大石 始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC - 第11回:青柳拓次
掲載日:2013年06月25日
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 大石始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC
第11回:青柳拓次
 LITTLE CREATURESの一員としてマイペースな活動を続けるほか、KAMA AINAや自身の名義でも国際的な活動を展開してきた青柳拓次。世界各地のルーツ・ミュージックに対して眼差しを向ける一方、エヴァーグリーンなポピュラー・ミュージックの担い手としても数々の成果を残してきた彼は、2010年のソロ・アルバム『まわし飲み』で音頭や民謡にもアプローチ。日本のルーツ・ミュージックを独自に解釈した音楽世界を開拓した。

 同年末には沖縄へ移住。生活に根ざした創作活動を続けるなか、今年になって“Takuji”名義の新しいプロジェクトをスタートさせたばかりだ。民謡や日本の伝統文化にも好奇心と研究心を持ちながら、新しい音楽の“役割”を模索する青柳。その真摯な言葉に耳を傾けてみよう。


青柳拓次
「アメリカで言えばカントリー・ブルースのおじさんがポロッと歌うようなものが日本にもないだろうか、とか……自分にフィットするものをずっと探してたんです」

『まわし飲み』

――まず、2010年のアルバム『まわし飲み』についてお聞きしたいんですが、ジャケットのこの獅子頭はどこのものなんですか。
 「これは藍染めの取材で小浜島(注1)に行ったとき撮ったものですね。中に人が3人入って、お祭りの演し物(だしもの)として舞うんです。この写真は豊年祭のワンシーンで、他に頭の上に一升瓶を乗せる人がいたり、稲穂を頭に乗せる人がいたり」
注1:小浜島/西表島の東に浮かぶ、人口600人足らずの小島。八重山諸島の中心に位置し、島全体にサトウキビ畑が広がる。発言中に登場する豊年祭とは、小浜島で毎年秋に行なわれる“結願祭”。豊作を感謝し、翌年の五穀豊穣を願う舞や芸能が数多く披露される。2007年には国の重要無形民俗文化財に指定された。
小浜島のおじい
――この写真をジャケットにしたのはどういう理由から?
 「もともと藍染めの文化がすごく好きなんですけど、小浜島は'藍の島'と言われるぐらい藍染めが盛んで、天然の藍で染める文化が今も残ってるんですね。この前作が『たであい』(2007年)という藍をテーマにしたアルバムだったので、前作からの流れは意識していて、ジャケットにも藍染めを着たおじさんが写ったこの写真がいいだろうと。それと、『たであい』が“静”で『まわし飲み』は“動”のアルバムだったので、躍動してるイメージにしたくてこのお祭りの写真を使うことにしたんです」
――『まわし飲み』には民謡のメロディやリズムが入った曲があったり、木津茂理(注2)さんが各曲にフィーチャーされていたり、添田唖蝉坊(注3)の「都節」をカヴァーしていらっしゃったりと、“日本”が明確に意識されてましたよね。
注2:木津茂理/日本各地の民謡に新たな息吹を吹き込み続けている民謡歌手・太鼓奏者。細野晴臣らとのコラボレーションも幅広いリスナーから注目を集めている。
注3:添田唖蝉坊/明治〜大正の演歌師。社会風刺を盛り込んだ歌詞・活動から'元祖レベル・ロッカー'として近年再評価されている。
 「そうですね。もちろん民謡はいまだに好きですけど、当時そういうものにいちばん興味が向いていた時期でしたね。身近なところにある文化であり、惹かれるものがあったんです。音楽だけじゃなく、お祭りであるとか日本古来の器、生地の文化も前から好きなんですよ。今、沖縄の大宜味村というところに住んでるんですけど、あそこには芭蕉布っていう布があって、芭蕉布の染織家である平良敏子さんっていうおばあさんにも会いにいきましたね。添田唖蝉坊の本も好きで、読んでみると日本語の使い方にハッとすることも多かったり、あとはお茶の文化もすごく好きで……そういう風に全般的に興味があったんです」


大宜味の芭蕉布会館


『たであい』

――それはいつぐらいの時期ですか。
 「『たであい』を作る前からジワジワッと始まって、『まわし飲み』のころは完全にピークを迎えてましたね(笑)」
――『たであい』以前はそれほど強く興味があったわけじゃなかった?
 「そうですね。あまり知らなかったし、意識が外に向いていたので。(民謡は)自分が住んでいる土地のものなのにすごくエキゾチックな感覚があって、それで“あ、ここにもある!”って見つけていったような感じだったんです」
――子供のころは接点もなかったんですか。
 「僕は中野生まれなんですけど、子供たちも参加できる祭りがあるにはありましたね。ただ、軽い盆踊りというか、そんなにディープなものじゃなかった」
――じゃあ、海外を回った後に日本のものを“発見”していったと。
 「まさにそうですね」
『まわし飲み』参加の台湾アミ族のスミン
――『まわし飲み』には台湾の猫空(マオコン)をテーマにした「猫空」という曲も入ってますね。
 「もともとお茶の文化が好きで、台湾にもお茶を飲みに行ってたんです。そのなかでいろんな出会いもあって、さらに台湾が好きになって……台湾は人も優しいし、心から和むんですよね」
――でも、その「猫空」のリズムやメロディは日本の音頭ですよね。どこからこのメロディが出てきたんですか。
 「えっとね……なぜかこういう曲ができたんですよね(笑)。あの曲は本当にすぐできたんです」
――その前にこういうタイプのメロディを書いたことはなかったわけですよね?
 「そうですね。ただ、その前から音頭を聴いていたので、無意識のうちにそういうものが出てきたのかもしれない。ポロッと出てきたというか。リズムに関しては(〈猫空〉で太鼓を叩いた)木津さんによるところが大きいのかな。木津さんの演奏を初めて観たとき、ものすごくフレッシュだったんですよ。日本ならではのグルーヴが自然な形で出ていて、“こんなに格好いい音楽があるのか!”と驚いて。だから、僕にとって音頭は“格好いい音楽”なんですよ」
――民謡や音頭に対して先入観はなかった?
 「なかったですね。高校時代、ポーグスを好きになってコピーバンドもやってたんですけど、“こういう風に自分のルーツを表現するのも格好いいな”と漠然と思ってて、自分の周りにそういう(ルーツとなる)音楽があったらいいなとは思ってたんですね。それを探し続けてきたような感覚があって。なんというか、アメリカで言えばカントリー・ブルースのおじさんがポロッと歌うようなものが日本にもないだろうか、とか……自分にフィットするものをずっと探してたんですね」
――そういう要素を民謡や音頭のなかに見い出したと。
 「そうですね」
――では、青柳さんにとっての民謡は“自分のルーツのもの”という感覚だったのか、“身近にはあるけど、自分のルーツではない”という感覚だったのか、どちらだったんでしょうか。
 「完全に後者ですね、僕の場合は。ウチの母親も西洋音楽の人で、母の胎内にいるときから西洋音楽で育てられたので。民謡や音頭は子供のときのお祭りとか、テレビから流れてくるものぐらいでしか触れたことがなかったので」
――だからこそ、民謡が身体の一部になってる木津さんの演奏を聴いて“格好いい!”と思ったのかもしれませんね。
 「そうかもしれませんね。普段の立ち姿のまま歌ってらっしゃって、歌のあり方として美しいと思ったんですね。それは、浅草を歩いていてお相撲さんや落語家さんとすれ違ったときに感じるものとも近くて。凛としたものがあって……」
――お相撲さんや落語家さんを観ると、同じ日本人なのにある種エキゾチックなものも感じますよね。
 「そうそう、そういう距離感。今の日本に暮らしてる人はそういう人が多いんじゃないかな。子供のころから日本のルーツ・ミュージックに浸ってる人はそんなに多くないと思う」
――ところで、いま木津さんに民謡を習ってるんですよね?
「太鼓と歌という木津さんのスタイルが自分にとってツボなんですよ。キューバのサンテリアでコンガを叩きながら歌っているのと全然変わらないというか……格好いいんですよね」
 「そう、お師匠さんなんです(笑)。今年に入ってから始めたので、まだ数回しか習ってないんですけど」
――習おうと思ったきっかけは?
 「木津さんにずっと習いたいと思ってたんですね。あのグルーヴだとか声の出し方を自分も習得したいと思ったし、自分がどこかの国に行ったときに“これが日本の歌だよ”って民謡を歌えたらいいなとも思って。あと、新しいTakujiっていうプロジェクトにあの声の出し方が必要だったということもありますね」
――なるほど。その新しいプロジェクトに関しては後ほど改めてお聞きしたいんですが、まず、木津さんのレッスンは太鼓を叩きながら歌うわけですよね?
 「そう、面と向かって。〈こきりこ節〉(注4)からやってます」
注4:こきりこ節/富山県南砺市五箇山地方に伝わる民謡。現在伝えられる民謡のなかでももっとも古い民謡のひとつとされる。
――やってみてどうですか?
 「いやー、すごく楽しくて。自分の歌い方っていうのは胸からノドで歌ってるような感じだったんですけど、民謡は身体全体で歌うんです。だから、身体中の血流がものすごく良くなって、どんどん汗が出てくる。今まで自分が歌ってきたものとは全然違うんです。ウチの近所の海でも練習してるんですけど、全身を使って海に“うおーっ!”って歌ってますよ(笑)。本当に楽しいんです」
――そういう楽しさは今まで感じたことのないものだった?
 「うん、そうですね。特に歌に関しては、そういう“歌って元気になる”みたいな感覚を感じたことはほとんどなかったです。民謡歌手の方は年を取っても元気らしいんですけど、声を出すことで血流がよくなるし、ストレスも解消されるし、確かに元気になるんですよ」
――青柳さんが大汗をかきながら海に向かって大声で民謡を歌ってる光景、ちょっと想像できないですね(笑)。
 「わはは、そうですよね(笑)。あと、太鼓と歌という木津さんのスタイルが自分にとってツボなんですよ。キューバのサンテリアでコンガを叩きながら歌っているのと全然変わらないというか……格好いいんですよね、とにかく」
――民謡のコブシも青柳さんがそれほどやってこられなかった部分ですよね。『まわし飲み』にしても民謡のメロディは歌われていても、それほど民謡的なコブシは出てないですし。
 「そうですね。ホント、コブシは難しいんですよ。でも、師匠の教え方がとても上手で、その気にさせてくれるんです(笑)。太鼓を叩いてるとコブシの回し方が分かってくるところもあって、バチを振りかざしたときにグルッと(コブシを)回すとか、タイミングを掴みやすくなるんです」
青柳の自宅近所の海岸
――なるほど。また違う話なんですけど、2010年には沖縄に移住されましたよね?それはどういう理由だったのでしょうか。
 「もともと沖縄はすごく好きな場所で、縁もあって友達も多かったんです。何度も行くうちに住めそうな気がしてきて(笑)、そういうタイミングで向こうの友達が空き家の情報を教えてくれて。それでその家を見ずに東京の家を畳んで移ることにしちゃったんです」
――生活のサイクルもだいぶ変わったんじゃないですか。
 「まあ、ゆったりするし……自然のなかにいることも多いし、子供と過ごす時間も増えましたね」
――移住によって青柳さんの音楽観に変化はありました?
 「いろいろあって……移住というだけじゃなくて、震災のこともすごく大きいんです。もともと自分の好みはあくまでも都会の目線で培われてきたもので、細分化された音楽の知識やアイテムを持っていることが自分の価値観の中核をなしていたんですね。そういう部分がだいぶなくなってしまって、次に行きたくなってしまった。沖縄にいると……ざっくりしたものが良かったりするんですよね(笑)」
――分かります(笑)。
 「あと、向こうで気づかさせてもらったのは、音楽の基本的な役割が今も昔も実は変わってないということでね。向こうに行って“ポップ・ミュージック”の意味がようやく分かったような気がするんですよ。お祭りの音や儀式の音楽と役割が同じなんです」
――役割、ですか。
 「ある部族のお祭りがあったとき、太鼓を叩く人がいて、みんなでそれに合わせて踊るわけですね。そのとき、日常の世界でどんな肩書きで生きているか、どんな役割を果たしている人なのか、経済格差も含めてなくなってしまうわけですよね。人の境界線が溶け出して、ひとつの固まりになり、それが日常とは別の何かになっていく。音楽にはそういう場所を作ったり、人をそこに誘う役割があるわけですよね。で、例えばアイドルがスタジアムで大きなコンサートをやって、そこでお客さんが一体感を感じてる光景って、祭りととても近いと思うんですね」
――なるほど。加えて、震災以降で沖縄から見える風景も変わったんじゃないかと思うんですが。
 「そうですね……震災以降で“鳴らされる音楽”が変わるんだということは実感しましたね。僕自身でいえば、観念的なものや趣味性の高い音から離れてしまったりして、こだわるポイントが変わってきたと思う。大事なものがしっかりあれば、それ以外の装飾や洗練はあまり重要じゃない気がしてきて。太い幹が必要なんじゃないかって」
――木津さんに民謡を習い始めたのも“太い幹”の必要性を感じてのことだった?
 「それもありますね。まあ、自分自身が日本の伝統芸能をそのままやるという方向に向かっていくことはないかもしれないけれど、“太い幹”を持ってる人がどういう姿勢で歌っているのか、学ばせていただいてるような感覚はありますね」
――で、先ほど話に上がったTakujiという新しいプロジェクトについてお聴きしたいんですが、これはどういうものなんでしょうか。
 「さっきの役割の話とも被ってくるんですけど、演奏家が舞台上で客席に向けて演奏するという形ではないもの、お客さんが最初から最後まで歌うようなものにしたくて。自分がきっかけを作らせてもらうけど、その場にいる人たちと歌を作っていくようなイメージなんです」
Takuji ワークショップ
〈NAH NAH NAH -Voice Workshop-〉
2013年2月9日@吉祥寺キチム
――参加型ワークショップのようなもの?
 「ライヴとワークショップは分けてるんですけど、向かってる方向は一緒です。ワークショップではチベットの倍音声明をみんなでやったりするんですけど、ライヴのほうでは僕が演奏をして、その上でお客さんがずっと歌ってるようなイメージ。さっきの祭りの話と一緒で、ひとりひとりが普段どういうことをやっていても関係ない状態を作り出したいんですね。みんなで声を出して遊ぶ場所。言葉も全部スキャットなので、世界中どこでも歌えるんです。自分なりに音楽の役割を考えていくなかでやれること、やるべきことはこういうことなのかなと思ってて」
――先ほど民謡の歌い方が新しいプロジェクトには必要だとおっしゃってましたけど。
 「このプロジェクトを始めるとき、世界中のスキャットを歌いながら声の出し方をいろいろ試してたんですね。それは音源を通してのものだったんですけど、実際に自分が尊敬する木津さんに習いながら、その声の出し方を自分のなかに入れておくことによって説得力を持てると思ったんですね。あと、今回はピアノを弾きたいと思ってて。ピアノって音量がデカイじゃないですか。ギターに合わせた今までの歌い方だと完全に(声が)消えちゃうんです。そのためにもガツンと声を出せるようにしておく必要があったんです」
――Takujiの活動はレコーディングというよりもライヴ・パフォーマンスが中心になっていくんでしょうか。
 「今はそうなってますね。いずれ録っていくとは思いますけど、そういうモノの進め方もおもしろいかなと思ってて。まずはライヴをやりながら、ですね」
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