第13回 吉本新喜劇がいぶし銀のように輝いていた時代
絵と文/牧野良幸
吉本新喜劇、ダラダラ見る番組が見逃せない番組に変貌した
僕が小学生だった頃は土曜日も午前中だけ授業があった。いわゆる“半ドン”というやつである。
その土曜日に授業が終わると、教室を一目散に飛び出していく男子生徒たちがいた。僕もその一人だ。なぜ急ぐのかというと正午から見たいテレビ番組があったからだ。
「急げー。吉本が始まる!」
「吉本ぉー、吉本ぉー!」
こう叫びながら僕たちは階段の手摺りを滑り下りていく。少しでも早く下りたいので階段は使わない。先生に見つかると怒られるけど今日だけは仕方がない。それくらい早く帰りたいのだ。
吉本とは言うまでもなく、大阪のお笑いの吉本のことである。今やテレビで吉本のお笑い芸人を見ない日はないくらいだ。しかし1960年代(昭和40年代初め)、岡崎ではまだ吉本はローカルだった。そもそも岡崎に大阪の文化はほとんど入ってこない。テレビで流れる大阪の番組もそんなに多くなかった。関東に比べれば多いとは思うが。
大阪の番組では『てなもんや三度笠』はテレビの前に陣取って見逃さなかったけれども、吉本新喜劇となるとお昼ののんびりした時間帯ということもあって、“暇な時に見る番組”にすぎなかった。子どもがひとりお茶の間でダラダラと見る、それが吉本新喜劇だったのである。
その吉本新喜劇が、どういうわけか小学六年生くらいの時に、僕たち遊び仲間の間でブームとなったのである。理由は分からないが突如「吉本新喜劇は面白い、見逃せない」という風潮になったのだ。
「岡八郎はやっぱり面白いわ」
「いや、花紀京の方がトボけとって面白いで」
「いやいや、本当に毒があるのは桑原和夫だで」
「最近は、船場太郎の切れ味がいいぞ」
「マドンナの山田スミ子はそこまで美人じゃないのに、芝居の上ではいつも絶世の美女」
「やっぱり中山美保の方が美人だわ。でも山田スミ子の方がインパクトはある」
などと、それまで自分一人で考えていたことを、級友たちと“共有”することになったのである。その途端、これまで適当に見ていた吉本新喜劇が急に貴重な番組に変貌した。お前が急ぐなら、俺も急ぐ。かくして土曜日は数名の男子生徒が学校の手すりを滑り下りて行くのであった。ドドドド。女子たちは“バカだねえ”という目で我々を見ていたことだろう。
定番のギャグと結末なのに、なぜか見てしまう
なんとか放送に間に合うよう家に着いた。
今日の昼ごはんは、おかあちゃんが近所の肉屋で買ってきたコロッケとハムカツだ。千切りのキャベツが添えてある。たまに辛子豆腐が並ぶこともあった。職人さんたちにも昼食を用意するから出来合いですますのは当然だ。これが当時の我が家の昼食だ。
チャンチャカ、チャッチャ、チャンチャカ、チャッチャ♪
例のテーマ曲が流れると吉本新喜劇が始まった。どぎつい大阪弁にコテコテのギャグが炸裂する。今一番人気のある岡八郎が「くっさ〜」と定番ギャグを繰り出す。今日は花紀京がいるからさらに面白い。その他の芸人も自分の持ちネタを繰り出してくる。ここで出ると分かっているから、僕はコロッケをかじりながらニヤリとするだけだが、テレビからは会場のお客さんが大笑いしているのが伝わる。芝居の最後を人情味のある結末でまとめるところも定番だ。毎回同じような内容なのに、なぜか見てしまう。
実は土曜日には正午だけではなく、午後2時からも吉本新喜劇の番組が放送されていた。再放送ではない。違うチャンネルだったし、出演者も芝居内容も違うものだ。今インターネットで調べてみると正午からの放送は“うめだ花月”での公演を毎日放送系が中継したもの。2時からの放送は“なんば花月”での公演を朝日放送系が放送していたらしい。
当時は子どもにそんな事情など分からないから、ダラダラ見る吉本新喜劇が2本も続けて流れるのは凄いものだな、と妙に感心したりしていた。
ただ正午からの放送と午後2時からの放送では、僕の感覚では面白さが違った。正午の放送の方がスター芸人がたくさん出ていた気がする。それと比べると午後2時からの放送は地味だったような。50年も前の記憶なのでかなり曖昧であるが、そういう印象は拭えない。
破壊力が違う吉本のギャグ
それにしても吉本のギャグは、東京の漫才とは桁違いの破壊力だったと思う。同じ大阪からは藤山寛美の松竹新喜劇も放送されていたが、申し訳ないが子どもには退屈だった。やっぱり吉本だ。吉本のギャグに品はないけど面白いのだからしょうがない。子どもはそういう笑いが好きなのである。
一瞬全国区の人気になったかと思った岡八郎。大阪で割り切って花を咲かせそうな花紀京。爽やかな青年役が多いくせに芸は重鎮並みの船場太郎。お婆さん役が最高だった桑原和男。その他にも原哲男、池乃めだか、チャーリー浜ははずせない。女優ではやはり山田スミ子。これだけの男芸人を相手によく一人で相手をしたものだ。それから中山美保の美しさと三枚目を兼ね備えた“大人の女”も忘れられない。
こんな放送を、何年にもわたって僕は毎週土曜日にダラダラと見続けていたのだから、低温火傷のように吉本に侵食されていても仕方がないだろう。
1970年代に入ると吉本新喜劇も次世代の出演者に変わっていった。特に木村進と間寛平の時代には人気が一層高まったと思う。
僕もよく見ていたが、やはり一番印象深いのは小学生の時に見ていた吉本新喜劇である。岡八郎や花紀京、船場太郎など、あの頃の出演者はお笑い芸人というよりも、新喜劇だけに出ている芝居役者と思っていたくらい舞台と一体感があった。今日のように吉本の芸人が毎日テレビに出まくっている時代ではなかったから新鮮でもあったのだろう。ダラダラ、マッタリと見る番組だったけど、吉本新喜劇がいぶし銀のように輝いていた時代であった。