僕の昭和少年時代(絵と文 / 牧野良幸) 第12回 おとうちゃんのアトリエ

2019/09/25掲載
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第12回 おとうちゃんのアトリエ
絵と文 / 牧野良幸
石屋のおとうちゃんは彫刻家
今回は父親の話を書こうと思う。当時はおとうちゃんと呼んでいたので、ここでもおとうちゃんと書くことにする。
僕の家は岡崎の特産品である岡崎石工品を作る商売をしていた。早い話が石屋だ。その始まりは安土桃山時代に、当時の岡崎城主が城下町の整備のため河内、和泉の石工を招いたところ、そのまま移り住んだことが始まりだと言われる(岡崎市ホームページより)。
しかし牧野石材店の始まりは僕の曽祖父の時からと聞いている。明治の頃だ。曽祖父の写真は一枚だけ残っているが、マーラーみたいな風貌でいかにも明治の人のような厳格な顔つきである。
おとうちゃんはその孫で三代目だ。僕が小学生だった1960年代の日本は高度成長期。岡崎の石屋も景気が良かったらしい。牧野石材店も職人を何人か使っていた。石屋といえども機械化が進んでいて朝から夕方まで騒音が絶えない。石粉が巻き上がる仕事場では、みかげ石をカッターで切る音、石職人のノミで石塔(お墓のこと)や灯籠を掘る音が響いた。
おとうちゃんは石屋の主人であったわけだが、もうひとつの顔があった。彫刻家だ。二科会の会員として活動していた。作品は僕の見るところ、ヘンリー・ムーアや何人かの抽象作家の影響があると思うのだが、おとうちゃんとそのことについて話し合ったことはない。あくまで僕の推測だ。
二科展に出品する作品の他にも、地元の自治体などに頼まれるモニュメントも多く残した。僕が通った幼稚園や小学校にもおとうちゃんの作品が置かれていた。幼稚園には今でも残っている。他に地元の名士の胸像なども多く手掛けた。これらもどこかにまだ残っていることだろう。
子ども心にも、おとうちゃんの彫刻があちこちに置かれるのは誇らしかったが、ひとつだけ「勘弁してほしい」と思う彫刻もあった。
それが牧野石材店の玄関上に置かれた石膏像だ。店の前には商品の石塔の他に、おとうちゃんの彫刻もいくつか置かれていたが、“牧野石材店”と書かれた壁面の上、一番目立つ高い場所にヌードの石膏像を据えていたのである。
僕の住んでいた一帯は、現在は“石屋町通り”と呼ばれるほど、何百メートルにもわたって石屋が軒を並べていたが扱っているのは石工品ばかり。芸術的なヌードの石膏像を置く石屋はさすがに牧野石材店だけだった。なのでヌードの石膏像はランドマーク的なアイコンとして目立ったのである。
最悪だったのは、小学校から集団で岡崎公園に写生に行ったり岡崎市民会館に催しを観に行く時だった。小学校から目的地に向かうルートは僕の家の前を通ることに決まっていた。
ゾロゾロと何十人もの小学生が歩いている。僕の家の前にさしかかるとざわめきが起き、級友が声を上げるのである。
「ああー、ヌードだー!」
「エッチー」
「きゃー」
「牧野〜、お前の家だろ」
そら来た、と思う。ひどい奴になると、
「あの裸、お前のおっかさんか?」
とか言う。
この時ばかりは、同じ小学生でも捉え方が自分と違うなあ、と思ったものである。
ロダン風に立ちポーズをとる女性像である。あれがどうしてエッチなのか? 石屋の倅だからお墓を不気味と思わないように、父親が彫刻をやっているとヌード像にも卑猥という感覚を持たない。僕のおかあちゃんにも全然似ていない。造形を見れば明らかに若いモデルさんとわかるはずなのに。
そうは言っても冷やかされるのは嫌だったので、黙って歩いていた。同じことは兄貴も経験していて、
「あの石膏像は嫌だった。小学校から集団で家の前を歩く時はいつも冷やかされた」
と言っていた。兄貴はおとうちゃんに石膏像を取ってくれと頼んだらしいが、その後も長く石膏像はその位置に鎮座していた。もっとも中学に上がれば誰も石膏像に興味を示さなくなったのであるが。
ここだけ異空間、おとうちゃんのアトリエ
おとうちゃんは家の近くにアトリエを構えて、そこで彫刻の制作をしていた。家の前の通りを渡って路地を入ればすぐ、歩いて1分もかからない場所。古い木造の建物で、3分の1を看板屋を営む僕の叔父に倉庫として貸していたので、アトリエ自体の間口は狭かったものの、奥行きは十分にあった。
そこは一言で言うと異空間だった。
天井が高い。古い日本家屋なら二階分にもなるほど。天井には北向きの天窓があり、彫刻やデッサンをするのに最適な柔らかい光が屋内に振りそそぐ。床には木が張ってあり、スリッパの音が静寂な空間に反響した。床下に粘土が収納されていて、制作中の作品とあわせてアトリエの中に独特の匂いを漂わせていた。
このアトリエに一人でよく忍び込んでいたのである。ドアには鍵がかかっていたが、隣の看板の倉庫には鍵がかかっていなかったので、そこから簡単に入ることができた。
アトリエは彫刻を制作する場所であったと同時に、おとうちゃんがくつろぐ自分だけの空間だったと思われる。布張りのソファがあり、日立の観音開きのステレオ装置があった。ナショナルの電気湯沸かし器もある。それでネスカフェのインスタントコーヒーを飲むのだろう。クリープも忘れない。
どうということのない湯沸かし器やステレオも、アトリエという異空間の中では、ファッショナブルな生活を演出する小道具のように思えた。ちなみに10年ほどのちに、大学を出ても就職しなかった僕はここで銅版画を制作するのだが、アトリエは荒れていて昔の面影はなくなっていた。
小学校から帰ったらカメラが来ていた
後から聞いた話だが、おとうちゃんはこのアトリエに友人たちを集めていろいろ活動していたらしい。当時はおとうちゃんも含め、みんな無名の若者だ。若き芸術家の卵が集まってワイワイやっていたのだろうと思う。
それを名古屋あたりのテレビ局が聞きつけたのか、おとうちゃんたちがアトリエで寝起きして制作している様子をドキュメンタリーだかニュース映像だかにしようと撮影に来たことがあったのだそうだ。
おかあちゃんに言わせると、出来上がった映像はこんな風だったらしい。
「早朝、アトリエの水道の蛇口から水がポタポタ落ちているシーンから始まるんだわ。そうするとあちこちに寝ていた若い衆が一人、また一人と起き上がるんだわ……いい感じだったよ」
なんだかモンパルナスのようなシーンにも感じるが、ただゴロゴロしている岡崎の若者を写しただけにすぎないようにも感じる。それでも白黒の映像だと雰囲気はありそうだ。
僕自身は、当時そんな撮影があったとは知るよしもなかった。しかし、そう言えば思い当たる節もある。
それは小学三年生くらいだったか、学校から帰ったら、家に知らない大人が数人いてゴソゴソやっていたのである。その一人がランドセルを背負った僕に目を止めると、
「ちょうどいい。息子さんが帰ってきた。息子さんと一緒のシーンを撮りましょう」
何のことか分からないまま、僕の意思には関係なく床に座らされ、カメラを向けられた。
「良幸、なんか、おまんの作ったもん、ないか?」とおとうちゃん。
「工作で作った粘土のワニならあるけど」
「それがいい! 彫刻家の牧野さんが息子さんの工作を指導しているシーンにしましょう」
こうして強烈なライトの当たるなか、おとうちゃんと向き合って粘土のワニをいじるふりをした。ライトが熱いのと恥ずかしさで顔が火照り、上を向けられなかった。
撮影中に考えていたのは、粘土のワニは自分でも自信作だったので、これならみんなの目に触れても恥ずかしくないということだ。尻尾が曲げてあるところが気に入っていた。子どもは子どもなりに芸術的なコダワリがあるのだ。
ただあのシーンがドキュメンタリーに入っていたかどうかはわからない。今日までおかあちゃんに何度も訊くのだが、「早朝、アトリエの水道の蛇口から水がポタポタ落ちているシーンから始まって……」ばかりで一向に要領を得ない。粘土のワニは思い出の中だけにしまっておくのが良いと思う。
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