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制作者のこだわりが感じられるハイペリオンのアルバムが次々に配信スタート文/長谷川教通
これまで配信サービスに消極的だったイギリス「Hyperion Records」のアルバムが次々とe-onkyo musicにもアップされている。ハイペリオンは1980年に設立され、メジャー・レーベルとはひと味違った制作者のこだわりが感じられる音源が多く、それらが配信されるのは音楽ファンにとってはこのうえなく嬉しいことだ。ピアニストではアンジェラ・ヒューイット、マルク=アンドレ・アムランといったベテラン&実力者から、チェロのスティーヴン・イッサーリスにヴァイオリンのアリーナ・イブラギモヴァなど、音楽ファンなら聴き逃せない演奏家がずらり。豊富なラインナップの中から、今回はいまヨーロッパやアメリカで活躍中のチェンバリストに注目しよう。
マハン・エスファハニだ。イラン系アメリカ人で、1984年にテヘランで生まれている。4歳のとき、両親とともにワシントンD.C.に移り住む。はじめはピアノを習っていたが、8歳の頃にカール・リヒターの弾くチェンバロをカセットテープで聴いてすっかり虜になってしまい、片っ端からチェンバロの曲を聴きだしたのだ。ラルフ・カークパトリックのバッハ全集がお気に入りだったようで、あえて半速で再生して彼がどうやって弾いているのかを楽譜に書き込んでいたというから、やはり天才は違う。エスファハニが本格的にチェンバロを学びはじめたのが18歳だから、むしろレイトスタートだったと言えそうだ。スタンフォード大学では音楽学を専攻していたが、その頃はプロのチェンバリストになれるとは考えていなかったらしい。その後ヨーロッパに渡り研鑽を積むことになったが、そこでズザナ・ルージチコヴァーの門をたたき徹底的に鍛えられことになる。バッハをはじめバードやラモーなどチェンバロの主要なレパートリーはもちろん、20世紀のチェンバロ協奏曲などもレッスンしてもらった。彼がハイペリオンに録音している作品の多くはルージチコヴァーとのレッスンで得たものが大きな意味を持っているのだ。
だからといって、ルージチコヴァーのような演奏なのか。それは違う。まず「イタリア協奏曲」の鮮やかで煌びやかとさえ言えるチェンバロの響きに耳を奪われる。しかも、各声部がまるで生きているかのように伸縮自在な動きを見せ、生彩感あふれる音の連なりがスピーカーから飛び出してくる。第2楽章の右手の歌い方がロマン的と表現したいくらいにきれいだ。チェンバロにはペダルもないし、爪で弦を弾くわけだから、鍵盤から指を上げれば音は止まる。だからレガートは苦手だ。でもエスファハニの弾く音と音のつながりはとてもスムーズ。前の音と次の音をわずかに重ねる。そんな弾き方を完璧に使い分けている。第3楽章のスピード感も圧倒的。「パルティータ」や「トッカータ」でも響きが鮮やかで、微妙なテンポの揺らしがあったり、わずかな間の作り方も心憎いばかり。颯爽と風を切って躍動するような、とても新鮮で現代的なバッハ。そんなエスファハニの個性が輝く演奏をクリアにとらえた録音にも注目したい。最弱音までクリアに聴こえると音楽の表情が違うのだ。ハイレゾならではの優秀録音だ。
2023年はラフマニノフの生誕150周年ということで超ビックな企画が登場した。グスターボ・ドゥダメルが指揮するロサンゼルス・フィルに、ピアノがユジャ・ワンときたら、これはもう天下無双の組み合わせだろう。どうしたって注目せざるを得ない。もちろん演奏に好き嫌いがあるのは当たり前。しかし、ここで展開されている圧倒的なパフォーマンスとゴージャスなサウンドには誰もが唸らされるに違いない。録音は2023年2月、ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールで2夜にわたって行なわれた演奏会のライヴ収録だ。ライヴとはいえ、会場ノイズもないし、拍手や歓声も入っていないので、編集の手は加わっている。ドゥダメルとユジャ・ワンは2013年2月にカラカスで、ドイツ・グラモフォンにラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をライヴ収録しているが、さあ10年の年月を経たロサンゼルスではどんな演奏を聴かせてくれるだろうか。オケもホールも異なるのだから当然なのだが、まずオケの響きやピアノの鳴りと拡がりが違うことにびっくり。第3番の冒頭、コントラバスのピチカートがブンブンと鳴る……おおーっ! こうきたかと身構える。ロシアン・ロマンティシズムのほの暗さはなく、低音域にしっかりと重心を持たせた雄大でゴージャスなオケサウンド。ピアノも10年前の録音に比べると、音色に幅が出て一音一音にグッと気持ちを込めた弾き方で、テンポもいくぶん抑えている。第3楽章の高速パッセージでは、音の推進力に彼女らしいすごみがあるものの、無理なやりすぎ感はなく、しなやかさに深みのある情感が加わって“これがユジャ・ワンの成熟か”と感じさせられる。
とにかくピアノ協奏曲の第1番~第4番、それに加えて「パガニーニの主題による狂詩曲」まで2夜のコンサートで弾ききってしまうのだから、体力も気力も超人的だと言っていい。ラフマニノフのピアノ協奏曲を弾くとなれば、それが人気の第1番であろうと第2番であろうと、誰もが知っている美しい旋律をかぎりなく美しく弾きたいと意気込むし、さらに音の数の多さに圧倒されてしまう。どうしても作為的になりがちだ。ところがユジャ・ワンのピアノからは、そうした気負いが吹っ切れて、自然と湧き上がるように音が立ち上がってくる。とくに狂詩曲でその自然さが際立っている。軽快で切れの良いタッチはユジャ・ワンの得意技。バリエーションの変化やコントラストの付け方が巧みで、音が前へ前へと転がるように連なって、その多彩で勢いのある表現に爽快感さえ覚える。これがスタジオ・セッションならもっと解像度が高く、オケの細部の動きもクリアに録れたかもしれない。いや、このピーンと張った緊迫感と伸びやかで開放的なサウンドが交錯する音楽の醍醐味は、やはりライヴならではのものではないだろうか。
ヘルマン・クレバースの録音が「Herman Krebbers Edition」というシリーズでVol.1~15まで配信されている。「それって誰?」と言われそうだが、オランダの名ヴァイオリン奏者だ。オールドファンならコンセルトヘボウ管のコンサートマスターといえばわかってもらえるだろうか。1951年から名指揮者ウィレム・ヴァン・オッテルローが指揮するハーグ・レジデンティ管弦楽団のコンマスとして活躍し、1962年からコンセルトヘボウ管のコンマスに就任。若き日のベルナルト・ハイティンクを支え、まさにオケの顔として同楽団の黄金期を築いた知る人ぞ知る名手だ。20世紀最高のヴァイオリニストの一人と評価するコアなフォンも少なくない。モノラル時代にオッテルローの指揮で録音したバッハの二重協奏曲やベートーヴェン、パガニーニのヴァイオリン協奏曲など、当時の録音としてはかなり状態もいい。ステレオ時代に入ると、ハイティンクの指揮で演奏したベートーヴェンやブラームス、ブルッフなどの協奏曲が注目されるが、ここではクレバースがコンマスとして演奏した超級の名演と室内楽にスポットを当てよう。
まずリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。指揮はキリル・コンドラシンだ。コンドラシンはコンセルトヘボウ管に客演していた1978年12月に旧ソ連から亡命した。その翌年の録音だ。オケの鳴りとホールの響きがみごとなバランスで録られたアナログ録音の傑作で、ここでのクレバースのソロがすばらしいのだ。コンドラシンの先鋭で骨太の指揮に、オケの雄大で美しいサウンドが化学反応を起こした最上級の演奏。これを聴いてしまうとほかの演奏がどれもヤワに聴こえてしまう。コンドラシンは亡命後に数枚のアルバムを遺して1981年に心臓麻痺で亡くなってしまう。名指揮者の最後の輝きを伝える演奏となってしまった。このアルバムにはハイティンク指揮のR.シュトラウスの「ドン・ファン」と、クレバースのソロでラヴェルの「ツィガーヌ」も収録されている。
次はハイティンクの指揮するR.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」と「英雄の生涯」。1973年と1970年の録音だ。首席指揮者に就いてから約10年。30歳を超えたばかりの若さで伝統のオケを率いることができるのがと心配されたハイティンクだったが、彼の充実ぶりは目覚ましく、70年代には自信に満ち、音楽的な充実度&燃焼度とともにピークを迎えようとしていた。コンマスのサポートが大きな役割を果たしたのは言うまでもない。全合奏時のホールに満ちるマッシヴ感は圧巻だ。柔らかく、しかも響きが豊かで、弦楽器の艶やかさ、木管のふくよかさ、金管の渋い輝き。ヴァイオリン・ソロがいい味を出している。
もう1タイトルはモーツァルトの室内楽で、クレバースとオケ仲間による弦楽アンサンブルに、なんと若きハインツ・ホリガーが参加しているのだ。オーボエ四重奏曲K.370や弦楽五重奏曲K.406のオーボエ編曲版が収録されている。オーボエのピュアであふれる才気。クレバースの弾くヴァイオリンの味わい深さ。1977年のアナログ録音で、ホリガーの透明感のある音色がほんとに美しくて心に染みる。K.617の「アダージョとロンド」では、めずらしいグラスハーモニカの天国的な音色が聴けるし、ホリガーに加えフルートをオーレル・ニコレが吹いているというのもすごい。心洗われるようなモーツァルト最晩年の境地……いつまでも聴いていたい。
遊び心あるサウンドのニック・ドレイク『ブライター・レイター』がついにハイレゾに文/國枝志郎
暦の上では秋になったけれどまだまだ30度をはるかに超えて蒸し暑い。しかし、もしかしたらこれが秋の到来を予告したものなのかも……と妄想を巡らせてしまうほど、ニック・ドレイクのセカンド・アルバム『ブライター・レイター』のハイレゾ(96kHz/24bit)化は事件だ。
1948年生まれのイギリスのシンガー・ソングライター、ニック・ドレイクは、ケンブリッジ大学在学中にフォーク・ロック・グループとして活躍していたフェアポート・コンヴェンションのベーシスト、アシュリー・ハッチングスに見出されてアイランド・レコードと契約、フェアポート・コンヴェンションのファースト・アルバムを手がけたジョー・ボイドがプロデュースしたファースト・アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』で1969年にデビューした。次いで1970年には同じくジョー・ボイドのプロデュースでセカンド・アルバム『ブライター・レイター』をリリースする。エルヴィス・コステロものちに「ニック・ドレイクのアルバムの美しいストリングスの使い方に惹かれた」と述懐したほどに流麗なロバート・カービーのアレンジによるストリングス、またフェアポート・コンヴェンションのメンバーのサポートも得たこの2枚のアルバムが、評論家筋には高い評価を得たものの、あまり売れなかったことに失望したドレイクは、結局ジョー・ボイドの手から離れ、“No Frills(飾りはいらない)”と宣言してギターとヴォーカル、そして少々のピアノのみによるサード・アルバム『ピンク・ムーン』を1972年にリリースするが、その後1974年に亡くなってしまい、そのキャリアを閉じるのだった。
本人にしてみれば1枚目と2枚目はオーヴァープロデュースと考えていたのかもしれないけれど、しかしやはりニック・ドレイクの3枚のアルバムでもっとも聴き応えがあるのはこのセカンド・アルバム『ブライター・レイター』だと考える人は多いと思う。しかしながらニック・ドレイクのアルバムのハイレゾ化は、サード・アルバム『ピンク・ムーン』がいちばん早く2021年7月、続いてファースト・アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』が2022年1月にハイレゾ化されていた。当然次は『ブライター・レイター』だと期待していたものの、なぜかその後音沙汰がなくなってしまう。その間、僕は毎日配信サイトを覗いては、ああ、今日もあれの配信ないんだ……とちょっと残念に思い続けていた。いや、大袈裟ではなくてほんとうに。だから、今やっとこうしてこの名作をハイレゾで聴ける日がやってきたことをとてもうれしく思っているのだ。
ニック・ドレイクといえば内省的で繊細なイメージがあるし、ましてこのセカンド・アルバムのジャケットからは、どう考えても明るい雰囲気は伝わってこないのだが、この『ブライター・レイター』には、いたるところに遊び心のあるサウンドが盛り込まれており、このニック・ドレイクという人がけっしてつねに憂鬱の王者であったわけではないことを示している。ニックの演奏もヴォーカルも全体的に控えめだけれど、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルや、のちにP.P.アーノルドとして知られるようになるソウル・シンガー、パット・アーノルドを含むバックのミュージシャンのグルーヴィな演奏に対してけっして存在感では全然負けていない。ハイレゾで聴いて、あらためてこのニック・ドレイクというアーティストの存在について考えている夏の終わり。
フランスの電子音楽家、ジャン・ジャック・ペリー。名前は聴いたことがなかったとしても、ディズニーランドに行ってエレクトリカルパレードを楽しんだ人ならその音楽で血湧き肉躍る経験をしているはず。あのイベントのオープニング・テーマはペリーがドイツの作曲家ガーション・キングスレイ(「ポップコーン」の大ヒットで有名)とともに制作したアルバム『Kaleidoscopic Vibrations: Electronic Pop Music from Way Out』(1967年)に収録されている「Baroque Hoedown」なのである。底抜けに楽しく、わくわくさせてくれるシンセ・サウンドが、どれだけたくさんの人に笑顔をもたらしたことだろう。これだけ人口に膾炙した電子音楽はほかにあるまい。60年代後半のインストゥルメンタル・ムード・ミュージック・アルバムをレンズを通して屈折させてみせたような無邪気でハッピーなエレクトロニック・サウンドは、その後90年代にも世界的なラウンジ・ミュージック・ブームにおいて再発見されたことを覚えていらっしゃるリスナーも多いことだろう。
ペリーは60年代にかのガーション・キングスレイとのコンビ、ペリー&キングスレイ(日本ではしばしばペリキンとして親しまれてきた)として電子楽器の多重録音による作品を発表し、その後もソロとして、ヒップホップのサンプリング・ソースとしても再発見された「E.V.A.」(人類初の月面着陸を果たしたニール・アームストロングへのオマージュ曲)や、蜂の羽音をテープレコーダーで録音し、それを編集して作った「Flight of the Bumblebee」(原曲はクラシックの名曲)を含むアルバム『Moog Indigo』(タイトルはジャズの名曲にちなむ)まで、ペリーの単独名義で7枚のアルバムをリリース。その後も2016年に亡くなるまで共同名義での作品を多数リリースしてきた。しかしながら、ペリーのソロも、ペリー&キングスレイの作品も、リイシューはたびたびされながらもハイレゾとして世に出ることは今までなかった。だが、ついに! ペリーの6枚目のソロ・アルバム『The Amazing New Electronic Pop Sound Of Jean-Jacques Perrey』が、リイシュー専門レーベルとして、ハイレゾにも意欲的に取り組んでいるCraft Recordingsよりハイレゾ(192kHz/24bit)配信されたのだ。
本作はペリーにとって6枚目のソロで、当初はクラシックのレーベルとしてスタートし、その後ジャズやフォーク、ブルースの作品を多くリリースしたことでも知られるアメリカのヴァンガード・レコードから、ペリー&キングスレイ名義での『The In Sound From Way Out!』(1966年)および前述した『Kaleidoscopic Vibrations: Electronic Pop Music From Way Out』(1967年)に続いてリリースされたもの。フランス民謡とペリーのオリジナルがミックスされた「Frere Jean Jacques」や、ベートーヴェンの「田園」が巧妙に組み込まれた「Four, Three, Two, One」、「ツィゴイネルワイゼン」的なイントロで始まる「Gypsy In Rio」など、多様な音楽のエッセンスを少々アヴァンギャルドなスパイスで味付けした遊び心たっぷりの作品で、あっという間に終わってしまうのがちょっと残念なほど。ヴァンガードからはこのアルバムのあと、件の『Moog Indigo』も出ているので、ほかのアルバムとあわせて今後のハイレゾ・リイシューに期待しよう。
日本人ジャズ・ベーシストとしてトップクラスの実力を持つ納浩一(おさむこういち)。京都大学を卒業後アメリカに渡り、バークリー音楽大学を卒業。帰国後は渡辺貞夫グループのベーシストとして活躍するとともに、ドラムスの大坂昌彦、サックスの小池修、ピアノの青柳誠と組んだユニット「EQ」で多くのアルバムを制作、ライヴも数多くこなしてきた。また、ジャズ・セッションでは必須のスタンダード・ブック“黒本”こと『ジャズ・スタンダード・バイブル』をはじめ、ジャズの理論書の著作も多い、学究肌の音楽家でもある。近年はピアノのクリヤ・マコト、ドラムスの則竹裕之とのトリオ、アコースティック・ウェザー・リポートでの活動も盛んに行なっている。ちなみにEQとアコースティック・ウェザー・リポートについてはハイレゾでのリリースもされているのでぜひ探してみていただきたい。後者はハイレゾマニア垂涎のDSDダイレクトレコーディングで、DSD11.2MHzデータ配信も行なわれているので必聴だ。
さて、今回紹介するのはその納浩一によるソロ第2作『CODA』である。ん? 待てよ。納のソロは最初が『三色の虹』(1997年/未ハイレゾ化)、次が『琴線』(2006年/96kHz/24bitハイレゾ配信あり)で、『コーダ』は3作目では? と思ったのだけど、HPを見ると、どうもこの『琴線』は自作が入っていないという理由で数に入れていないようである。HPにある本人の弁によれば「僕は、自分で発表する自分名義のアルバムは生涯に二枚と決めていました。その大きな理由は、僕がベーシスト、ミュージシャン、さらにはアーティストとして尊敬して止まないジャコ・パストリアスが発表したアルバムが、基本的には生涯二枚(と僕は思っています)だったからです。彼ほどのミュージシャンが生涯に二枚しか出していないのに、自分がそれ以上出せるとは到底思えない、そんな考えから、生涯二枚と決めていました」ということだ。いや待ってくれ、納はまだ62歳である。まだまだこれからも活動してくれるだろうし、これが最後のソロ・アルバム(しかもタイトルが『CODA』)って気が早すぎませんか……とは、おそらく多くのファンの気持ちではなかろうか。
しかし納はHPでこうも心情を吐露するのである。「ここ数年の音楽業界の流れを見ていると、CDというメディア自体が終わろうとしていますし、加えてアルバムという形で、数曲を一つのアルバムに収録して、それを一つの作品として聴いてもらうという音楽の聴き方も、過去のものとなろうとしていると言えます(中略)時代の流れと自分の考え方に乖離が生まれ出した昨今、その意味でも、いまが自分に取ってアルバムを出す最後のチャンスであり、それが引いては自分自身の最終楽章を在り方を示唆できるのではないかと感じたわけです。自分は今まさに、自分自身の“CODA”に進行したということですね」
ううむ……この熱い思いを知ってアルバムに込められた音楽の濃密さを聴けば、“これがCODA”ということも納得、かもしれない。ゲスト陣の豪華さもさることながら、やはり納自身が作曲した楽曲の強度が桁外れというところからも、その思いを強くする。しかも、今回のハイレゾ(96kHz/24bit)はCDの発売(2022年7月)から1年後となったわけだけれど、CDとは曲順がまったく違うことにも驚かされた。CD(12曲収録)の少し後に出た2枚組LPは、2曲の新録音を加えて、A面が「Groove Side」と名付けられて4曲、B面が「Osamu World Side 1」で4曲、C面が「Big Band Side」で3曲、D面が「Osamu World Side 2」で3曲、トータルで14曲の収録となっているが、今回の配信版はLPに準じた曲順となっているのである。
アルバムという形態がすでに過去のものとなりつつあるという危惧を表明している納だけに、“僕のアルバムはこの曲順で聴いてほしい”という絶対的な配列をひとつだけ提示するのだろうと当初は思っていた。LPの曲順が違うことは、ボーナス・トラックの存在もその理由の一つではあろうが、LP2枚組だと途中で3回、盤をひっくり返す必要があるがゆえのこの曲順だったのだとも考えた。ということで、配信版がLPと同じ曲順をとっていたことにはやや驚かされたということは正直に告白しておこう。バリトンサックスをフィーチャーして、納がかつて聴きまくったというレッド・ツェッペリンへの豪快なオマージュ(「B.B.Groove」)で始まるCDに対し、配信(およびLP)はビッグバンドによるリズムチェンジ・ナンバー(「Change The Rhythm」)による、なんとなくミステリアスなオープニングで、すでにまったく違う世界が展開する。CDを聴きまくっていた僕(LPは未聴)には、新しいアルバムを聴くような新鮮さがあったことも事実である。配信を聴いたあと、ぜひCDの曲順で聴いてみていただきたいし、また自分なりの曲順を考えてもいいかもしれない。どう料理しても納浩一のグルーヴは聴き手を虜にすることは間違いないと思うから。
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