第8回 妖怪と怪奇にあふれた少年時代
絵と文/牧野良幸
水木しげるの『悪魔くん』と『ゲゲゲの鬼太郎』
いつの時代も、子どもはオバケが好きである。
僕の少年時代のオバケと言えば、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』がまず思い浮かぶ。しかしほのぼのしたQちゃんについては別の機会に書くとして、ここでは本当に怖い妖怪や怪談について書いてみたい。
妖怪と言えば何と言っても水木しげるの漫画だろう。妖怪も不気味だったが、それ以上に湿気たっぷりで土着性まで埋め込んだ細密な描写が不気味だった。しかし当時の子どもの娯楽の王者はテレビである。水木しげるの漫画もテレビ化された。
まず『悪魔くん』がテレビで放送された。調べてみると放送はビートルズが来日した1966年(昭和41年)。僕が小学三年生の時だ。
この『悪魔くん』が怖かった。今見たらどうってことないだろうけれど、小学三年生にはダークすぎる世界観だった。百の眼を持つことから“百目”としても知られる“ガンマー”など、怖くて直視できなかった記憶がある。
しかし同じ水木しげるの原作でも、2年後の1968年(昭和43年)、僕が小学五年生の時に放送された『ゲゲゲの鬼太郎』となると安心して見ていられた。こちらは実写ではなくアニメだったし、目玉おやじやねずみ男などユーモラスなキャラが登場するので怖くない。
そのせいか『ゲゲゲの鬼太郎』は、妖怪ものにしては珍しく広く社会に認知されたのだった。それはこんなことからもわかる。
ある日小学校で、授業中に先生がニコニコしながら言った。
「お前たち、最近始まったテレビ番組を見てるか?」
「何ですか?」と生徒たち。
「『ゲゲゲの鬼太郎』だ」
ここでドッと教室が盛り上がる。まさか先生が子ども番組の名前を口にするとは思わなかったからだ。当時は今と違って、大人が子どもの漫画やテレビを見ることなどなかった。先生は続けた。
「『ゲゲゲの鬼太郎』の歌、ありゃあ面白い。ゲ、ゲ、ゲというの」
そう言うと、先生が歌い出したのである。
「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜」
「わー!」
教室は大爆笑。先生は来年の修学旅行で、バスの中で歌おうと言い出しかねないほどの気に入りようだった。以後、大人も認めたアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は僕も楽しく見たのだった。
おかあちゃんが“のっぺらぼう”になった?
しかしテレビは多くの人の目に触れるから怖さの点では薄味にならざるをえない。それに比べると映画の怖さは遠慮なかった。『ゲゲゲの鬼太郎』を楽しく見ていた僕も、同じ頃に見た映画には震え上がったのである。
それが『妖怪百物語』だ。同時上映は『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』。当然、僕はゴジラと並ぶ人気怪獣のガメラを目当てに行ったのであるが、『妖怪百物語』も“見てもいいよ”という気持ちではあった。怖い話はやっぱり面白そうだ。楽しませてもらいましょうか、という感じだった。
『妖怪百物語』は江戸時代が舞台で、妖怪の話を一つするたびにロウソクを一本ずつ消していくというオムニバス形式の映画だったと思う。
しかしこれが、ホントに怖かったのである。大きな頭だけの妖怪“大首”も怖かったが、“ろくろ首”とか“のっべらぼう”とかよく知っている妖怪も、暗闇の大きなスクリーンで見ると、ことのほか怖かった。やはり映画はテレビと違って別空間になるから、怖さもひとしおなのだ。
映画が終わり映画館の外に出ても、まだ心の中は映画の世界である。異次元にいるような感覚が抜けないまま、家まで歩いて帰った。夕方になっていた。
家に帰ると、おかあちゃんが洗濯物を取り込んで、たたんでいるところだった。おかあちゃんは畳の上に座って背中を向けていた。
「ただいまー、あー疲れた」
「おかえり……」
「映画、面白かったよ」
「…………」
おかあちゃんは手を休めないで、向こうを向いたままである。どうして振り向かないのか。
とたんに『妖怪百物語』の“のっぺらぼう”を思い出した。今にも、おかあちゃんが振り向くのではないか。「こんな、顔かい?」と言って。
僕は近づいて、恐る恐る、おかあちゃんの顔をのぞき込んだ……。
よかった。顔があった。
妖怪もの、怪奇ものがたくさん製作されたこの頃
『妖怪百物語』は好評だったのだろう。同じ年に『妖怪大戦争』という続編も見た。今度は日本の妖怪が西洋の妖怪と戦うストーリーだ。面白いアイディアだと思ったが、戦いとなった分、前作ほどは怖くはなかったかと思う。
他にもこの年には、テレビで『妖怪人間ベム』(「早く人間になりたぁ〜い」)が放送されたり、特撮の円谷プロによる『怪奇大作戦』も放送された。
そういえば、大人の番組でも『ザ・ガードマン 』は毎年夏に怪談話があった。漫画でも、楳図かずおというホラー漫画家を忘れることはできない(この頃はまだギャグ漫画『まことちゃん』を描いていない)。
こう考えると1968年(昭和43年)は妖怪もの、怪奇もののちょっとしたブームだったのかもしれない。どれも怖い怖いと言いながら、かかさず見ていたのだから、いつの時代も子どもは怖いものが好きなのである。