“ショパンの宇宙”を歩いたら
文/青澤隆明
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが終わったのはつい先日のことだが、丸の内にはすぐにいつものビジネスが帰ってきたのだろう。街は整然として、行き交う人々は祝祭と違う時間を生きている。“ショパンの宇宙”はいまどこで、どのようにみつめられているのかといえば、それはやはり聴き手ひとりひとりの胸にかかっている。
さて、
ショパンの内心がピアノとともにあったことはもちろんとして、LFJの“ショパンの宇宙”には、その外側に広がるものも響いていた。人々の間にいるときのほうが孤独は強まる、ということはショパンのような天才でなくてもふつうにあることだ。同じように、ほかの作曲家が手がけた作品と並べられることで、ショパンの特異な個性もかえって際立ったように思えた。
4月30日 前夜祭でのマルチン・コジャク
(C)三浦興一
まず4月30日の前夜祭では、ゼスポール・ポルスキが演奏する民族音楽やマズルカとあわせて、ポーランドの新進ピアニスト、マルチン・コジャクとゲオルグ・チチナゼ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアとの共演で、ショパンのロンド「クラコヴィアク」が披露され、ポーランドの民族舞曲とショパンの創作との共通点、またその独創性を示唆した。
5月3日 イーヴォ・ポゴレリッチ
(C)三浦興一
同じオーケストラとは、
アブデル・ラーマン・エル=バシャが、同曲を含むショパンの協奏作品を
ヤツェク・カスプシク指揮で共演、そして
イーヴォ・ポゴレリッチがヘ短調協奏曲をチチナゼの指揮で演奏した。ポゴレリッチの演奏は驚きを超えて、唯我独尊の凄みをもちながらショパン作品の内実を抉った堂々たる解釈を響かせ、今年の東京公演に一度だけの強烈な奥行きを与えた。……というのは言葉の誤りで、実際は40分ほどかけて全曲を演奏したあとに、第2楽章を再び披露した。以上は5,000席のホールAの公演だが、ステージ両側のスクリーンに、演奏者の手元や表情が映し出されていたのも興味深かった。おかげで、弾き終えたポゴレリッチの満足気な微笑みまでも強く心に残ってしまった。
5月2日 ピーター・ウィスペルウェイ&パオロ・ジャコメッティ
(C)三浦興一
コンチェルトでいうと、ルイス・フェルナンド・ペレスが弾く
メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第2番がしっかりと透徹した美観をもっていたし、彼は数時間前のショパンのリサイタルでも強い求心力と劇性を示した。チェロの
ピーター・ウィスペルウェイは、ピアノの
パオロ・ジャコメッティとショパンのデュオ作品を弾き、
シューマンのチェロ協奏曲ではジョセフ・スウェンセン指揮パリ室内管弦楽団と奔放な情熱を聴かせた。ほかにホールCでは、
フィリップ・ピエルロが指揮するリチェルカール・コンソートとソプラノのマリア・ケオハネの共演による
ヘンデルのアリア集が、ショパンも憧れるにふさわしい流麗さと優美な光彩を湛えていた。
ピアノ曲では、
ボリス・ベレゾフスキーが弾いた
リストのロ短調ソナタの痛快な演奏と、同じくリストでの、彼と
ブリジット・エンゲラーとの息の合った可憐な連弾、シューマンでは
ブルーノ・リグットが得意の『子供の情景』をショパンと併せて詩情豊かに弾いたのが心に残った。
当のショパンに関していえば、誰が弾いてもショパンの作品ではありながら、それぞれに大きく異なる解釈が顕され、いっそう奥深く聴き手を惹きつける。今年のテーマはその意味で、いろいろな作品に触れる愉しみとともに、さまざまな演奏家で聴く楽しみがとくに大きいと思えた。そうして、それぞれのショパンをみつける旅は、2010年の先もずっと続いていくのだろう。
(C)久保靖夫
5回にわたる連載“ラ・フォル・ジュルネの歩き方”、いかがでしたでしょうか?
“ショパンの宇宙”をテーマに開催されたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2010は、丸の内・辺エリアの関連イベントと合わせて、80万7千9百人の来場者を記録し、大盛況のうちに幕を閉じました。
さて、LFJファンなら誰もが気になるのは来年のテーマ。来場者へのアンケートでは、“取り上げてほしい作曲家”の第1位に今年はブラームスの名が挙がっていましたが、果たして実現するでしょうか?
そんなお楽しみを胸に、来年のLFJを待つとしましょう。