第10回 アポロ11号、月着陸への道
絵と文/牧野良幸
アポロ11号の月着陸から50年
今年2019年の7月20日(日本時間21日)は、アポロ11号が月着陸をしてから50周年にあたる。あの夏の日、テレビにかじりついて、月からの生中継を見てから50年経ったということだ。その時、僕は小学六年生だった。それが今や還暦を過ぎた。同級生には定年退職している者も多い。確かに半世紀経ったのだ。
それでも50年過ぎたことが、いまだに実感できないのも事実だ(ビートルズの『アビイ・ロード』から50年経ったことは素直に実感できるのに)。それくらいアポロ11号の月着陸は、宇宙開発以上の意味を持つ重要な出来事だったと思う。
ただアポロ11号は世界中から注目されたけれども、それまでアポロ計画に注目していた人は少なかったのではないか。小学生だった僕もアポロ11号が報道されるまで、アポロ計画についてはそんなに興味はなかった。
アポロ計画以前の宇宙開発となるともっと知らない。アポロ計画の前におこなわれたジェミニ計画は、せいぜいプラモデルのジェミニ宇宙船を作ったくらいだ(確かアメリカのレベル社)。これもプラモデルになっているから作ったまでで、宇宙開発に特に興味はなかった。
宇宙開発は「ソ連の方が進んでいる」
しかし当時の小学生が宇宙開発に興味がなかったかというとそうではない。僕の同級生にも宇宙開発に熱心な級友が一人いた。まだアポロ11号が飛ぶ前の話である。
学校の休み時間に、級友が机の上の下じきを見つめて考え込んでいた。
「うーん……」
「どうしたの?」
「これを見ると、どう考えてもソ連の勝ちだね」と級友は言った。
「何のことだい?」
「宇宙開発だよ。アメリカとソ連の宇宙開発を比べると、ソ連の方が進んでいる」
下じきには、アメリカとソ連の宇宙開発の歴史が年表のようなもので印刷してあった。それを見比べて、級友はソ連、つまりソビエト連邦の方が宇宙開発が進んでいると判断したのである。
子ども向けに作られた年表を見て、宇宙開発の優劣を分析してしまった級友の能力にびっくりしたものだ。当時、アメリカは憧れの国であり世界で一番進んでいると思っていたのに、ソ連の方が勝っていると言いきる客観的な分析。級友が大人びて見えた。
実際、宇宙開発においてアメリカがソ連に遅れをとっていたのは事実だったらしい。その遅れを取り戻すため計画されたのがアポロ計画、人類を月に送り込む計画だった。
月着陸をお茶の間のテレビで見る
アポロ計画は進み、いよいよ1969年の7月、人類初の月着陸を目指してサターンロケットが発射された。僕が小学六年生の時だ。
アポロ11号に関しては発射前から日本でも盛んに報道されていたけれど、発射が成功すると、毎日テレビで解説の番組が放送されていたと思う。こうして期待は大きくなり、あとは月面に降りる日を待つだけとなった。
いよいよ日本の時間で7月21日、月着陸の模様が全世界に衛星生中継された。僕も家のテレビで見た。ちょうど夏休みに入ったばかりなので、お昼の中継でも見ることができたのだ。テレビは前年の暮れに買ったばかりのカラーテレビ、日立のキドカラーである。月からの映像は白黒だったけれども。
月着陸船が司令船から引き離された。月着陸船は少しずつ静かの海に降りていく。小さな窓から見える月面が少しずつ近づいてきた。その動きが止まると着陸だ。
ここからさらに目が離せない。僕としては早く月面に出てほしいのであるが、テレビの解説者は「飛行士を休ませるため、時間をおいてからから月面に出る計画です」と言った。
楽しみが先に伸ばされた気がしたけれどもしょうがない。宇宙飛行士が船外に出るまで、何をして時間を潰そうかと考えていたところ、解説者がこう言ったのだ。
「どうやらアームストロング船長がすぐに月面に出たい、と言っているようです」
なんと計画変更である。月着陸に興奮しているのは僕だけではない。沈着冷静な宇宙飛行士も同じだったのだ。日本人なら規則正しく行動するところなのに、こういう人間味のあることをやってしまうアメリカ人はすごいなあと思った。
ついに宇宙飛行士が着陸船から出てくる。月面に降りる映像が流れ始めた。ハシゴを降りるのに随分時間がかかるように思えたが、その間も目を離さない。そしてアームストロング船長の有名な「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を耳にしたのだった。
その後オルドリン飛行士も船外に出て月面を歩く様子が映った。それはフワフワと浮いているようで月の上にいることを改めて感じさせた。アメリカの国旗を立てたところも中継されたように思う。中継放送が終わっても興奮は収まらなかった。
月着陸への関心には温度差
今でも不思議なのだが、この生中継を家で見ていたのは僕だけであった。放送の間、他の家族は誰もお茶の間にあらわれなかったと思う。昼間なので大人は仕事か用事があったのだろう。兄貴は遊びに行っていたのかもしれない。
よくアポロ11号を振り返る映像で、テレビの実況放送を見つめる大人の人々が映るけれども、それを見るにつけ「ウチとは温度差があるなあ」と思ったものである。
それは牧野家だけでなく町内の子どもも同じだった。アポロ11号の月着陸の放送が終わった後、いつも遊び場になっている近くの公園に飛び出した。僕としては、人類初の月着陸を見た興奮を話したかったのだが、集まっていた友だちの間でアポロ11号の話は出なかった。
なんだか自分だけが、あの光景を見たような錯覚さえ覚えた。せめて下じきの宇宙開発の年表を見て「ソ連の方が勝っている」と言った級友がいれば話ができたと思うが、その友人と話した記憶はない。
最後にプラモデルのことも書いておこう。
ジェミニ宇宙船のプラモデルを作った話は最初に書いたが、アポロ11号のプラモデルも作った。月着陸船は戦車の精密モデルで圧倒的な支持を得ていた田宮模型から発売になった。司令船も作ったと思うけれど、記憶は曖昧だ。
50年経っても鮮明に目に焼き付いているのは、たった一人で見たテレビの生中継。あの白黒の映像ばかりである。