過ぎてしまった時間というものは、取り返すことができない。パラレルワールドとか、タイムトラベルとか、難しいことはよく分からないけれど、今のところ、私は取り返せたことがない。鯉の池にクーピーをぶちまけた時、テストが近いのに寝落ちしてしまった時、ライブが思うようにいかなかった時……「もう一度、少しだけでも良いから時間を戻したい」と願っても、叶わないことが数え切れないほどあった。
先日、大好きなアーティストのライブを見るために、新潟から東京へ新幹線で向かった。開演時間までは一時間以上あったので、会場近くのカフェに入り、ぼんやり考え事をしてから会場へ向かった。扉を開けた瞬間、熱気と客席の盛り上がりを感じて、少し早く始まったのかな? と思った。早く始まったわけではなかった。うっかり二日間の公演の前日の開演時間(一時間遅かった)を見て予定を組んでしまっていたことに気がつくのには、それほど時間がかからなかった。せっかくここまで来たのに、そしてカフェで再度確認していたら間に合っていたのに……!
こういった失敗をした時に、どうやって自分を納得させるのか。時間がどんどん過ぎてしまうことを肯定的に捉える事はできないものか。自分のミスとはいえ、この悲しみを良いように考えるためには……そうだ。しいたけ。
ここ最近、私は自宅でしいたけを育てていた。購入してから、何日か水やりをしていたら、あっという間に沢山のしいたけが生えてきた。栽培キットをまともに育てられたことがなかった私にとっては嬉しい出来事だった。これは、このしいたけは、時間が過ぎなければ得られなかった。取り返せない時間があれば、時間の経過がなければ得られないしいたけもある。あんまり悲しんでばかりいてはいけないよ、としいたけに言われたような気がした。ありがとうしいたけ。こうして私は、今夜の我が家の食卓に、しいたけのうま煮をそっと差し出したのだった。