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第105回 ネルソンスのR.シュトラウス管弦楽曲集をハイレゾで聴く
アンドリス・ネルソンスがリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲集をリリースした。録音は2017年から2021年にかけて。ハイレゾはflacとMQA(いずれも96kHz/24bit)で配信されている。オーケストラはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とボストン交響楽団を振り分けている。どちらも生前に作曲家と関係のあったオーケストラだ。
僕は一応バロックから現代音楽まで聴くリスナーだが、R.シュトラウスの管弦楽曲は長い間聴くことがなかった。しかし一方で同じ作曲家のオペラ『ばらの騎士』や『4つの最後の歌』などの声楽曲は若い時から好きだった。これだけ聴くジャンルに偏りがある作曲家も珍しかった。
しかし近年、R.シュトラウスの管弦楽曲をよく聴いている。きっかけは初期のオペラ『サロメ』や『エレクトラ』を聴いてノックアウトされたことだった。それまでR.シュトラウスを保守的な作曲家だと思っていたが、バルトークやストラヴィンスキーにも劣らず過激である。ならばオペラ作曲家に転身する以前の交響詩やその他の管弦楽曲も面白いに違いないと思ったのだ。
それで70年代録音のルドルフ・ケンペの演奏を聴いていたが、最新録音でもそろえたいと思っていたところにネルソンスの管弦楽曲集が配信されたのである。
収録曲はCDにして7枚分のヴォリューム。とても全部は取り上げられないので今回はその中から「アルプス交響曲」を取り上げよう。オーケストラはボストン交響楽団である。
僕が「アルプス交響曲」を初めて聴いたのは40年前、二十代の頃だ。カラヤンの初期デジタル録音によるレコードだった。曲はアルプスの情景を管弦楽で描写しているわけだが、当時はアルプスの写真がデザインされたLPジャケットとあわせて“通俗的だなあ”と思ったものだ。
そんな先入観があったからレコードを聴いても感銘を受けなかった。ここからR.シュトラウスの管弦楽曲と距離を置いたのだと思う。もちろんカラヤンの演奏に問題があったわけではない。若気の至りだったのだ。
ひるがえって現在、興味を持って聴く「アルプス交響曲」は非常に面白い。管弦楽による自然描写は“うまいなあ”と感心するばかりである。純粋な管弦楽曲としても面白い。
芸術の価値は自分の考え方次第でどうとでも変わる、とつくづく思う。映画『2001年宇宙の旅』の最初に使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」にしても、若い頃は“いいのは映画で使われたところだけ”と皮肉っていたのに、興味を持って聴く今は“映画で使われた部分以降がいいのだ”と思っている。
最初は「夜」。夜のとばりをあらわすような静けさ。ヴォリュームを上げないと動きがわからないほどにピアニッシモである。音楽は徐々に音量を増して、明るく壮大な「日の出」とつながる。見事なオープニングだ。この時に流れる〈太陽の動機〉は「アルプス交響曲」のテーマと言ってもいいほど印象深い。
この交響曲にはその他〈小川の動機〉や〈滝の動機〉など、自然を描写する動機がたくさん出てくる。形を変えて何度もあらわれるものもある。
〈岩場の動機〉は、年配の方なら『ウルトラセブン』の主題歌と似ていると思うだろう。“パパー、パパー”というフレーズは、何度聴いても“セブーン、セブーン”と頭の中で歌ってしまう。これもまた「アルプス交響曲」のお楽しみの一つである。
やがて登山家は山の牧場を訪れる。カウベルの音が牛たちの姿を想起させる。若い頃ならクラシックにカウベルなんて子どもだましと見下しただろうけれど、マーラーが交響曲第7番でカウベルを使っているのを知っている今はアリである。実際、管弦楽曲の中にカウベルがあらわれる効果は大きい。ポップアートに接した時のような刺激がある。
しかし最大の盛り上がりは「頂上にて」だろう。氷河や危険な岩場を切り抜けて頂上にたどり着いた登山家の喜びが強奏される。〈太陽の動機〉や〈岩場の動機〉も出てきて盛り上がる。
ハイレゾは弦楽器は繊細に、金管楽器は華やかに、木管楽器は細やかにと描き分けが素晴らしい。アルプスが登山家を魅了するように「アルプス交響曲」の音はオーディオファイルを魅惑する。ダイナミックレンジが大きいのも特徴だ。ハイレゾではピアニッシモからフォルテッシモまでの幅が非常に大きい。
曲は後半に入る。太陽が陰りはじめてきた。「嵐の前の静けさ」と続く「雷雨と嵐、下山」もこの交響曲の聴きどころだ。
交響曲で嵐といえばベートーヴェンの「田園」が有名だが、R.シュトラウスの嵐はもっとスケールが大きい。管弦楽が雨や風を描写する。そこにバスドラの雷鳴。ウインドマシーンの風の音。オルガンも加わる。これだけ楽器が重なっても各パートの動きが粒立ちよく聴けた。
嵐が収まるといよいよエンディングである。「日没」はワーグナーばりのメロディで、R.シュトラウスが後期ロマン派の作曲家であることをあらためて感じさせる。この曲に限らずR.シュトラウスには通俗性を感じるところもあれば、極上の陶酔感を感じるところがあり、そこが面白い。
最後は最初と同じ「夜」。こうしてアルプスの一日が終わった。再び静寂が訪れ消えるように曲は終わる。
「アルプス交響曲」はR.シュトラウスが描いた壮大な音楽絵巻だ。曲の面白さだけならYouTubeで聴いてもわかるだろう。しかし大編成のオーケストラが放つ圧倒的な迫力、深み、ダイナミックレンジは高音質で聴いてこそ体感できる。
ネルソンの録音した『リヒャルト・シュトラウス管弦楽曲集』には、他にも「ツァラトゥストラはかく語りき」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」などの有名な交響詩、オペラからの管弦楽曲など“ハイレゾ映え”する曲ばかりである。ぜひ聴いていただきたい。