[注目タイトル Pick Up]『淫力魔人』のイギー・ミックスとボウイ・ミックスを聴き比べ / 20年以上にわたるMETでの録音に聴くフレミングの表現力の強さ、美しさ、奥深さ
掲載日:2023年2月28日
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注目タイトル Pick Up
『淫力魔人』のイギー・ミックスとボウイ・ミックスを聴き比べ
文/國枝志郎

 オリジナル・ベーシストを欠きながらもいまだ現役で気を吐くイギリスのロック・バンド、ニュー・オーダー。しかし、やはりこのバンドの真骨頂はバーナード・サムナー、ピーター・フック、ジリアン・ギルバート、スティーヴン・モリスの4人が揃ってこそ生まれるマジックであることは間違いない。21世紀になってからもこの4人によるアルバムは制作されたものの、やはり彼らのベストは彼らの所属レーベル、ファクトリーからのリリースとなった1981年の『ムーブメント』から1989年の『テクニーク』までの5枚のアルバムだったと思う。2015年にはこれら5枚のオリジナル・アルバムにリミックスやシングル・ヴァージョンなどを加えたディスク2を含む「Collector's Edition」がリリースされていたが、2019年からはオリジナル・アルバムに加え、未発表音源を多数収録したボーナスCD、当時のライヴ映像などを多数収録したDVDとハードカバーのブックレットから成る豪華なLPサイズの「Definitive Edition」のリリースが始まった。すでに『ムーブメント』(1980年作)、『権力の美学』(1983年作)と順調にリリースが進み、2023年1月にはサード・アルバムにして彼らの最高傑作との呼び声も高い『ロウ・ライフ』が同エディションとして登場した。今回のこのアルバムリリースで当コラム的にとくに注目されるのは、このシリーズで初めてハイレゾ配信(96kHz/24bit)が同時になされたことだ。じつは2015年の「Collector's Edition」のマスターを使用したと思しきハイレゾ配信(今回と同じスペックの96kHz/24bit)が2016年に行なわれていて、その音源も素晴らしいものだと思ったものである。今回の最新リマスターは、前リマスターが良かったぶん、変化は正直いえばほんのわずかなのだ。しかし、「Definitive Edition」に付属するボーナス・ディスク(14曲)までハイレゾで聴けるというのはやはり見逃せないポイントだ。イントロは正規ヴァージョンと同じだが、その後がまったく異なる様相を呈する「The Perfect Kiss」や、2曲の「Untitled」ソングなど、聴きどころは多い。できれば前2作の「Definitive Edition」のハイレゾ化もすすめてほしい。


 東京塩麹。このものすごいインパクトを持った名前のバンドは、2013年から活動を続けている大世帯ユニットだ。当コラムで紹介するのは初めてとなるのだが、じつは今回紹介するのは彼らにとって3枚目のアルバムである。
 その出自はいささかアカデミック。中心メンバーで作曲とキーボードを手掛ける額田大志は東京藝術大学出身であり、彼が藝大在学中に結成されたのが東京塩麹である。このユニットはもともとはミニマル・ミュージックの典型と言えるスティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」のような音楽を演奏するために額田が藝大のほか、他大学のジャズ・サークルのメンバーなどにも声をかけて当初18人という大編成でスタートしたプロジェクトであった。
 そういった芸術的な経歴を持つユニットが、U-zhaan×mabanua、三浦康嗣(□□□)、スガダイロー×吉田達也など、クセのあるさまざまなアーティストと対バン・共演を重ねたあとの2015年にはじめてリリースした音源は「ビン詰め音源」。なんのこっちゃと思われるだろうが、この短いコラムでは説明しきれないので検索してみてください(笑)。
 正式なファースト・アルバムは2017年の『FACTORY』。若手ドラマーの第一人者石若駿やトラックメイカー / シンガー・ソングライターermhoiなどのゲストを迎え、ミニマル・ミュージックのエッセンスをポップに落とし込んだ絶妙なバランスの上に成り立つハイブリッドなモダン・ミュージックを聴かせるこのアルバムは、かのスティーヴ・ライヒをして「素晴らしい生バンド」と言わしめている。
 翌2018年のセカンド『You Can Dance』で、タイトルどおりダンスの快楽性を盛り込んで新境地を開拓した彼らがそれから4年以上の時を経て、新たにSPACE SHOWER MUSICからリリースしたアルバムがこの『Goodbye』だ。
 現メンバーはピアノ、キーボード、ギター、ベース、ドラムス、パーカッションにトランペットとトロンボーンの2ホーンが加わった8人。人力ミニマルがベースにあるのは最初からの彼らの個性だが、より開かれたポップネスが前面に押し出され、コンテンポラリーでフィジカルな快楽性がさらに増したサウンドがココロとカラダに作用する本作はぜひハイレゾ(96kHz/24bit)で楽しんでいただきたい。



 ミック・ロック撮影によるイギー・ポップをフィーチャーしたジャケットに痺れるイギー&ザ・ストゥージズのサード・アルバム。初リリース時に邦題を『淫力魔人』としたレコード会社ディレクターの気持ちがよくわかるこのイギーの佇まいは、古今のレコード・ジャケットの中でもダントツにかっこいいと言い切ってしまえる。
 このアルバムが発売されてからもう50年も経っているというのがにわかには信じられない。そのくらい、このアルバムに込められた力はすさまじいものがある。まさしく“ロー・パワー”そのものだ。
 だが、ちょっとロックをかじったものならこのアルバムには2種類のミックスが存在しているということはよくご存じだろう。
 1972年にロンドンでレコーディングされたこのアルバムは、イギー・ポップ自身がプロデューサーを務めたものの、ミックスはデヴィッド・ボウイがおこなっていた。そのミックスに満足していなかったイギー・ポップは、アルバムの発売から20年以上経った1997年に自身でミックスを敢行したヴァージョンを発表。そしてそれ以降はむしろオリジナルのボウイ・ミックスよりもこのイギー・ミックスのほうがメインとなっていたのだった。
 それからさらに20年以上が経ち、オリジナル・アルバム発売から50年という節目の2023年。このふたつのミックスがついにハイレゾ化。しかもPCMとしては最高スペックの192kHz/24bitでのリリースが実現したのである。
 このふたつのミックスの意義についてはここでは詳細には触れないが、その音質の違いがハイレゾ化によっていっそう顕著に聞き取れるようになっているのは当然だろう。低域を抑えめにし、シャープなギターのカッティングを生かすためか高域をよりソリッドにして音のルーム感を強調したボウイ・ミックスに対し、むしろ低域をブーストし、逆に高域は抑えて全体に音を中央に集めてかたまり感を強調したイギー・ミックス。イギー・ミックスを聴いてからはこの原初的パワーにあふれたアルバムにはイギー・ミックスのほうがふさわしいという気持ちが優っていたが、あらためてハイレゾ・ヴァージョンで聴いてみると、ボウイ・ミックスのシャープさも魅力的なのだ。ちなみに配信はふたつのミックスがそれぞれ独立したアルバムとしてリリースされているが、ジャケット写真の違いにも注目していただきたい。

20年以上にわたるMETでの録音に聴くフレミングの表現力の強さ、美しさ、奥深さ
文/長谷川教通

 現代のオペラ界で最高のソプラノ歌手と賞賛されるルネ・フレミング。1991年にメトロポリタン歌劇場にデビューして以来30年にわたってメットの舞台に立ち続けており、その出演回数は250回以上にもなるという。日本へは2001年MET来日公演でR.シュトラウス「ばらの騎士」で元帥夫人を歌ったし、2006年、2014年にも来日している。2017年のプラシド・ドミンゴとの共演が記憶に新しい。そんな彼女がもっとも輝いていた時代を回顧する素敵なアルバムが登場した。METで録音されたライヴ音源からフレミング自身が選んだ曲が、1994年のブリテン「ピーター・グライムズ」から2015年のレハール「メリー・ウィドウ」まで、32トラック収録されている。声質はリリック・ソプラノだが、どんな旋律でもけっしてヒステリックになることがなく。高音域でもまろやかで艶やか。フォルテになってもまるで聴き手を包み込むように伸びてくる。こんなにすばらしい声なのに、舞台映えする立ち居振る舞いがまたすばらしい。天は二物を与えず! と言われるが、どうやら例外はあるのだ。
 これまでたくさんのCD、DVDやBDもリリースされているが、この48kHz/24bit音源はまさにフレミングのベスト・アルバムだ。ときどき拍手やブラボーも収録されていて、スタジオ録音とはひと味違った臨場感がある。しかもリマスターされた音質は良好で、フレミングの魅力を堪能できる。共演する歌手たちも豪華で、さらに指揮者がすごい。さすがMETだと感心する。冒頭のモーツァルト「フィガロの結婚」からの4曲ではレヴァインが振っているし、彼女の当たり役となっていたドヴォルザーク「ルサルカ」ではビエロフラーヴェクの指揮で「月に寄せる歌」。そのすばらしさにゾクゾクしてしまう。「ばらの騎士」「オテロ」「椿姫」「マノン」など、次々と名作オペラの有名なアリアの名唱に、時間を忘れて聴き入ってしまう。オペラ全曲はちょっと敷居が高いと思っている人にもぜひ聴いてほしい。人間から発せられる声が訴えかけてくる表現力の強さ、美しさ、奥深さにきっと感激させられるだろう。




 クラシック音楽の演奏家がピアソラをプログラムに組むのは、いまやそれほどめずらしいことではないが、その演奏スタイルはさまざまだ。クラシック音楽のスタイルでピアソラを料理するのもあり、できるだけオリジナルに近づけようとするのもあり。どんな角度から光を当てようが、反射して見えてくるのは魅力あふれるピアソラの姿。それがピアソラのすごさ。というなら、めいっぱい“オレタチ流”を貫いたらどうだ……と、そんな意欲的な雰囲気を発散させているのが「El Ciero(エルシエロ)2020」。東京芸大で同期だったヴァイオリンの桜井大士とチャロの橋本專史、桜井は芸大の大学院へ進み、ソロや室内楽にオケと多彩な活動を行なう。橋本はハンガリーのリスト音楽院に進み、ヨーロッパでも活躍。コントラバスの金森基は東京工大の大学院に学んだという異色の奏者。アンサンブルの要となるピアノには、東京音楽大から東京学芸大学大学院へと進み、クラシックからポップスはで幅広く活動する高木梢が加わる。個性的な4人で結成したピアソラのスペシャリスト集団が「El Ciero 2020」なのだ。デビュー録音の『ASTOR PIAZZOLLA』では、よく知られた名作をずらりと並べ「さあ、どうだ!」とばかり、パチーンと弾ける音楽の勢い、シャープなキレ味のリズムが放つ痛快さ。まさに“オレタチ流のピアソラ”を宣言したのだった。さらに2022年の『アストル・ピアソラII』ではクラシックでもない、ジャズでもなくロックでもない、コアなピアソラ・ファンも注目する“オレタチ流”をさらにアドバンスさせた強靱な音楽を聴かせてくれる。
 そして最新のアルバム『チェロ・アルバム~ヒナステラ&ピアソラ』では、チェロの橋本專史によるソロが聴ける。橋本が十八番とするピアソラの「ル・グラン・タンゴ」とヴィラ=ロボスの「黒鳥の歌」から、メインのヒナステラ作曲のチェロ・ソナタへ……。内田卓也の弾くピアノのキレが抜群。このピアノに負けずに突っ走るするチェロが、何ともカッコいい。YouTubeのユニゾンchでおなじみのキャラそのままに、スピード感とダイナミックさを発揮させた快演だ。録音もいい。El Ciero 2020の2タイトルでは、グングン押してくるポップス系のマスタリング特有の音圧感がすごいが、ソロ・アルバムではクラシック系のマスタリングになっていて、ヒナステラのアルゼンチン民謡を取り入れた作品での、ちょっとエキゾチックな響きや空気感がとてもいい。


 このアルバム、演奏も録音も桁外れの出来。イリーナ・メジューエワがラフマニノフの生誕150周年を記念して収録したものだが、とにかく再生した第1曲目から聴き手の心の奥底にまでにジーンと染み込んでくる。もちろんアルバムのメインはピアノ・ソナタ第2番なのだが、プログラムのはじめに弾かれる「幻想的小品集」がすばらしいのだ。第1曲「エレジー」で左手の分散和音にのせて右手で弾くG♭。ものすごく深くて強くて、なんと気持ちのこもった音なのだろうか。こんな表情をたった1音で出せるなんてすごい! その表情を完璧にとらえた録音もいい。ピアノは1925年製のニューヨーク・スタインウェイCD135。収録は2022年8月3~6日、富山県魚津市の新川文化ホールだ。これまでも同じピアノ、同じホールで収録されているのだが、今回のアルバムは音が違うように感じられてしまう。マイクロフォンが違うのか、マイクロフォンのセッティングが違うのか、いやいやメジューエワのラフマニノフに対する思い入れがそうさせるのか。第2曲の「プレリュード」は「鐘」の愛称でも知られる人気曲。とにかくフォルテシモでガーンと弾かれる低音域の和音のすさまじさ。彼女の心にいっぱいに詰まった想いを“この1音”にぶつけているのだろうか。ロシア革命やナチスの台頭に翻弄されたラフマニノフの人生が、ふと現代に甦ってくる。ラフマニノフの時代はロシア文化のシルバーエイジだと、彼女は言う。その中でも頂点に立つ作曲家、ピアニストがラフマニノフなのだ。
 もちろんピアノ・ソナタもすばらしい。ピアノのボディが震えるように鳴り響く。これがヴィンテージ・スタインウェイなのだ。そう感じさせる鳴り。和音が重なれば当然唸りも出るし混濁感も出る……はずなのだが、全力で鍵盤の打ち込む大音量でも音が崩れない。1音1音が表情豊かで、繊細なフレージングに穏やかで美しい旋律線、そんなメジューエワのイメージをはるかに超える強靱で雄大なスケール感。彼女が世界で希有なピアニストであることを改めて認識させられる。1997年から日本を本拠地として数多くの録音をリリースしてきた彼女のベスト・アルバムは? と問われたら、迷うことなくこのアルバムを推す。音楽ファンだけでなく、オーディオ・ファンにも聴いてほしい。すこしばかり音量を上げると、ステレオ音場を揺るがすほどのダイナミックな響き、そして想いを込めた音色、繊細なフレージング……システムのレファレンスとなるピアノ録音だと思う。

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