特別対談 武部聡志×川江美奈子
[2]“『時の自画像』から『この星の鼓動』までの変化”と“リアリティのある、歌”
――それだけ川江さんの作る楽曲は完成されてるっていうことですね。NHKのドキュメンタリー番組で武部さんがミュージシャンの方に“弱みが強みになる”ということを言われてますよね? 川江さんの場合、そういう部分っていうのはいかがですか?
武部 「彼女に関して言えば、自分でも言ってるんですけど、すごくこう“オタクっぽい”ところがあったり、“引きこもり”のところがあったり」
川江 「けっこう暗いんです(笑)」
武部 「その暗さが僕は魅力だと思っていて。そのギャップがあればあるほどいいと思ってるんです。人前に出てパフォーマンスするときの押し出しの強さみたいなものと、自分でこもって曲を書くときのナイーブさみたいなのが、ものすごく差があればあるほどいいなと思っていて」
――1stアルバム
『時の自画像』は、具体的にどういうあたりの曲に“弱さと強さ”みたいな色合いが強いですか?
武部 「〈恋〉なんかはそうだよね。その頃のことで言うと〈ずっとはるかあなたと〉と〈たとえうた〉っていう2曲が最初に僕が聴いた6曲入りのデモ・テープに入ってたんですよ。僕と出会ってから作り始めたのが〈最終電車〉〈恋〉〈宿り木〉とか。〈最終電車〉って曲は、
ユーミンの〈雨のステイション〉とかに匹敵するくらい、情景描写のレベルがすごいと思ってます」
川江 「〈最終電車〉は朝の4時か5時くらいに部屋にこもって書いた曲です。意識は駅のホームにあって」
武部 「感情的なことよりも、情景的なことが浮かぶのは珍しいことでね。僕も彼女もとくに
荒井由実時代のユーミンに魅かれたっていう共通点があって。ユーミンの、シーンの切り取り方とか、その映像の描き方みたいなもののすごさっていうのを僕は身を持って感じているし、リスナーとしてもすごく好きだから。〈雨の街を〉とか、〈雨のステイション〉とか、ああいうちょっとスモーキーな世界っていうのをやってみたいなってずっと思ってました」
――処女作となった『時の自画像』は、いま改めてどんなアルバムだと思いますか?
武部 「たぶん、それまでの何年間かの集大成だと思いますよ。だからアマチュアの頃とか、ア・カペラをやってた頃とか、いろんなことをひっくるめてそこまでの蓄積が一つのかたちになったものだと思うんです、これは」
川江 「武部さんにプロデュースしていただくことで、自分が研ぎ澄まされたと思っています」
――『時の自画像』と比べた、2ndアルバム
『この星の鼓動』のイメージの違いは?
武部 「僕はコンセプチュアルなものが好きなので、アルバムを作るときにそのアルバムで何を伝えたいかっていうのを先に考えたり、10曲だったら10曲通してのメッセージとか、柱になるものっていうのを考えながら作ることが多くて。で、1枚目のアルバムが“時”っていうテーマで、彼女の何年間かの私小説にしようというコンセプトで、2枚目は“絆”って言ってたっけ?」
川江 「最終的にはそう。最初は、前よりもカラフルでなおかつ……」
武部 「最終的には“絆”というものをテーマにしたいなって思って、そこから“relationship”っていう言葉が出てきて。だから〈relationship〉っていう曲は、一番このアルバムを象徴する作品なんです。〈しあわせ〉っていう歌もけっこう吟味してね。“しあわせっていうのはどういうことなんだろう?”っていうのをディスカッションしたんですよ」
――歌詞について?
武部 「歌詞というか“しあわせ”という言葉のイメージ。それって人それぞれ捉え方は違うんだけど、“続かないことがしあわせなんじゃないか?”っていう僕らなりのね。“しあわせ”だって感じるってことは永遠じゃないから、“しあわせ”だって感じる。という話から……」
川江 「そういう考え方が私の作る曲の中にずっとあって。大事なものがいつか失くなっちゃうことをすごく恐れながら、子供のときから生活してきたので」
武部 「“大事なものを失いたくない”とか“それが壊れたときどうなる?”とか、それが彼女の音楽のキーですから。だからちょっとアップ・テンポの曲があったり、サウンド的にもゴージャスなものがあったりするんだけど、詞の世界は“絆”っていうテーマに寄り添ったかたちになって」
――1stと比べてアレンジもこっちの方が手を加えてる感じですよね?
武部 「そうですね。いろんな音が入ってるし」
川江 「私としては“わーい”って感じでしたけど(笑)」
――『この星の鼓動』の曲で印象に残っている曲は?
武部 「やっぱり、〈relationship〉ですね」
川江 「私、曲を書いたときって、いい曲かどうかって分かんないんですよ、いつも。“あ、けっこういいかな”って思っても誰も反応しないときもあるし、“とりあえずちょっと聴いてもらおう”とかって思うとすごい反応がある。〈relationship〉のときは、武部さんが大阪かどこかの公演先から感想の電話をくれました(笑)。めったに“いい”とおっしゃられないのですが……」
――厳しい?
川江 「はい。厳しいっていうか、褒められることはありません(笑)。“けっこういいんじゃない?”くらいが、すごくいいほう」
武部 「このときは“すごくいい”って言って」
川江 「言わないですよ(笑)。人には良く言ってくださることもありますけど、私には……(笑)」
武部 「まあね(笑)。この〈relationship〉と、やっぱり〈しあわせ〉かな。あと〈桜色舞うころ〉か」
川江 「〈桜色舞うころ〉は
中島美嘉さんのために、コンペで書いたんです」
武部 「詞も、コンペに出す段階でかなり吟味したね。結果的に、僕がアレンジをして世の中に出ることになるんだけど、この曲で彼女がすごく評価されたという部分があるので、僕らにとってはとても大事な作品です」
――2mdアルバムの後にシングル「ピアノ」がリリースされて、その「ピアノ」の制作の頃って川江さんは病気を患ってましたよね?
武部 「〈ピアノ〉っていう曲は、種類が違う詞が何パターンもあるんですよ。去ってしまう立場、去られる立場、そうではない恋愛パターン」
川江 「ヴァージョン12まで書いた。それくらいまで書いて、手術中にさらに新しいのが頭の中にあって。私まだ考えてるんだ〜とびっくり(笑)」
武部 「最初に彼女が作ったときに“これは素晴らしい曲だな”と思って、一番いいかたちで出したいなと思っていて。だから僕もすごい試行錯誤をしたし、彼女もしたし、いろいろトライしました。歌詞が、ピアノを弾いてるのは自分がいいのか、誰かが弾いてくれるっていうのがいいのか、その両方を書いてみてどっちがグッとくるかとか。自分がピアノを弾くヴァージョンの詞ってのもあるね」
川江 「最終的には2つに絞り込んで一応レコーディングしてみたりして。まったく違うんです。ちょっと違うとかじゃなくて」
――最終的にいまの詞になった決め手っていうのは?
武部 「リアリティみたいなもの。だからやっぱりそこで病気をしたことで、自分が去ってしまうっていう歌を歌う方が、ヴォーカル・テイクにリアリティがあった。僕はやっぱり、これは彼女だけじゃなくて、歌う人のリアリティが詰まってるものじゃないと嫌なんですよ」
川江 「本当は一番最初に書いた詞っていうのが、私が誰のことも気にせずに自由に書いた詞だったんです。でもその後に、それを世に出すっていうことは、みんなに伝わらなきゃ意味がないっていうことを強く言っていただいて。なおかつリアリティがあってっていうことも」
武部 「病気とか手術とかがなかったら、この詞をチョイスしてなかったかもしれないよね? 彼女のそういう経験が、この歌が生まれる必然性につながったっていうことなんですよね」
川江 「そういう手術とか病気をしたっていうリアリティはありつつも、私のなかでは多くの人たちのそれぞれの世界にハマるようにという意識があって。そのために考えたというか、心をスパッと切り替えてできた詞というか。それまでは自分が言いたいから言うっていうのが強かった」
武部 「作るのが一番大変だったけどね。そこまでの何十曲か作ったなかで」
――歌詞について2人の間でぶつかり合いがあったんですか?
武部 「ありましたね」
――それはなにかが足りなかったんですか?
武部 「いままでの曲は“陰”の部分が出てるんだけど、やっぱりどっかオブラートに包んだような出し方だったので、もっとドロっとした部分をこの歌では出した方がいいなって思ったんですよ」
――もうちょっと生身の感じっていうか?
川江 「そう。詞ができないからじゃなくて、気持ちを変えられなくて悩みましたね」
武部 「音楽を世の中にリリースするってことは、自分のメッセージでもあり、だけど、リリースしたらそれはもう自分の手を離れてリスナーがそれぞれの想いを重ねて、曲自体が一人歩きして成長していくものじゃないですか? そういう曲にしたかった。〈ピアノ〉にしても、そのあとに書いた〈旋律〉にしても、他の人が違うストーリーを紡ぎ出せるっていうことを大事にして作ろうって」
――大きな転換期っていうこともありましたね。
川江 「転換してないけど(笑)」
――(笑)。まだ葛藤のなかにいる?
川江 「まあ、そうですね。そういうことならできないみたいなことをすごい悩んで」
武部 「“そんなこと私にはできない!”とかって(笑)」
川江 「“もう全部やめます”とか、“3日考えさせてください!”とか(笑)」