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“馬”から作った新作『The Horse』はマシュー・ハーバートのハイレゾ事始め文/國枝志郎
馬から作った楽器や馬関連の音源を使用した新作『The Horse』を発表――こんな見出しの記事を見て、あなたはどんな音を思い浮かべるだろう。
マシュー・ハーバートは90年代からエレクトロニックなダンス・ミュージックをメインに作り続けてきた鬼才であり、そもそもはテクノやハウスへの没入が彼の音楽の初期の個性だった。しかしいっぽうで、その音作りはたんなるシンセサイザーの打ち込みではなく、ポテトチップの袋をクシャクシャにした音をサンプリングしてリズムにしたりして話題になったりもしていたし(ハーバートにとってサンプリングは政治的な声明の手段だった)、そうしたハウスやテクノへの系統が一段落した2000年代になるとこんどはビッグバンドを結成して、表向きはごくオーソドックスなジャズを聴かせたりしていたことを覚えている向きもあるだろう。
2010年代になると、ハーバートは「One」シリーズ三部作をスタートさせる。最初の『One One』は曲名がすべて都市名になっているポップ・アルバム。続く『One Club』は「クラブの音(クラブの壁の音や便所の音まで!)を採取して作った」テクノ・アルバム。そして三部作のラスト『One Pig』はシリーズ最大の問題作で、「豚がその生涯で発する音を使って作った」実験的な作品として2011年にリリースされ、それにあわせて日本でも行なわれたライヴはいまだに語り草になるほどのエクストリームなものであった。
そして今回の『The Horse』である。端的にいうとこのアルバムは「馬の骨格から作られた楽器でジャズ・ミュージシャンやオーケストラとコラボレートして録音された実験的なエレクトロニカ・アルバム」である。曲名は「馬の骨は洞窟にある」「馬の毛と皮は伸びる」「馬の骨はフルート」「馬の骨盤は竪琴」……15曲目のラスト・トラックは「馬はここにいる」だ。しかしまあ恐れる必要はない。エヴァン・パーカーが参加した7曲目「馬は水没している」あたりまではアブストラクトな展開が続くけれど、8曲目の「馬は働かされている」からはスクエアなエレクトロニック・ビートが投入されてくる。サンズ・オブ・ケメットのチューバ奏者テオン・クロスがフィーチャーされた12曲目「馬は声を発する」に至って、本作はダンス・ミュージックとしてのピークを迎えるのだ。電子音楽、現代音楽、ジャズ、テクノ、ハウスといった要素を持ちながらも、一筋縄ではいかないハーバートの幅広い音楽性を物語るこのアルバムは、ハーバートにとってハイレゾ(96kHz/24bit)事始めと言える作品となった。
ハワイで活躍していたプロサーファーからインディ・フォークに転向した大物シンガー・ソングライター、ジャック・ジョンソンのダブ・アルバムが到着。もともとレイドバックした音楽性を持つジョンソンの音楽とレゲエ / ダブとの親和性は高いと思うんだけれど、このダブ・ミックスの中心人物となったのが故リー・スクラッチ・ペリーだと知ったときはちょっと震えたね……。
ベストセラーとなった2005年のアルバム『In Between Dreams』のタイトルをルーツに持って登場した『In Between Dub』の発端は、2020年初めにジョンソンが彼の過去のナンバーをレゲエ界の大御所、リー・スクラッチ・ペリーにリミックスしてもらうために連絡を取ったことに始まっている。残念ながらコロナ禍によってそれから1年間は制作をストップせざるを得なかったものの、その後ペリーはジャマイカのスタジオでミックスに取りかかり、曲のスケッチをハワイのジョンソンに送ったりしながら2人はアルバムの方向性を決めていったが、完成に至るその途上でペリーが急死してしまう。
だが、その後2022年になって、ペリーのバンドであるスバトミック・サウンド・システムとジョンソンは、「リー・スクラッチ・ペリーの作品を完成させるためのすべてのピースがすでに揃っている」ことを確認し合い、ペリーの新しいダブ2曲と、ペリーのヴォーカルをフィーチャーしたSubatomic Sound Systemによるダブ1曲のほか、デニス・ボーヴェル、サイエンティスト、ナイトメアズ・オン・ワックス、マッド・プロフェッサー、ヤードコア、モンクによるダブを加えて全11曲におよぶ堂々たるフル・アルバムを完成させたのである。そのハイレゾ版(48kHz/24bit)が本作だ。
ジョンソン自身がこう語っている。「ハワイで育った僕はラジオから流れるレゲエが大好きだったし、リー・スクラッチ・ペリーはまさに生きる伝説だった。彼が私の曲をリミックスしてくれると知ったとき、私は圧倒された。彼は私の曲をリミックスし、彼の声をそこに乗せてきた。それはまさにマジックだった」
そう、ここには奇跡のような瞬間がたくさんある。時間的には40分ちょっとのアルバムだけれど、聴くたびに新しい何かが感じられて何度でも新鮮に楽しめるマジックがちりばめられた作品だ。あらためて早すぎたリー・スクラッチ・ペリーの空への帰還を惜しみながらリピート中。
1973年という年はブリティッシュ・ロックにとって、ふたつの超弩級アルバムを生み出した年だ。今年2023年はそれから50年が経過した年ということで、相次いでこのふたつのアルバムのいわゆる「50周年記念盤」がリリースされて音楽業界がざわついていることに気がついている方も多いのではないだろうか。そのひとつがピンク・フロイドの『狂気(The Dark Side of the Moon)』であり、そしてもうひとつがマイク・オールドフィールドのインストゥルメンタル・アルバム『チューブラー・ベルズ(Tubular Bells)』である。
まだ20歳にもなっていなかったマイク・オールドフィールドが多重録音で作りあげたこの『チューブラー・ベルズ』は、リチャード・ブランソンが新たに発足させたレーベル、ヴァージンの第1作目であり、そのヒットがのちの当レーベルの隆盛を導いたという意味でも重要な作品であると言うのはいまさら言うまでもないが、このレーベルの存在がその後のブリティッシュ・ロックの世界にもたらした功績の大きさを考えれば、どれだけこのアルバムを称えても称えすぎと言うことはあるまい。映画『エクソシスト』の主題歌に起用されたことで世界的ヒットとなり、全英1位 / 全米3位という素晴らしい記録を打ち立てたほか、1974年のグラミー賞でベスト・ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞、現在までに全世界で1億5000万枚以上を売り上げる大ベストセラー作品でもある。そんな作品の50周年記念アルバムだ。期待が高まらないはずはない。
本作のハイレゾ版(44.1kHz/24bit)はまず2曲のオリジナル・ヴァージョンにはじまり、2017年から取り組んでいた『チューブラー・ベルズ』の続編制作のセッションから「チューブラー・ベルズ4イントロ」の未発表デモのフル尺版とエディット版(どちらも今回が初出となる)、2012年ロンドン・オリンピックの開会式で演奏された「チューブラー・ベルズ/イン・ドゥルチ・ジュビロ」、2013年に発表されたドイツのDJ/プロデューサーYorkとのコラボレート・アルバム『Tubular Beats』に収められていた「チューブラー・ベルズ」のリミックス、そしてデヴィッド・コステンがオリジナル・ヴァージョンを新たにリミックスしたヴァージョン(彼はフィジカル版の本作に収録されたドルビーアトモス版のミックスもしているので、もしかするとこの「ステレオ・ミックス」はそこからコンバートされたものかもしれない)……こう書いているだけでスペースが埋まってしまうわけだが、全10トラック2時間20分の旅は、50年という途方もない歳月の重みを感じさせる素晴らしいものだ。欲を言えば今ハイレゾ配信されているオールドフィールドの他のタイトルのように、96kHz/24bitでの配信が叶えば言うことなしだったが、まあそれはないものねだりというものか。
ステレオ録音が目覚ましく進化した1960年代のクレンペラーを聴く文/長谷川教通
オットー・クレンペラーによる1950~60年代の名演が、2023年オリジナル・マスターテープからのリマスターで「Warner Classics」レーベルから配信されている。192kHz/24bitのハイレゾ音源だ。今回は60年代に入ってからの録音であるモーツァルトとマーラーを聴くことにする。大指揮者クレンペラーによる超名演と評される50年代後期にステレオ録音されたベートーヴェンやブラームスの交響曲も気になるが、じつは50年代半ばから本格的に始まったステレオ録音は、この時期に目覚ましい進化を遂げており、60年代に入ってからのクレンペラーの録音がどう聴こえるのか、それを確認しようというわけだ。
まずは1961~62年にかけて収録されたマーラーの交響曲第2番「復活」。もう冒頭の低弦の鳴りからして、その迫力がものすごい。背後でかすかに奏でられる弦の細かな動きもきっちりと聴こえる。木管も明瞭で、金管やヴァイオリンの高音域はやや硬質だが、これはEMI録音の特徴でもある。それにしてもクレンペラーの音楽には甘さがない。ソプラノのエリーザベト・シュヴァルツコップとアルトのヒルデ・レッセル=マイダンという最上のソロにコーラスが描き出す壮大なクライマックスでも、けっして感動を押しつけてくるような情緒過多やヒステリックな音の飽和状態に陥ることがない。まさに硬派のマーラー。第7番はマーラーの交響曲中では“わかりにくい”と敬遠されがちだが、そこはクレンペラーだ。音の組み立てがよく聴きとれて、実験的とも言えるマーラーの作曲意図がとても興味深い。この曲の最高の演奏ではないだろうか。60年代も後半になると、アナログ録音は全盛期と言える20年間に入るわけで、第9番のアダージョ楽章の美しさは感動的だ。軟弱さなどつゆ見せず、あくまで緩みのない弦合奏の響きがみごとに再現されている。
モーツァルトの交響曲は1962~63年の収録になるが、以前の96kHz/24bitの音源と比べると、低音域のかぶりがとれて音程感が明瞭に聴き取れるようになったのが嬉しい。木管の飽和感が抑えられ、楽器の音色がよりクッキリしてきている。最新のリマスターによってここまで変わるのか。ただし、実際の音源を信号レベルで比較しても、周波数特性やダイナミックレンジではおそらくほとんど変化していないと思う。ところが聴き手に伝わる音楽の浸透力は違っている。現状の解析技術では捉えきれない何かがあるに違いない。
現代の演奏に比べればテンポはゆっくりで、それゆえにレトロだなと感じるかもしれないが、ぜひじっくりと聴いてほしい。拍の明瞭さはもちろん、細かい音もゆるがせにしないクレンペラーの音楽作りがわかってもらえるはず。たしかにピリオド奏法による演奏スタイルの変化は大きかったけれど、それによって音楽から失われたものがなかったのか、モーツァルトが作品に込めた深い感情や魂の叫び、それが伝わるのかどうか。クレンペラーの演奏を味わいながら、もう一度よく考えてみたい。
1988年パリ生まれの女流チェリスト、カミーユ・トマが3つのテーマで取り組んできた“ショパン・プロジェクト”の総集編。それぞれのテーマは“チェリストたちのためのショパン”“室内楽全集”“フランショーム(フランコーム)の遺産”となっているが、全編を通じて大切なテーマとなっているのが、ショパンとオーギュスト・フランショームとの友情。フランショームはフランスのチェリスト&作曲家で、ショパンがチェロの作品を手がけることになったのはフランショームの支えが大きな役割を果たしたとされる。有名なチェロ・ソナタは彼に献呈されているし、このアルバムでもフランショームの作品や彼による編曲も数多く取り上げられている。
鍵盤楽器であり打楽器でもあるピアノの旋律をチェロで弾くのは、じつはけっこう難しい。レガートで弾けばいいじゃないかと思うかもしれないが、ピアノの打鍵と消えゆく響きが描く表現を、まるでチェロのために書かれたかのように聴かせるのだから……。トマの弾くチェロ。ものすごく音色がいい。そう、彼女はいま日本音楽財団から貸与された1730年製の名器ストラディヴァリウス“フォイアマン”を弾いている。だからというわけではないが、いい音出すなー。楽器はまもなく300歳。でも音色は若々しい。低弦は厚みがあって柔らかい肌合い。高音域は艶やかで張りのある音色が美しい。トマの演奏は感情の振り幅は大きいが、恣意的な表現はなくとても素直なので聴き手の気持ちにスーッと寄り添ってくる。
ピアノ三重奏曲ではヴァイオリンでダニエル・ホープが登場するし、セルジュ・ゲンズブールがショパンのプレリュードをもとに作曲した「Jane B」では、ヴォーカルでジェーン・バーキンも参加している。ピアニストも多いし、チェロと弦楽四重奏もあって、みんなトマを支える仲間たち。このアルバムは、ショパンとフランショームの友情へのリスペクトでもあり、彼女を支える仲間たちの友情への賛歌でもあると、カミーユ・トマは語っている。とても素敵なアルバムだと思う。
異才、天才……と呼ばれるファジル・サイが面白いシリーズを配信している。“Morning Piano”では白のバックに太陽と光の放射をデザインしたジャケット。“Evening Piano”では黒いバックに上弦の月をあしらったジャケット・デザイン。「朝聴いたらいいピアノ曲」「夕べに聴いたらいいピアノ曲」といった感じ。すでに16タイトルが配信されている。いつかアルバムにまとめるのだろうか。いや、そんなつもりはないだろう。そもそも“アルバム”という発想はLPレコードとかCDなど、収録するメディアの制限によってできあがったもの。いまやデジタル配信の時代なら、CDの容量を前提にする必要もないだろう。さらにストリーミング・サービスが増えてくれば、好きなときに好きな曲をストリーミングで聴くことができる。とはいえクラシック音楽ファンなら、慣れ親しんだアルバムというスタイルへの愛着もあるだろう。1枚のアルバムを一つのコンセプトでまとめて作品化する。そんなアプローチもいい。その一方で、朝な夕なに気に入った曲を聴く、あるいは聴いたことがないけど聴いてみようかな……そんな日常的なスタイルもあっていい。それにふさわしい曲って、たくさんあるのだ。
そこでファジル・サイの演奏だが、これがすごい。18世紀パリの作曲家ダカンの有名な「かっこう」からスカルラッティ、ハイドンやCPEバッハ、モーツァルトにシューベルト、ショパンやドビュッシー、サティ、グラナドスやアルベニス……時代も地域もさまざま。どの曲でもいいので、ぜひ聴いてほしい。ピアノの音が生きているのだ。テンポも伸縮自在、和音の鳴らし方も多彩をきわめているし、タッチの変化に聴覚がビンビンと刺激を受ける。一曲ごとに光の当たり方が違って、まるで万華鏡のようではないか。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」のクライマックス。ソプラノによる息が長く持続する濃密な、ピアノで“こう弾くのか”と感動する。ハイドンのソナタで、こんなに生き生きと弾む音はめったに聴けない。ほんとに愉しい。サティの「グノシエンヌ」にまったく気怠さはなく、冴え冴えとした空気感。ちょっと並のピアニストとは比べられない。アルベニス「アストゥリアス」の連打と緩急強弱のすさまじさ。ときには“これは、もうぶっ飛んでいる!”と圧倒されるくらい。ショパンの「ノクターン」でのトリルから高音域への何ときれいなこと。そして微妙なズレが生み出すゆらぎ感、まさに天才にしかできないテクニックと表現の連続だ。
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