現して聴き手を感動させてくれたが、続いて2021年9月に収録された第10番も超級の名演となった。冒頭の弦合奏のゾクゾクするような響きのすばらしさ。厚みがあるのに鈍重さはない。木管の美しさも特筆もので、録音の良さでもあるがとにかく各楽器の出し入れがものすごく巧い。木管ソロがスーッと前に出てくると、その背後で弦の合奏が鳴る……そんなパースペクティブな音場感が描き出される。たとえばムラヴィンスキーが指揮する極度に張りつめたモノトーンの緊張感、その救いようのない虚無感に対して、ソヒエフの響きにはいくぶん色彩を感じさせるものがある。そこにわずかな救いがある。第2楽章の躍動するリズムの迫力も凄い。フォルテッシモの轟音でもあくまで響きは透明で濁りがない。第3楽章も美しい。第10番はカラヤンが唯一録音を遺したショスタコーヴィチの交響曲として知られるが、もちろんカラヤンの美しさとは違う。ソヒエフはオケの団員に対して、この音の一つひとつに込められた人々の苦しみや哀しみを懇々と話していたという。作品に対する思い入れの深さでは、おそらく誰にも負けないだろう。フランスのオケからこれほどの響きを引き出す手腕には脱帽だし、ショスタコーヴィチの交響曲に新しい光を当てる解釈だと言っていい。プーチンの戦争がなければ、ソヒエフとトゥールーズ管の組み合わせによって新しい金字塔が打ち立てられたかもしれない。
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