こちらハイレゾ商會
第110回 レコード史に輝くショルティの“指環”がオリジナル・マスターテープからリマスター
サー・ゲオルグ・ショルティとウィーン・フィルによる歴史的録音、ワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲が2022年にリマスターされた。その第一弾として四部作のうち序夜の「ラインの黄金」がハイレゾ配信されたので取り上げてみる。
クラシックのソフトには新しいメディアで登場するたびに非常に話題になる録音がある。一つはフルトヴェングラーの旧EMI録音。そしてもう一つがこのショルティの“指環”だ。1980年代、夢のメディアと宣伝されたCDでリリースされれば話題となり、21世紀に入るとSACD化が話題となった。もちろんハイレゾでも話題となった。
他にもあると思うが、ダントツの話題となるとこの2つだと思う。長年クラシックを聴いてきた僕の実感である。クラシック初心者の頃はその騒ぎを見るにつけ「何を大騒ぎしているの?」と思ったものだが、中年になりフルトヴェングラーの録音やワーグナーのオペラをこつこつと聴き愛聴するようになると(どちらも年月がかかる)、確かにみんなが大騒ぎするのがわかった。高音質のメディアで出るたびに聴きたくなる。
ショルティの『ニーベルングの指環』全曲は1958年に録音された「ラインの黄金」を皮切りに1965年までかけて制作された。そのステレオ録音の完成度、歌手と演奏の素晴らしさで世界中で称賛された。同時にデッカのプロデューサー、ジョン・カルショーの名前もレコード史に刻まれることになる。
この“指環”は2012年にリマスターされハイレゾ化されている。しかしその時使用された音源は1997年制作のデジタル音源だった。オリジナルのアナログ・マスターテープは状態が悪くて使えず、次善策としてデジタル・アーカイヴを使用したという。元音源がデジタルというところがすっきりしなかったが、当時としては先見的に24bitだったのを幸いと思うことにした。
しかしである。今回の2022年リマスターに使用されたのは、なんとオリジナルのアナログ・マスターテープである。この情報を読んだ時、えっと驚いた。なんでも最新技術により損傷部分を修復できたのだそうだ。10年もたつと修復技術も進歩するらしい。朗報である。
ということで「ラインの黄金」。今回のリマスターと2012年リマスター(以下旧リマスター)を聴き比べてみた。どちらもハイレゾだが2022年リマスターは192kHz/24bit、旧リマスターは44.1kHz/24bitである。
まずは冒頭の低音の開始部からラインの水底の場面にかけて。ウィーン・フィルの弦のゴリゴリ感が、これぞデッカ録音という感じで快感なのだが、今回のリマスターは旧リマスターよりコントラストが柔らかくなり、弦楽にきめ細やかなニュアンスが出た。これを聴くと旧リマスターでさえデジタル感があったのかと思う。同時に大好きなデッカ録音がゴリゴリ感だけではなかったのだと知る。低域のエネルギー感は相変わらずあるので安心されたし。
第2場の最初、ヴォータン(ジョージ・ロンドン)とフリッカ(キルステン・フラグスタート)のやりとりでは、声楽が若干前に出ているように思う。旧リマスターが舞台の奥で方で歌っている感じなら、今回のリマスターは舞台の前の方で歌っている感じだ。
第3場、地下のニーベルハイムへヴォータンたちが下りていく場面。金管は相変わらず炸裂して迫力がある。しかし旧リマスターほどキンキンとした音ではない。他の音と溶け合うような精細さを含む。木管も同様。弦楽と一体になり、うねるようなウィーン・フィルのサウンドが聴ける。これは全編で言えることだ。
この場面ではウィーン中から集められた金床が18個使われ、ウィーン・フィルの打楽器奏者によって演奏(?)されているが、この音も旧リマスターよりも若干大きくなった気がする。解像度、コントラストが増し、より金属的な音になって、カルショーの演出がようやく狙い通りになったのではないか。
最後のヴォータンら神々がヴァルハラ城に入場する場面。ラインの乙女たちの歌声は遠方から聞こえる演出だが、空間が柔らかくなったせいか距離感、遠近感を感じるようになった。
以上、全体を聴いたわけではないけれども、僕としては予想以上の差を実感した。この差が音源元であるオリジナルのアナログ・マスターテープとデジタル音源の差なのか、それともリマスター技術の差なのか、はたまたハイレゾの198kHzと44.1kHzの差が関係しているのかわからないが、この違いを知ってしまうと、どうしてもこれからは2022年リマスターで聴きたくなる。ショルティのキレキレの指揮、そしてカルショーによる素晴らしいステレオ録音(1958年にこれが制作されたのは驚きである)が見事に再生されるリマスターだと思う。
実のところ“指環”のなかでは、「ワルキューレ」と「神々のたそがれ」をよく聴いて、「ラインの黄金」は聴くことが少ない。巨人などが出てきて視覚的には舞台映えするけれども、音楽だけでも恍惚とするキメの名シーンがなく(あくまで「ワルキューレ」や「神々のたそがれ」と比べての話だが)、僕の場合、音楽ソフトで聴くことは少ない。
しかしこのショルティ盤「ラインの黄金」だけは別だった。音楽だけ聴いても面白い。そしてオーディオの楽しみとして聴いても面白い。「ラインの黄金」には現在まで数多くの名盤、優秀録音があるが、なぜかカルショーの録音ほどには興奮しない。先ほどキメの名シーンがないと乱暴なことを書いてしまったが、ショルティ盤においては演奏と録音の両方で全場面が名シーンなのだ。
となると続く「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々のたそがれ」も楽しみである。20世紀を代表するワーグナー歌手が続々と登場する。そしてカルショーの名ステレオ録音。あらためてその偉業を実感するリマスターになることだろう。