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“巧い!”というレベルをはるかに超えたマリア・ドゥエニャスのデビュー音源文/長谷川教通
いよいよマリア・ドゥエニャスによるドイツ・グラモフォンからのデビュー音源だ。これまで1トラックずつアップされていたので期待していた音楽ファンも少なくなかったはず。やっぱりアルバムを通して聴きたい。というのも、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で聴きどころとなるカデンツァが、なんとドゥエニャス自身の書き下ろしだというのだ。さらに第1楽章だけとはいえ、これまで大作曲家たちが書いたカデンツァも別トラックに収録されている。弾かれる機会が多いクライスラー版に加え、シュポーア、イザイ、サン=サーンス、ヴィエニャフスキとビッグ・ネームがずらり。これだけのカデンツァを聴き比べできるなんて、しかも圧巻のテクニックで……音楽ファンにとっては嬉しすぎるくらいのプログラム。それぞれの作曲家たちの作品から小品1曲を選んで収録するなど、偉大な先人たちへのリスペクトも忘れない。
10代で数々のコンクールを制したうえ、2021年のユーディ・メニューイン国際コンクールで優勝したことでいっきに若手奏者のトップに名を連ねたわけだが、テクニックは言うまでもなく彼女が発する音楽表現の密度や燃焼度の高さは群を抜いていた。今回のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、マンフレート・ホーネック指揮するウィーン交響楽団との2023年1月ウィーン・ムジークフェラインでのライヴだが、とにかくヴァイオリンの勢いがすごい。ただ巧いだけの若手ならいくらでもいるが、彼女の音楽は“巧い!”というレベルをはるかに超えている。曲の抑揚に合わせて大きく呼吸し、グッと押し込んでパシッと見栄を張るような独特のフレージング。どこか故郷のスペイン・グラナダのイメージと重なる。彼女の深い感情表現は、とても20歳の演奏とは思えない。いや、そんなこと言っちゃいけない。音楽から何を感じとり、それをどう表現するか……その才能は年齢とは同期しない。ドゥエニャスは音楽の魂を聴き手に届けてくれる天賦の才能を持つ。アルバム・タイトルは『BEETHOVEN AND BEYOND』。この意気込みをぜひ聴いてほしい。
ベルリン・フィルの首席奏者になって30年。一度退団してジュネーヴ音楽院フルート科の教授をつとめた時期もあったが、このオケにはパユの音色が必要なんだと口説かれて復帰したというくらいだから、まさにベルリン・フィルの顔。その一方でソロ活動や録音も活発で、最新録音は『ロマンス』。タイトルからは誰にも親しまれるロマンティックな小品集かな? と思われるかもしれないが、そこはパユならではのひと捻り。「3つのロマンス」は、ロベルト・シューマンの作品94とクララ・シューマンの作品22。つまりシューマン夫妻による「3 Romances」なのだ。しかも前者はオーボエ、後者はヴァイオリンのための作品だが、これをフルートで演奏する。高音域の繊細さや鋭利な感情表現をフルートでどう聴かせるのか。そこがパユの腕の見せどころ。オーボエやヴァイオリンの音色とはひと味もふた味も異なる、フルートでなければ出せない香りを引き出してみせた。そう、シューマンの晩年は精神の病で苦しめられたが、1849年の頃はまだ創作意欲は旺盛で、「3つのロマンス」はクリスマス・プレゼントとして妻クララに贈られた作品だとか。ヴァイオリンやクラリネットで演奏されることも多い。パユのフルートはほんとに美しい。それから3年。クララの「3つのロマンス」には夫へのいたわりの感情が込められた旋律が胸に染みる。この1年後にロベルトは精神病院に入ることとなる。ここで聴かれる優しさがフルートの魅力。クララの傑作を見直す名演だと思う。
そしてファニー・メンデルスゾーン。誰よりも弟フェリックスの才能を見抜き、手助けを惜しまなかったファニーの書いた歌曲を、フルートで表情豊かに奏でる。歌詞のない歌曲……まさに無言歌ではないか。旋律のしっとりとした雰囲気やチャーミングな笑みなど、まるでファニーの表情が見えるような演奏になっている。こういった作品で肝となるのがピアノだ。けっしてたんなる伴奏ではない。フルートを生かすのはピアノの支えがあってこそ。エリック・ル・サージュのピアノがじつにいい味を出している。弟が作曲したソナタもオリジナルはヴァイオリンだが、フルートによる輝かしさやスピード感ではヴァイオリンに劣らない。第3楽章で目まぐるしく上を下へと駆け巡るフルートにピッタリと呼吸を合わせるピアノの巧さ! 音量のコントロールもみごと。夫妻、姉弟による心の交流を描き出す二重奏は、いやー聴きごたえアリアリだ。
クラシック音楽の録音ではハイレゾでの収録が当たり前のようになっているし、カーオーディオの世界やヘッドフォンユーザーの間でもハイレゾ対応のDAP(Digital Audio Player)が主役になってきているのに、SNSを覗いていると不思議なことにホームオーディオの世界からは、ハイレゾなんかいらないという声が聞こえてくるではないか。人間の聴覚では20kHz以上の信号は聞こえないのだから、ハイレゾにしても意味がない。16bitから24bitになったからといってダイナミックレンジに大きな変化はない……などと。そういった声は、どうも先入観のような気がする。
そのような先入観を払拭するためにも最新のハイレゾ録音をぜひ聴いてほしい。じつは、日本はハイレゾ録音大国といってもよく、先進的な録音エンジニアが増えているのは嬉しいかぎりだ。以前からハイレゾ録音に取り組んでいる「299 MUSIC」レーベルからも、これまで録りためた最高スペックの音源が配信されはじめたので紹介したい。レーベルを主宰する山中耕太郎は大阪芸大音楽科出身で、コジマ録音で腕を磨いたエンジニア。2015年に「Rec-Lab(レック・ラボ)」を設立し、翌年には自社レーベル「299 MUSIC」を立ち上げている。こういう活動ができるのが、ディスクという媒体を必要としないハイレゾ配信システムのメリットと言える。
今回の3タイトルとも352.8kHz/24bitでの収録だ。まずはオルガンとイングリッシュ・ホルン&バス・オーボエによるテレマン。2020年ヴィラセシリア音楽堂での収録だ。会場は三角天井の小さなホール。コンパクトだが天井から降り注ぐ響きの心地よさ。スッと浮かび上がるイングリッシュ・ホルンの艶やかさ。このコンパクトで芳醇な空間表現を聴いて、ハイレゾはいらないなんて誰が言えるだろうか。
チェロのソロもいい。『ピカレスク』はチェロを弾く中山泰雄に捧げられた作品。そのほかにソッリマやブリテンの独奏曲が聴けるが、なんと言っても17世紀チェロの奏でる音色の深さ、鋭さ、伸びやかさ。352.8kHzだからといって、150kHzを超える信号が入っているはずもないが、ハイサンプリングの威力は高域の伸びなどではない。弦を弓毛でこするときの複雑な音の集合体。その一つ一つを分解できたら、おそらくノイズの集まりだろう。それらが絡み合って魅力あるチェロの音色と響きを創り出している。このリアルな肌合いと空気感を44.1kHzのサンプリングで再現することは叶わないだろう。
さらにヴィオラのソロ。オケでは縁の下の力持ち的な存在。音色も地味? いや、まずは少しだけボリューム上げて聴いてほしい。刻々と変化するヴィオラの表情と生々しい響きに、すごい! とつぶやいてしまう。どこが地味な楽器なんだと言いたくなる。レーガーの作品を聴くことは少ないかもしれないが、これを機にレーガーがヴィオラという楽器のどこに魅力を感じ愛したのか、その秘密を探ってみてはどうだろうか。アルバム・タイトルの『モノローグ』には、そんな意図が込められているかもしれない。352.8kHz/24bitで聴く価値はあるし、もしDACのサンプリング周波数が対応していないなら176.4kHzでも配信されているので、そちらを選んでもハイレゾならではの音質は十分に味わえるはずだ。
井上鑑の最新アルバムは360 Reality Audio版も同時配信中文/國枝志郎
編曲家、音楽プロデューサー、キーボーディストとして70年代から活動する井上鑑の、2017年の『Ostinato』以来6年ぶりとなるリーダー・アルバム『RHAPSODIZE』がリリースとなった。
今作も前作同様、豪華なミュージシャンが参加している。山木秀夫(ds)、高水健司(b)、今剛(g)、土方隆行(g)、デヴィッド・ローズ(g)、三沢またろう(perc)、山本拓夫(sax)、西村浩二(tp)、村田陽一(tb)、Maret Aska Quartetのほか、ゲスト・ヴォーカルに吉田美奈子、ミックスには前作同様チャド・ブレイクを迎えて、万全の体制で製作されたこの『RHAPSODIZE』(大きな喜びを示すの意だが、音楽的にはラプソディ~狂詩曲~の関連語でもある)は、井上流ポップスの現時点での集大成としてのハイクオリティ・ミュージックであることを約束された一枚である。
そもそも井上鑑の音楽はその音楽的なクオリティに加え、音質面でもいつも耳をそばだてさせるエレメントを兼ね備えてきた。今の時点で井上鑑のアルバムがかつてカセットブックとして発売されたアルバム『カルサヴィーナ』を含めてそのほとんどがハイレゾ化されているのはその証左であると言えるだろう。その最新の成果がこの『RHAPSODIZE』だ。
しかも今回の音響的なトピックはハイレゾ(本作のスペックは48kHz/24bit)だけではない。今、ヘッドフォン・リスニングにおいて話題となっているイマーシヴ(没入)・サウンド・ヴァージョンとして、SONYの360 Reality Audio版(タイトルは『RHAPSODIZE~Immersion』)のハイレゾもオリジナルと同スペック、同価格での配信されていることにも注目してほしい。オリジナル版と同じ11曲を、すべて360 Reality Audioとして聴けるのはほかに例を見ないだろう。ほかにアナログ、SACDハイブリッドでの発売もあると聞く。音楽そのものの高いクオリティを生かすために井上が選んだフォーマットを、すべて体験してみたいとすら思わせてくれるすばらしい作品だ。
この春にアナログLPで発売された高柳昌行の『ギター・エクスプレッション~プロフィール・オブJOJO』と冨樫雅彦の『ウィ・ナウ・クリエイト』のハイレゾ(96kHz/24bit)の配信が開始された。現在CDは現役盤としては入手困難なうえに、限定発売のアナログLPはあっという間に完売したようなので、こうしてハイレゾ配信が行なわれたのは大変ありがたいことである。両者にとっては、これが今のところ入手しやすいハイレゾとしては唯一のソロ作である。ここでは高柳のアルバムをご紹介しよう。
高柳昌行は1932年生まれで、1991年に亡くなったジャズ・ギタリスト。フリー・ジャズを志向し、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で「新世紀音楽研究所」なる音楽集団をオーガナイズ。この喫茶店を舞台にしたドキュメント的なアルバム『銀巴里セッション』は有名だ(このアルバムはSACDハイブリッドでもかつて発売されていたので、ハイレゾ配信を期待しているがなかなか実現しないのが残念ではある)。またサックスの阿部薫との数々の共演も強烈な印象を残すものだった。
今回ハイレゾ(96kHz/24bit)での配信が実現した『ギター・エクスプレッション~プロフィール・オブ・JOJO』(JOJOは高柳のニックネーム)は、1970年に録音されたアルバムである。フリー・ジャズ・ギタリストとして名を馳せた高柳だが、このアルバムではよく知られたスタンダード・ジャズの名曲や、ジョン・コルトレーン(「セイ・イット」)、クルト・ヴァイル(「モリタート」)、アンドレス・セゴビアやアレクサンドル・スクリャービンのクラシック作品までをコンパクトに演奏しているという点でも非常に興味深い一枚となっている。
高柳と活動をともにしてきた原田政長(b)と、山崎弘(ds)のリズム・セクションと、渋谷毅(p, ホーンアレンジ)の仕事ぶりもこのアルバムの音楽的な深みや親しみやすさにつながっている。高柳の表情豊かなジャズ・ギターとともに、このアルバム全体から漂うほのかな香気をハイレゾで堪能するぜいたくな一日をすごしてみたくなる一枚だ。
書店をうろうろしていたら、見覚えのあるジャケット写真を使った本が音楽書コーナーに。『あなたの知らない世界』ならぬ『あなたの聴かない世界~スピリチュアル・ミュージックの歴史とガイドブック』というタイトルだった。その見覚えのあるジャケットとは、“イギリスのフィル・スペクター”との異名を持つエクスペリメンタル・ポップのパイオニア、エンジニアでありサウンド・プロデューサーでもあったジョー・ミークによる、“世界で初めてのコンセプト・アルバム”と言われた『I Hear A New World(私は新しい世界を聴いた)』のそれだった。パープルに着色された月面の写真の上に太陽のような円がふたつの印象的なジャケットのこのアルバムは、ジョー・ミークとブルー・メン(ロッド・フリーマン率いるグループ)との共演名義で制作したストレンジ・ポップ・レコードである。ジャンルとしてはサイケデリック、実験音楽、ラウンジ・ミュージック、アンビエント、スペースエイジなど……電子楽器やスタジオ機材を駆使した奇妙な宇宙的ポップ・ミュージックを追求したジョー・ミークの代表作となった1960年、つまり今から60年以上前のアルバムである。
奇妙なのはここからである。その本を読んでいる最中に、ハイレゾ配信サイトを覗いたところ、そこに突然ジョー・ミークの名前を発見したのである。アーティスト名義はジョー・ミーク&ザ・ブルー・メン! しかもタイトルは『Joe Meek's Tea Chest Tapes: The I Hear A New World Sessions』! なんという偶然だろうか。
調べてみると、ジョー・ミークのアーカイヴ“Tea Chest Tapes”が、かつてイギリスのネオアコ・ムーヴメントを支えたチェリー・レッド・レーベルから出ていることが判明。ジョー・ミーク最大のヒット曲で、坂本龍一もカヴァーした「Telstar」をテーマにしたものなどが10インチLPとハイレゾでリリースされていた。今回取り上げたのはそのシリーズ最新作で、件のアルバムの未発表ヴァージョンやアウトテイク7曲からなるコンパクトな作品である。トータルタイムは20分に満たないミニ・アルバムだが、いまだカルト的な人気を誇るあの宇宙音楽ファンタジー(Outer Space Music Fantasy)の原型がハイレゾ(44.1kHz/24bit)で聴けるのである。スタジオを楽器のように扱って未知の音響を生み出したジョー・ミークの業師っぷりを楽しみながら『あなたの聴かない世界』を読むのも一興だ。
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