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ハイレゾで登場したリリー・クラウスの60年代の録音に聴くデジタル技術の進化文/長谷川教通
60年代、70年代のアナログ録音で、これまで埋もれていたアルバムがデジタル・マスタリングでその価値が甦るとすれば、それは音楽ファンにとっては限りなくうれしい出来事だろう。しかもハイレゾ時代に入ってからのマスタリング技術は飛躍的に高度化している。かつてマイナーレーベルだったことで、CD時代になってもそこそこのクオリティでデジタル化されていた例はけっして少なくない。ここでは1986年に83歳で亡くなったリリー・クラウスに注目したい。というのも、ハイレゾで登場しているモーツァルトのピアノ協奏曲の音源を聴いて「えっ、こんな音だったっけ?」と驚いてしまったからなのだ。デジタル技術の進化はすごい!
リリー・クラウスは1903年ブダペスト生まれのピアニスト。モーツァルト弾きとして最高の評価を受けていたが、彼女が残した録音は戦後のものでもLPレコードでは音質的にかならずしも満足できるものではなかった。ところが1965~66年にかけてウィーンでEPICレーベルに録音されたモーツァルトのピアノ協奏曲が、オリジナルのアナログ・テープから192kHz/24bitでマスタリングされたのだから、これはグッド・ニュースだ。ということで音源を試聴してみたのだが、もしやミックスまでやり直しているのだろうか。いやオリジナルが2chだったとしてもマスタリング時の調整が相当な効果を上げているに違いない。
オケは、アメリカのスティーヴン・サイモンが指揮するウィーン音楽祭管弦楽団で、録音用にウィーン響のメンバーで構成されていた。まだ若手の指揮者だったこともあり、当時はオケの出来に不満があると評されることもあったようだが、この192kHz/24bitのハイレゾ音源で聴き直せば、いやいやけっしてそんなことはない。クラウスのすばらしいピアノをしっかりとサポートしているのがわかる。このプロジェクトでは全曲の録音が行なわれたはずなので、ぜひハイレゾ音源で全曲を聴きたいと思う。ちなみに、クラウスは1967年にアメリカに移住していて、ニューヨーク市庁舎における9夜にわたる全曲演奏も、クラウス&サイモンの組み合わせで成し遂げている。60歳半ばのクラウスにとって最上の演奏だったのではないだろうか。第21番第1楽章のカデンツァで交響曲第40番のテーマが聴こえてきたり、そんな面白さもある。モーツァルト後期の作品における成熟の極みと言える演奏もすばらしいが、初期の協奏曲は演奏される機会も少ないので、彼女の激しい魂から湧き上がる生彩感と優しさがあふれだす演奏は貴重な遺産。これを機にリリー・クラウスの芸術が見直されるといいなと思う。
北欧出身のソプラノといえば、輝かしくて強靱な声……そうワーグナー歌手として一世を風靡したキルステン・フラグスタートやビルギット・ニルソンを思い浮かべるが、リーゼ・ダヴィドセンは声の強さやドラマティックな表現は言うまでもなく、リリックな表情も持ち合わせていて、たしかにこんなすばらしい声のソプラノはめったに現れるものではない。デッカへのデビュー・アルバムではエサ=ペッカ・サロネンの指揮でR.シュトラウスとワーグナーを歌って、すごい歌手が登場したと驚かされ、期待も膨らんだが、いまやバイロイトをはじめ世界中の歌劇場から引っ張りだこ。一世代に一人出るか出ないかのソプラノとさえ評価されるまでに成長している。
そんな彼女が歌ったクリスマス・アルバムだ。北欧の冬は長くて寒い。それだけにクリスマスのシーズンは誰もが心待ちにし、みんなが集まっていっしょに歌う……そんな温かくて幸せなとき。リーゼ・ダヴィドセンも幼い頃からクリスマスが大好きで、音楽に興味を持ったのもクリスマスだったと、彼女は言う。そんなリーゼが大切にしているクリスマスの歌。まずスウェーデン語で歌う「O Helga Natt(=オー・ホーリー・ナイト)」。歌声にはしっかりとした芯があり、ふくよかさもあって、高音域の輝かしさはほんとうに美しくて伸びやか。ていねいな歌い方には崩したところがいっさいなく、ポップス系の歌手によるポルタメントのかかった歌い方とはまったく違う。クラシック音楽ファンには嬉しい。「きよしこの夜」「まきびとひつじを」「神の御子は今宵しも」など、誰もが聴いたことのあるキャロルにノルウェーの民謡も加わって、最後にはもう一度「オー・ホーリー・ナイト」が英語ヴァージョンで歌われる。ラストの高音域の何とすばらしいこと。
さあ。この声をどう再生できるか。2022年9月にノルウェーのJar Kirkeで収録。オスロ近郊にある三角屋根が印象的な教会で、内部は木組みで中央が高くなった三角天井はいかにも響きが良さそう。音源としての特徴は何と言っても圧倒的な存在感を示すソプラノの声。この声の質感がどれだけリアルに再現できるか。96kHz/24bitのハイレゾ音源では、CD音源と比べると音像の輪郭情報が膨大になるので、とくにスピーカーの再現性が問われることになるが、オーディオの魅力は「声に始まり声に終わる」などと言われ、やはり声につきると思う。ぜひレファレンス音源に加えてほしい。
エリック・サティとジョン・ケージを同じ空間と時間の中に共存させることで、ほかに類を見ない特別な響きの世界を描き出す。それがベルトラン・シャマユのアイディアなのだろう。だから、好きな曲だけをダウンロードすることも可能だが、このアルバムについてはできることなら全曲を通して聴いてほしい。プログラムはケージの作とされる「エリック・サティのための小石の全面」から始まる。そしてサティの「グノシエンヌ第1番」、ケージの「瞑想への前奏曲」、サティの「ジムノペディ第1番」「グノシエンヌ第2番」「グノシエンヌ第3番」と続く。サティは1866年ノルマンディの生まれ、ケージは1912年ロサンゼルスの生まれ。40歳以上もの年齢差のある2人の作品が同じ空間で響く。不思議な時間の流れを感じとる。シャマユの繰り出すピアノの音色が聴き手の感性をビンビンと刺激する。
サティが日本で広く知られるようになったのは、1970年代に現代音楽の旗手として注目された高橋アキの活動が大きかったかもしれない。あれから半世紀。サティの作品はすっかりイージーリスニング化してしまった気もするが、シャマユの音色を聴くとそんな生ぬるい気分がいっきに覚醒され、原点に引き戻される。強靱なタッチ、そっと指を置くような優しいタッチ、多彩を極める響きのバランスなど、音の数が少ないだけにその一音一音の音色と、その連なりがとてつもなく大きな意味を持ってくるのだ。
シャマユが弾く音色と響きの重なり……これがすばらしい。2023年4月3日~6日、フランスのミラヴァル・スタジオで収録されたが、このスタジオというのがプロヴァンス地方の古城を1977年に改装したもので、貴重な70年代のアナログ録音機材が残っているらしい。これに加え2022年には最新のデジタル機材を導入して、ハイブリッドなスタジオになっているらしい。とにかくピアノの打鍵のスピード感がものすごい。大音量という意味ではなく、レスポンスの良さと響きの透明度の高さに驚かされるのだ。低音域でさりげなく鳴る規則的なリズムに、旋律線がゆらぎをともないながら、そして音と音が絶妙に重ね合わされながら、極上の音色を創り出していく。その絶妙なバランスがみごとに収録されている。ケージは「サティはインスピレーションの源」と言うが、その意味がよく理解できる。聴き手は2人の作曲家の斬新な音の世界にグイグイと惹き込まれてしまうのだ。シンプルな音と響きがどう組み合わされ、二乗三乗の効果をもたらすのか、それが克明に聴こえてくる。ハイレゾの醍醐味を味わいたいオーディオファンにはぜひオススメしたい。これまでシャマユはサン=サーンスのピアノ協奏曲やラヴェル、ドビュッシーなどのフランス近代の作品、そしてメシアンへの積極的な取り組みも注目されたが、このアルバムでもすばらしい仕事をしてくれた。
ポーティスヘッド初のハイレゾはライヴ作 3曲プラス、2曲差し替えた驚きの25周年記念版文/國枝志郎
トリップホップ。イギリス西部の港湾都市ブリストルを発祥の地とするヒップホップ由来のこの音楽ジャンルは、1991年にリリースされたマッシヴ・アタックの『ブルー・ラインズ』を嚆矢として広まったと言われる。もっとも、もともと音楽ジャーナリズムから生まれてきた呼び名ということもあってか、その呼び名はアーティストにはあまり歓迎されなかった。いや、歓迎されないどころかむしろ忌み嫌われていたと言ってもいいかもしれない。“トリップホップ”という言い方はとにかく避けられ続け、アブストラクト・ヒップホップとか、発祥の地にちなんでブリストル・サウンドとかという名称のほうが推奨されるようになっていったのだが、個人的にはトリップホップということばにそれほど違和感は感じなかったし、旅をしたり夢を見たりするような、“ここではないどこか”に聴き手を連れていってくれるような音楽にはぴったりの言葉じゃないかと思ったりもしていたのだった。1991年にブリストルで結成されたポーティスヘッドの音楽にはそれをとくに強く感じたものである。
1994年にポーティスヘッドが発表したファースト・アルバム『ダミー』は、世界中で広くヒットを記録して、バンドは広くその名を知られるようになった。それとともに先述したトリップホップということばも幅広く流布するようになる。それは彼らにストレスをもたらしもしたのだろうが、しかし彼らの音楽はやはりトリップ感覚をたたえ、聴くものを別の世界に誘うパワーを持ち得ていたのもまた事実。だからこそ、その音楽の陰鬱さにもかかわらず多くの人の心を捉えたのだ。
彼らのアルバムとしては『ダミー』に続くセカンド『ポーティスヘッド』(1997年)、『サード』(2008年)の3枚のスタジオ・アルバムが、また1998年にはニューヨークでオーケストラを従えて行なわれたライヴを収録したアルバム『Roseland NYC Live』がリリースされている。オリジナルの3枚はいまだハイレゾ配信が実現していないが、今年発売から25周年を記念して、このライヴ・アルバムが2023リマスター盤として装いを新たに発売されることになり、それにあわせてポーティスヘッドとして初のハイレゾ(48kHz/24bit)配信もスタートしたことはとてもうれしいニュースだ。
しかも、である。これは単純にかつてリリースされていた『Roseland NYC Live』のリマスターというだけに留まらないのだ。タイトルが『Roseland NYC Live 25』となっているのにお気づきだろうか?
オリジナル盤は全部で11曲。それに対してこのリマスター盤は3曲多い14曲を収録している。この3曲(「Undenied」「Numb」「Western Eyes」)は、映像版から音源のみを収録したもの。
これだけでもリマスター盤の価値は大きく上がるけれど、なんとさらに驚きが!
じつは最初にリリースされたこのライヴ・アルバム、タイトルにあるようにニューヨークのローズランド・ボールルームで1997年7月24日に行なわれたライヴのテイクを収録しているのだが、2曲だけ別日・別会場でのライヴ・テイクが使われていた(「Sour Times」は1998年4月1日のサンフランシスコでのテイク、「Roads」は1998年7月3日、ノルウェーでのテイク)。その2曲が、今回のリマスター盤ではほかのトラックと同じ1997年7月24日のテイクに差しかわっているのだ。これは統一感という意味でも重要な変更と言えるだろう。
オリジナル盤のハイレゾ化も待たれるが、このライヴ・アルバムはオリジナル盤を超える圧倒的な熱量を放つ必聴盤。ストリングスとブラス隊のシルキーなレゾナンスを楽しんでほしい。
クルーダー&ドルフマイスターのアルバムがハイレゾで配信されるとはなんという不測の事態! いや、大袈裟ではなく、本当にそう思う。いったいなにが起きたんだ……。
クルーダー&ドルフマイスターは、ペーター・クルーダーとリヒャルト・ドルフマイスターによるデュオ。オーストリアは音楽の都ウィーンで結成され、1993年に彼ら自身のレーベルG-Stonedからシングル「G-Stoned」(ジャケットはサイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』を彷彿させるもので話題にもなった。ぜひ検索してみてください)でデビュー。彼らもじつは初期にはトリップホップの旗手と目されていたのだが、エレクトロニカ、ダウンテンポ、ニュー・ジャズ、ブレイクビーツ、ダブといったジャンルを横断する特異な音楽性で、自作でもリミックスにおいても、ディープで美の極みのような楽園音響を生み出す名手としてつとに知られる存在だ。彼らはそれぞれソロ・プロジェクトも多い(クルーダーのPeace OrchestraやVoom:Voom、ドルフマイスターのToscaはそれぞれ継続して素晴らしい作品を生み出している)が、デュオとしても途中に休止期間はあったものの現在に至るまでその活動は続いている。
彼らは自作も素晴らしいが、どちらかというとその真骨頂はDJミックスやリミックスのような仕事にある。事実、彼らの自作自演はシングルが多く、オリジナルを集めたフル・アルバムはじつは1枚(2020年の『1995』)のみで、あとはミックス・アルバムがメインなのだ。彼らのソロ・プロジェクトは自作中心なので、彼らに作曲能力がないわけではけっしてない。しかし、彼らのDJミックス・アルバム、たとえばStudio !K7からリリースされた『DJ-Kicks:Kruder & Dorfmeister』(1996年)と『The K&D Sessions』(1998年)で、ドラムンベースやダウンテンポ、そしてロック(デペッシュ・モードまで!)をスムースにミックスした彼らの手腕は賞賛されるべきものである。もちろんこれらのすばらしいミックス作品で見せた芸術性は、『1995』で見事な花を咲かせたと言うこともできるだろう。彼らは外部の音楽から得たものを咀嚼してオリジナルへと昇華させたのである。
そして今回取り上げる『Conversions - A K&D Selection』は、『DJ-Kicks』に2ヵ月先がけて、オーストリアのレーベルSprayからリリースされたアルバム。選曲としてはドラムンベースが多いが、こちらは『DJ-Kicks』と違い、シームレスなミックスは施されていない。つまり、K&Dが選曲したコンピレーション・アルバムという趣である。それにしてもなぜ今これがハイレゾ化(44.1kHz/24bit)? とも思うが、SprayレーベルはSony Music傘下になっているからか。本作はけっして彼らの代表盤ではないけれど、この才能あるふたりにスポットが当たることを願って紹介した次第。踊ることもでき、チルアウトもできる秀逸な作品であることは間違いなしなのでぜひ耳を傾けてほしい。
洋楽界をおおいに賑わせているボブ・ディランの『コンプリート武道館』。1978年2月28日と3月1日に日本武道館で行なわれたボブ・ディランのライヴは日本のレーベルサイドからの要望でライヴ・レコーディングされ、そのうちの一部がまず日本で同年8月に、またアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパでも翌年までにLP2枚組で『武道館(Bob Dylan at Budokan)』のタイトル、全22曲、約100分というボリュームでリリースされた。
このボリュームは、当然ながら2日間で演奏・録音されたものの一部ということで、収録されなかった音源はどうなってる? と思うのはファンなら当然のことだろう。この疑問を持った日本の担当ディレクターがテープ捜索の旅に出たところから物語はスタートする。そして奇跡的に24チャンネルのアナログ・マルチテープを発見したのは2007年のこと。そこから長い旅が始まり、2023年のリリースに漕ぎ着けるまでのストーリーはレーベルの特設サイトやさまざまな媒体で紹介されている。これがとんでもなく興味深い話なので、ロック・ファンならずともぜひご一読されたい。最終的にCD4枚組、LP8枚組、全58トラック中36トラックが今回初出、トータルタイム270分におよぶすさまじい物量でのリリースが実現したのは、関係者の驚異的な熱量のおかげなのだ。
さて、しかし当コラムの興味としてはこの音源のハイレゾとしての扱いであるわけだが、この音源のマスターに関しては、特設サイトに次のような記述が見られる。
「2インチのアナログ・マルチテープからマルチトラックでデジタルに取り込んだのち、(エンジニアの)鈴木智雄氏がアナログコンソールに立ち上げトラックダウン。そのトラックダウン時にトラックダウンのスタジオにマスタリング機材を持ち込み卓アウトから直にDSD11.2のフォーマットにて取り込みを行う」
ここまでやるのであれば、どうしてフィジカルをSACDハイブリッドで出さなかったのかという詮索をしたくもなるが、それに代わってかハイレゾ配信はPCM(96kHz/24bit)は当然として、なんとDSD11.2での配信も実現した。
マスタリングはハイレゾ・マスタリングでも定評のあるStudio Dedeの吉川昭仁。オリジナル・エンジニア鈴木智雄からの信頼も厚く、自身プロフェッショナルなドラマーでもある氏による丁寧なマスタリングによるこのDSD11.2サウンドはまさにCDとは別次元のすばらしさ。ハイレゾなら4時間30分にわたってノンストップで1978年の若きディランの快演に浸ることができる。全ディラン・ファンはアナログもいいけどこのあたりでぜひハイレゾに走りましょう!
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