[こちらハイレゾ商會] 第118回 人生の最後まで聴き続ける? ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』
掲載日:2023年8月8日
はてなブックマークに追加
こちらハイレゾ商會
第118回 人生の最後まで聴き続ける? ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』
絵と文 / 牧野良幸
ボズ・スキャッグスの名盤『シルク・ディグリーズ』が、2023年リマスター音源でハイレゾ配信された。スペックはflacの192kHz/24bitである。AORの代表作と言われる『シルク・ディグリーズ』だ。アナログとかデジタルとかこだわらない、高音質で聴けるなら大歓迎である。
『シルク・ディグリーズ』は1976年に発表された。ディスコやパンクが登場する前夜だ。この時期にAORというジャンルが生まれていたか僕に記憶はない。何せ76年は僕の音盤人生の中で、唯一オーディオ装置のない生活をしていた時期だ。大学進学のため実家を離れて下宿生活を始めたからである(さすがに寂しくなり翌年にラジカセを買ったが)。
76年の洋楽シーンはいまだにピンとこない。ボズ・スキャッグスの名前も『シルク・ディグリーズ』というアルバムも記憶がない。僕がボズ・スキャッグスを知るのは『シルク・ディグリーズ』発売の4年後、80年のことである。大学を卒業して実家に戻った時だ。
兄貴が発売になったばかりの『ヒッツ!』というベスト盤を買ってきた。当時は10曲入り。ピンク色のごっついジャケットを着たボズ・スキャッグスが写っているジャケットである。邦楽一辺倒だった兄貴にしては珍しく洋楽だ。それもレコードではなくミュージックカセットだった。たぶんカーステレオで聴こうと思ったのだろう。
もっともである。僕も免許を取ったばかりだったのでカーステレオで聴いた。ボズ・スキャッグスを流せば、たとえ岡崎の国道を走っていてもアメリカ西海岸の気分になれた。頭の中では青空が広がりヤシの木が立ち並ぶ。
バック・ミュージシャンの中には、のちにTOTOとなるデヴィッド・ペイチやジェフ・ポーカロもいるという説明は今や不要だろう。10代の頃はビートルズ、プログレ、ハード・ロック、ラテン・ロックとさまざまなスタイルのロックに夢中になったけれど、これほどオシャレなロックは聴いたことがなかった。僕の80年代はAORで幕開けしたと言っていい。このあとドゥービー・ブラザーズやクリストファー・クロスにも食指は伸びていく。
さてハイレゾで聴く『シルク・ディグリーズ』である。
1曲目の「何て言えばいいのだろう」から思わず顔がゆるむ。導入はリズム隊。ドラムは輪郭が明瞭で立体的、ベースは芯が詰まった音。ガッツリとビートを刻んでいく。これだけでカッコいい。
そこにボズ・スキャッグスのとろけるようなヴォーカル、余韻が豊かに広がる。女性コーラスは繊細で密度があるから肉声感が出ている。他にも管楽器とかストリングスとかいろいろな音が鳴っているのに見通しのいい音場。本作はアナログ・レコード、カセット、CD、何で聴こうと清涼感のあるサウンドだが、ハイレゾは一段上のクリアな音で迫る。“これぞAOR!”とあらためて感動した。
AORはブームが去ったあと、ちょっと軟派に思われた時期があったと思うが、ハイレゾであらためて聴いたらすごくエネルギーを感じた。シルバー世代の男が年季の入ったステレオシステムで『シルク・ディグリーズ』を聴いている姿は、他人から見ればただの老人の趣味だろうけれど、頭の中ではウエスト・コーストの青い空が広がっているのである。タイトなリズムに身をませていると年齢も若返るようだ……。
他にも「ジョージア」「リド・シャッフル」などがゴキゲンであるが、僕が一番カッコいいなあと思うのは、やはり「ロウダウン」である。さすがに77年のグラミー賞で最優秀R&B楽曲賞を受賞しただけはある。この選曲に自分も一票。『ミドル・マン』に収録された「ジョジョ」と並んで一番のお気に入りだ。「ロウダウン」もハイレゾでは粒だち良くスピード感がある。
ボズ・スキャッグスは69年がデビューなので『シルク・ディグリーズ』以前のキャリアも長く、ブルースやR&Bへの傾倒も深い。ロックンロール色の強い「ジャンプ・ストリート」や「リド・シャッフル」のような曲もある。それらがアルバム全体と溶け合ってあまり土臭さを感じさせない。
バラードなら人気の「ウィアー・オール・アローン」のほかに「ハーバー・ライツ」がある。この曲の最後はアップテンポになり、ラテン・ロック風(サンタナ風?)の演奏でフェイドアウトするところも好きだ。
ボズ・スキャッグスのハイレゾはこの原稿を書いている時点で、『シルク・ディグリーズ』以前なら『マイ・タイム』や『スロウ・ダンサー』が配信されている。これらを聴くとAORの芽はこの頃からあったと知るだろう。『シルク・ディグリーズ』以後の作品では、先に触れた「ジョジョ」を収録している『ミドル・マン』も配信されている(いずれも2023年リマスター)。『ミドル・マン』のハイレゾは『シルク・ディグリーズ』以上にエネルギーがさく裂だ。こちらも良かった。
僕の印象だとAORとハイレゾの相性はいい。クリストファー・クロス『南から来た男』と『アナザー・ペイジ』もハイレゾ配信されていることだし、これから新たなAORブームが起きるかもしれない。AORを一度お休みしていた人も、あらためてハイレゾで聴いてみてはいかがか。この年齢でAORに出会うと、もう人生の最後まで聴き続ける気がする。

弊社サイトでは、CD、DVD、楽曲ダウンロード、グッズの販売は行っておりません。
JASRAC許諾番号:9009376005Y31015
Copyright © CDJournal All Rights Reserved.