[こちらハイレゾ商會]第112回 マイルス・デイヴィス復活の証明『ウィ・ウォント・マイルス』
掲載日:2023年2月14日
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第112回 マイルス・デイヴィス復活の証明『ウィ・ウォント・マイルス』
絵と文 / 牧野良幸
マイルス・デイヴィスのアルバムがリマスターされハイレゾ配信されている。近いところでは第2期黄金クインテットの『ネフェルティティ』『フォア&モア』『E.S.P.』などが配信された。他にも70年代の『ビッグ・ファン』、そして80年代のカムバック後のアルバムも配信されている。
そこで今回はマイルスのハイレゾを取り上げたい。1981年の『ウィ・ウォント・マイルス』である。これも2022年リマスターされハイレゾ配信された。ファイル形式はflac192kHz/24bitだ。
『ウィ・ウォント・マイルス』は1980年のカムバック後に行なったワールド・ツアーからの演奏を収録したライヴ・アルバムである。プロデュースはテオ・マセロ。
僕にとって『ウィ・ウォント・マイルス』はマイルスの数ある作品の中でも思い出深いアルバムだ。
日本の新宿での演奏が収録され話題となった。ジャケット写真やアルバム・タイトルも日本公演のポスターで使われたものを来日したマイルスが気に入って採用されたらしい。そんな話もあって日本人には70年代の大阪公演を収録した『アガルタ』『パンゲア』と同じくらい誇らしいライヴアルバムだろう。僕も発売時にLPレコードを買って田端の四畳半の下宿でよく聴いた。
もうひとつこのアルバムが思い出深い理由として、マイルスの新宿での公演を実際に見たこともあげられる。といっても観客としてではないのだが……。
会場は当時新宿西口広場と呼ばれた空き地だった。そこに野外ステージをこしらえて会場にしたのだ。ならば周りの高架道路からステージが見えるのではないか。そう思った僕は高島平でのバイトを終えるやすぐに新宿に向かった。
新宿駅の西口を出て高層ビル街に向かうと人がやたら多い。会場周辺は同じようなことを考える野次馬でごった返していた。無数の黒い影がベストポジションを求めてうごめいている。まるで花火大会の夜のようだ。僕はたまたま高架下の塀越しにステージがのぞけるところを見つけた(何せ当時は貧乏暮らし、1985年のライヴ・アンダー・ザ・スカイ公演はちゃんとチケットを買ったので許していただきたい)。
このライヴを見た人がみな書いているように、ステージのマイルスは体調が悪いのが遠くからでも分かった。病人のような歩みでトランペットを吹くマイルスは痛々しく、カムバックに対する喜びは消え、もうマイルスはおしまいだ、という悲壮感の方が強かった。
『ウィ・ウォント・マイルス』の1曲目と4曲目に収録されている「ジャン・ピエール」がその時の新宿での演奏で、聴くたびに新宿高層ビルの夜景とマイルスの弱々しい姿を思い出す。
ハイレゾではマーカス・ミラーのベース、アル・フォスターのドラム、ミノ・シネルのパーカッションが強く引き締まった音でマイルスのトランペットを圧倒する。マイルスの非力なトランペットもハイレゾでは案外芯があるのではないか、と思いたくなるが、長年「ジャン・ピエール」をLPレコードですり込んできた僕にはこのバランスで構わない。透明な空気感も印象的だ
マイルスの不調から書き始めたが、本作には新宿でのライヴ以外は完全に復帰したマイルスの演奏が収められている。ニューヨークで収録された「バック・シート・ベティ」、ボストンで収録された「ファスト・トラック」「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」「キックス」だ。
こちらのマイルスはすごい。バリバリ吹く。ハイトーンも出る。新宿での不調が一時的だったことをこのライヴ・アルバムはすぐに証明したわけで、復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』に半信半疑だった人も含めてファンは安心した。『ウィ・ウォント・マイルス』こそマイルスが長年のブランクから完全復帰したことを証明した作品だった。
アナログ・レコードの時から『ウィ・ウォント・マイルス』は音が良いという感触を持った。80年代に始まったと思う音圧が出るカッティング。それをデジタルのような鮮明な音と宣伝されたMCカートリッジで聴いたのが当時。タイトで迫力のある音が好きだった。ハイレゾはさらに一皮剥けたサウンドになったと思う。どの曲もまずはマーカス・ミラーのビシビシとはじくベース音にうなる。
ニューヨークとボストンの演奏は新宿よりも小さい会場なので観客と一体感を感じる。歓声や掛け声が妙に演奏とハマっているところもこの録音の魅力だ。LPでは片面全部に収められた「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」は澄んだ空気感のなかバラードで始まり、途中アップテンポとなりマイルスはミュートでもオープンでも吹きまくる。
同じくLPでは片面全部になる「キックス」もレゲエ風に始めながら、フォービートに変わるとグイグイ押してくるところが圧巻だ。ここでもマイルスは新宿での演奏が嘘のように吹きまくる。まさかマイルスが懐古趣味ではなかろうが、もしエレクトリック・ギターの代わりにピアノだったら第二期黄金クインテットの演奏のようである。
僕には復帰後のマイルスが『アガルタ』のような音の洪水ではなく、タイトでスペースのある音楽に変貌したのは歓迎だった。まさかここからポップ・ミュージック、ヒップホップへの接近が始まるとは想像もしなかったが、80年代もマイルスはジャズの歴史を変えるのではないかという期待を抱かせた。
それはマイルスが新たに起用した新人にも言えて、ギターのマイク・スターンとサックスのビル・エヴァンスは、“ジョン・コルトレーンのように未来の大物になるに違いない”という期待が来日前からふくらんでいた。実際はベースのマーカス・ミラーの方がどんどん有名になっていったと思うけれど、今でも本作でのマイク・スターンとビル・エヴァンスの演奏は好きだ。二人の奏したフレーズはマイルスのトランペットと同じくらい染み込んでいる。さまざまな刻みを駆使したアル・フォスターのドラムも好きである。
マイルスの80年代のライヴ・アルバムは他にもあるが、本作は新宿での演奏を含めて、というか新宿での演奏があるせいで退屈しない。ジャズ好きとロック好きのどちらにも好まれそうだし、エレクトリック化したマイルスの中ではいちばんストレートな演奏をしている時期ではないか。アルバムがグラミー賞を受賞したのはもっともだと思う。発売から40年以上たったところで、これからはハイレゾで聴いていきたい。

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