第16回 何でも揃っていた岡崎の繁華街「康生」
絵と文 / 牧野良幸
康生は“岡崎の銀座”
僕が子どもの頃、岡崎の中心は康生町という一帯だった。岡崎城のある岡崎公園から東に広がる繁華街である。町名の由来は、徳川家康が岡崎で生まれたところから来ているらしい。もっとも岡崎の市民はたんに“康生”と呼ぶのが一般的だ。
康生は今では人のいない場所になってしまったけれども、僕が子どもの頃は賑やかな場所だった。僕たちは半分冗談で“岡崎の銀座”と言っていたものだ。半分は冗談だったが、半分は本気で思っていた。
康生を北西から南東に走る通称“電車通り”には、その名の通りチンチン電車(市電)が走っていた。僕もチンチン電車のことは憶えている。もっとも僕の記憶の中のチンチン電車は別の通りを走っていたのだからいいかげんだ。当時4歳くらいだからそれもしょうがないが、同級生には「チンチン電車に乗って大樹寺まで行ったよ」と具体的に憶えている者もいたから記憶は子どもによってさまざまである。
市電が1962年に廃止された後も康生は発展を続け、60年代から70年代にかけてはそれこそ岡崎の“銀座”となった。
みどりやというオモチャや服などを売っている大きな店の前にはバス停があり、ひっきりなしに人が降りてきていた。人混みが絶えなかった。到着するのはボンネットバスに替わって登場したモダンな箱型バスだ。揺れる車内で器用に切符を切る女性の車掌さんもいなくなり、ワンマンバスになっていた。
バスから降りる人達は“遠くから来た”という感じがした。今日は康生で買い物をして美味しい物を食べようというのだろう。通りは人で埋まり活気に溢れていた。
小学生の僕にも康生は“銀座”だった。本を買うなら、また立ち読みをするなら本文書店、正文館書店、岡崎書房の3店があった。プラモデルなら近藤模型店。オモチャなら先に書いたみどりや、それからだるまや人形店。TVアニメのソノシートならフカヤの店、井野屋、大衆堂。この3つのレコード店は中学生になると洋楽レコードを買う店になるのだが。
そしてこれが一番凄いのだが、映画館が康生一帯で7館ほどあったのである。今思うと東京の銀座より何でも揃っていたのではないかと思う。
僕はその康生の近くに住んでいたものだから、裏庭の感覚でいつも徘徊していた。友達から「牧野は都会人だからなあ」などと真顔で言われると頭をかいたけれど、“シティ・ボーイ”という称号は甘んじて受けよう。確かに康生は都会だったのだ。
康生の発展と衰退
康生の賑わいを享受していた牧野少年であるが、一つだけ悩みがあった。それは“このまま繁華街が拡大して僕の家の周りまでお店ができたらどうしよう”という悩みだ。
僕の家は康生に隣接している篭田公園の近く、康生を東西に走る伝馬通りという通りからはブロック二つ奥まっていたものの、康生の発展を見るにつけ、“このままいったら裏玄関を開けたら人混み、なんてことになりかねないゾ”と心配したものである。
今思えば子どもじみた妄想にすぎないが、当時は本気で頭をかすめた。それくらい康生は賑わっていたのだ。
幸いというか残念というか康生は僕の家の前まで発展しなかった。1971年、中学生の時に松坂屋ができた時が康生の絶頂期だったとすることに同世代の方なら異論はないと思う。“岡崎もついに都会と認めてもらった”と市民のプライドをくすぐったものである。松坂屋は康生の勲章だったと思う。
松坂屋だけでなく、同じ頃にセルビや中日ビルといった大型商業施設が続々と作られた。小規模経営の店の時代は終わったのだ。その結果、僕が住む石屋町まで康生の賑わいが増殖することはなかった。
康生にはその後もシビコと呼ばれる大型店ができて賑わっていたが、風向きの違いを感じたのは80年代に入った時だ。僕が関西の大学を卒業して岡崎に帰って来た頃である。
当時岡崎は喫茶店ブームで、これは本当に自慢できるのだが、オシャレな喫茶店が康生以外の岡崎のいろいろな場所にできた。ほとんどが個人オーナーで、それだけに店の雰囲気にはこだわりがあった。サービスも競い合っていた。コーヒーを頼めばピーナッツが付くのは当たり前、モーニングならトーストと茹で卵が付いていた。
雰囲気のいい店があると聞くと、僕らは車を走らせて喫茶店巡りをした。80年代の初めは、まだ家族一人に車1台の時代ではなかったので、親の車を乗り回していた。皮肉なことに康生のすぐ近くに住んでいながら、車で国道248号をぶっ飛ばし、わざわざ遠い所にある喫茶店まで出かけたのだ。モータリゼーションの時代は康生という繁華街を空洞化してしようとしていた。それは昭和から平成に移ったあと確実なものとなる。
子どもの頃、人がほとんど歩いていない康生を想像することなどまったく考えられなかった。エネルギーに溢れた康生の姿をもう一度見たいと思うのは僕だけではあるまい。
連載「僕の昭和少年時代」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。書き下ろしを加え、初夏に書籍化の予定。発売時期等、詳細は弊社ウェブサイトにてお知らせします。お楽しみに!