大石始 presents THE NEW GUIDE TO JAPANESE TRADITIONAL MUSIC
第14回:馬喰町バンド
“童歌(わらべうた)”と聞けば、皆さんも何かしら思い出す歌があることだろう。子供のころ、無意識のうちに口ずさんでいたあの歌、この歌。意味など分からないまま、まるで呪文のように口からついて出たメロディ。大人になって考えてみると、確かに童歌の歌詞はずいぶんと不思議なものばかりだ。オノマトペのようにも、古語のようにも思える童歌には一種独特な魔力が秘められているのかもしれない。2007年に結成され、2010年よりギターの武 徹太郎、ベースの織田洋介、パーカッションのハブヒロシという編成で活動を続けている
馬喰町バンド。さまざまなフォルクローレをアコースティック・グルーヴで鳴り響かせる彼らが軸足を置いているのが、日本各地の童歌である。アイヌの伝統ヴォーカル・グループ、
マレウレウもゲスト参加した最新作『ゆりかご』には日本各地の童歌のほか、インドネシア童歌のカヴァーも収録。すでに各所で話題を集めはじめている。3人と出会ったのは都内某所、暖かな秋の午後のことだった。ライヴ前の3人にゆっくり話を聞いた。
「公園で子供たちがやってることが音楽じゃなくて、CDや芸能として流通しているものだけが音楽なんだったら、自分たちは今生で音楽はできないと思う」
――まず、3人の出身地と音楽的ルーツを教えてもらえますか。
武 徹太郎(以下、武) 「生まれは東京の下北沢なんですけど、3歳から千葉、高校は神奈川の小田原、その後は下北沢、大学は八王子……ずっと関東ですね。ギターを最初に手に取ったのは中学生。父親がブルースの歌手だったので、父親に習って3コードのブルースをやってました。
ロバート・ジョンソンや
サン・ハウスを聴いたり。音楽的な転機だったのは、
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『Fresh』(73年)。それからファンクも聴くようになったんですけど、いま思えば、あそこに詰まってるアフリカの民族音楽みたいな部分や子守唄の雰囲気に惹かれたんでしょうね。大学に入ってからは油絵をやりながらジャズをやってて。そこからワールドミュージックを聴くようになって、ボサノヴァとかサルサ、タンゴも好きになっていった感じですね」
――ハブくんは?
ハブ 「生まれは北海道で、最初に触った楽器はピアノです。小学校4、5年ぐらいまでやってましたね。ただ、ドラムやエレキ・ベースも小学校のころ平行してやってて。民族音楽は小さいころから好きで、映画を撮るようになってからはその音楽の背景にあるものにも関心を持つようになって……同時に現代音楽にも興味を持ってて、“
スティーヴ・ライヒはガムランに影響を受けた”という記事をどこかで読んで、それからガムランを聴くようになったんです」
――ハブくんはインドネシアのソロ(註1)にも行ってるんですよね。
註1:ソロ / ジャワ島中部の都市、スラカルタの別名。かつてスラカルタ王国の旧都として栄え、現在もジャワ伝統文化の中心地とされる。
ハブ 「大学4年のとき、2ヵ月行ってました。そのころは映画を撮ってたんですけど、同時に東京音楽大学の民族音楽研究所でガムランを学んでたんですよ。そこの研修旅行でソロに行って、1ヵ月間毎日ガムランをやってました。あとの1ヵ月は向こうで映画を撮ってましたね」
――織田くんはどうですか。
織田洋介(以下、織田) 「生まれは福島のいわきです。僕は小学校のころ4年ぐらいピアノをやってたんですけど、全然ハマれなくて。高校のころはUKロックが好きで、ただアルバムを買い続ける日々でしたね。ベースは大学に入ってからで、ジャズ研で演奏してました。でも、ジャズの文化にどっぷり浸かるほど好きにはなれなくて」
――織田くんは長年、明和電機(註2)のサポート・メンバーとしても活動してるんですよね? 註2:明和電機 / 土佐信道のプロデュースによるアート・ユニット。作品制作や舞台パフォーマンス、音楽活動など多岐に渡って活躍中。
織田 「そうですね。大学でメディアアートを習っていて、トイ・ピアノを作ったりしてたんですけど、大学の先輩から“明和電気のサポートをできる人を捜してる”っていう話を聞いて、“じゃあ、ぜひ”と。明和電気は丸2年やってました。明和電気は海外からの引き合いが多いから、おかげでいろんな国に行けました。アジアとヨーロッパが多くて、特にフランスではすごく人気があるんですよ」
――馬喰町バンドが始まったのは2007年ですよね。
武 「僕は“馬喰町ART+EAT”というギャラリーで働いてるんですけど、施工の段階から関わっていたんですね。で、オープニング・パーティのとき、“芸を持ってるんだから演奏しなさい”って言われて。そのときは女性ヴォーカルのポップス・バンドをやってたんですけど、そのバンドのメンバーでもあった織田くんに声をかけたんです。あと、もうひとりジャンベを叩いてるヤツがいたので、3人で
ジャンゴ・ラインハルトの曲なんかをやったらウケたんです」
――最初はここまで続くとは思わなかった?
武 「そうですね、あくまでも1回のイヴェントのためのバンドだったので。次第にオリジナル曲もやるようになったんですけど、その前から好きだったジプシー・ジャズやアフリカ音楽みたいな曲を書いてもニセモノになっちゃうし、現地の人たちみたいにはできない。……絵を描いてたときから考えてたことなんですけど、人間は生まれたときから持ってる“魂の適正”というものがあって、教えられなくてもできることってあると思うんですよ」
――たとえば?
武 「子供のころ公園に集まると、みんなで新しい遊びを考え出したりするじゃないですか。それってとても音楽的だと思うんですね。“もういいかい”“まあだだよ”というフレーズだって音楽そのものだと思うし、童歌なんてまさにそういうものだと思う。それを音楽とするならば、僕たちにも音楽をやるチャンスはあるなと思って。公園で子供たちがやってることが音楽じゃなくて、CDや芸能として流通しているものだけが音楽なんだったら、自分たちは今生で音楽はできないと思う」
――童歌は馬喰町バンドをやる前から意識してたんですか。
武 「情操教育の一環として大人から教えられるものは好きじゃなかったんですけど、遊びのなかで自然に生まれる歌は好きだった。僕は少年野球をやってたんですけど、応援のときの掛け声なんて、ピグミーのポリフォニー(註3)みたいなんですよ(笑)。“バッターびびってんぞ”とか “リーリー”が重なると、ものすごく音楽的でもあるし」
註3:ポリフォニー / 多声音楽、複音楽。複数の音(声)を同時に響かせるというもので、対義語はモノフォニー(単旋律)。伝統的な民族音楽のなかでもブルガリアやハワイ、台湾原住民の合唱などで使用される。
――なるほど。
武 「“音楽はちゃんとした芸を持ったプロフェッショナルな人がやるもの”と思ってたときは気づかなかったことなんですけどね。僕ら自身、最初は歌うことにも抵抗があった。たとえ歌うとしてもある程度のテクニックがあったうえで個人的な経験を歌い、それが聴き手の共感を得ていくような歌のあり方とは違うものをやりたかったんですね。個人を超え、みんなで共有できるような……」
――共同体のなかで成立していくような歌?
武 「そうですね。さっき言った“もういいかい”“まあだだよ”のようなもの。それで、インストのなかに声を入れはじめたんです」
ハブ 「ただ、歌に関して言うと、これでもかなり上手くなったほうで、最初はヒドイもんだった(笑)。だから、3人で歌わないと聞けたもんじゃなかったんですよ。それで必然的にユニゾンになっていったんです」
武 「3人で歌の練習をしてると、練習なんだか公園で遊んでるのか分からなくなってくるんですよ。ちょっと馬鹿馬鹿しくなってくる(笑)。でも、それぐらいがちょうどいいんです。そこでようやく“曲の本質を掴んだな”という感覚を持てる」
――あと、これは重要なことだと思うんですけど、馬喰町バンドが童歌をやるとき、そこにノスタルジーは一切ないですよね。“古き良き日本の歌”みたいな癒し系の雰囲気がまったくない(笑)。
武 「うん、ノスタルジーはゼロですね」
――かといって童歌をエキゾチックなものとして捉えてるわけでもなくて、自分の生活の延長にあるものとして捉えてる。その感覚がおもしろいんです。
武 「なんなんでしょうね、その感覚って。自分たちでやるようになってから意図的に歌を集めるようになったんですけど、そのなかでもフィットしないものもやっぱりあって。一方、インドネシアやアフリカの童歌にも親しみを感じることもありますからね。童歌じゃないけど、キューバのサンテリア(註4)を聴いてても“これ、知ってる”っていう感覚になれる」
註4:サンテリア / キューバの伝統的な黒人系儀式音楽、舞踏。
――サンテリアも自分の感覚のなかにある?
武 「うーん……すぐ歌えるかどうかは別にしても、“これ、知ってる”って思えるんです。そのへんの感覚はうまく言葉にできないんですけど」
「オリジナルも全部童歌だと思ってるし、童歌も現代音楽だと思ってやってます。そもそも僕らは“伝統の一部になりたい”という気持ちもあまりないですし」
――今回のアルバム『ゆりかご』にはインドネシアの童歌“チュブラット”のカヴァーも入ってますけど、これも日本の童歌と同様の親しみを感じられたと。
2ndアルバム『ヒトのつづき』
ハブ 「“チュブラット”に関してはちょっと特殊な形で出会った歌でもあるんですよ。俺の嫁さんが教えてくれた歌で……」
――あ、奥様はインドネシアの方なんでしたっけ。
ハブ 「そうなんです。めちゃくちゃいい歌だと思って、いつかやりたいと思ってたんですよ。インドネシアではみんな歌える歌みたいですね」
武 「童歌って、どの国のものでも共通性があると思うんですよ。近世の民謡って名人じゃないと歌えないようなものになってると思うんですよね。ピッチはどんどん高くなるし、芸事が録音されるようになってからは“正しい節”というものが決まってしまった。でも、童歌や古謡は地声というか、ノドを張らないで歌う。声の出し方が共通してると思うんです」
織田 「子供がすぐに歌えるようなものですからね」
3rdアルバム『ゆりかご』
ハブ 「我々のなかには“音楽の始まりを探求する”というテーマがあるんですけど、日本の童歌もそういうものに触れる歌だと思うんですね。聞いたところによると、昔は“子供”という概念がなかったらしいんですよね。原始社会ではみんな子供だった。だから、子供の歌とか絵っていうのは、原初のものを表すものでもあって。童歌にアクセスすることで、原初のものにも触れることができると思うんです」
武 「童歌の文化的側面を追っていくと、この地方にはこういう歌があって……って分類するようになっちゃうけど、自分たちは歌を通して原初の記憶に触れたいんです。そういう意味では、日本であろうとインドネシアであろうとアフリカであろうと、同じものとして童歌を捉えてるんだと思う」
ハブ 「童歌に着目したのは小泉文夫さん(註5)からの強い影響もあって、それこそ小泉さんの仕事を受け継いでるぐらいの感覚はあって……」
註5:小泉文夫 / 今年没後30年を迎えた民族音楽学者。日本に民族音楽の何たるかを広めてきた功労者とも言える。日本の伝統音楽、民謡に関する論考も多数。
武 「それはちょっと大きく出過ぎだなあ(笑)。でも、ものすごく影響を受けてるのは確かですね」
――ようするに、音楽が形式化される前のものをやろうとしてるわけですよね、馬喰町バンドは。
ハブ 「そうですね。僕らはそれを形にしたいんです」
――でも、もともと形式化されていない遊び歌を3人でアレンジしていくなかで“形式化”していくわけですよね。そこに難しさを感じることはないんですか。
武 「難しくはないけど、罪悪感はありますね」
――罪悪感?
武 「僕はパッケージされた商品としての音楽がイヤでこういうことをやり始めたんだけど、結局、馬喰町バンドでアレンジすることで童歌を“商品”に置き換えてるような気がして。だから、アレンジメントをつける前の段階でもキチンとできるよう、3人で歌だけの練習もするようにしてます。子供が遊び歌をやってるときの状態、あの感覚を持ち続けていればどこにでも行ける気がするんですよ」
――今回のアルバム『ゆりかご』に入っている曲でいえば、“どどっこやがいん”は東北〜宮古島までの8つの童歌をメドレーにしたものですよね。これはどういう発想から生まれた曲なんですか。
武 「昔からピグミーのポリフォニーが好きでいつかやってみたいと思ってたんですけど、あんな高音じゃ歌えないだろうけど、童歌だったら近いことができるんじゃないかと思ったんですね。童歌にしても三拍子のものもあれば四拍子のものもあるので、それがうまく重なり合ったらポリリズムになるんじゃないかと。ここに入ってるのは8曲分のメドレーになってますけど、実際は30曲分の譜割りを書き出していって、それを組み合わせていったんです」
――これ、ライヴでやるの大変ですよね。
ハブ 「いや、インスト曲のほうが大変なんですよ(笑)」
――えっ、どうして?
ハブ 「前は楽器のパートで聞かせよう、見せようという意識が強かったんですけど、童歌は歌の流れのなかで演奏していけばいいので楽なんです」
織田 「歌のない曲だと熱くなってくることもあるんですけど、童歌をやってるときは妙に冷静なんですよ」
ハブ 「童歌を“作った声”で歌うわけにもいかなくて、結果的に子供みたいに歌うしかないんです。俺、ライヴだと短パンを履いてることも多いんで、“いったい何やってるんだろう?”と思うこともあって(笑)」
武 「あとね、3人で歌ってると、自分がどの声か分からなくなる瞬間があるんですよ。自分の歌と人の歌の境目が分からなくなってくる」
――へえ、それは面白いな。その感覚って、それこそピグミーのポリフォニーやケチャにも通じるものじゃないですか。
武 「そうですね。あとは小魚の群れが一斉に方向転換する感じとか。あれが即興演奏だとしたら、かなり高いレヴェルの即興演奏だと思うんですよ」
――ミュージシャンとしての“自己表現”とはまた別の世界の表現ですよね。
武 「そうそう。以前、ギニアに行ってたミュージシャンの人と話をしたことがあって、“演奏とダンスがうまくいってるときは自分の意識が溶けていく”っていうんですよね。見てなくてもダンサーがどういう動きをしているのか捉えられるようになるし、ダンサーも自分の身体から音が出てるような感覚になるらしいんです。僕はその感覚、分かるし、そういうことをやるために馬喰町バンドをやってるんです」
――今回のアルバムに入ってるマレウレウもまさにそういうことをやってますよね。
武 「そうですね。ひとりひとりの個を消していくという」
――マレウレウはどういう経緯で参加することになったんですか。
武 「もともとアイヌの歌は好きで聴いてたし、もちろんマレウレウのことも知ってたんですけど、たまたまラジオ局でお会いしたんです。CDをいただいたらブッ飛ぶような内容で。トラディショナルな形を崩さずにアイヌの歌を歌ってるけど、ちゃんと現代の音楽になってるじゃないですか。あれこそ伝統音楽のあるべき姿だと思ったし、大ファンになっちゃったんです。今回のレコーディングでは僕ひとりで(マレウレウの地元である)旭川まで行ったんですけど、マレウレウはもちろん、OKIさんが素晴らしかったですね。(レコーディング・)エンジニアだけじゃなく、音楽監督をやってもらったと言っても過言じゃなくて」
――アルバム全体としてはどうですか。今回はどういうものにしようと?
武 「したと思ってます。BPM的な物の考え方をばっさり捨てちゃって、そのかわり3人のなかにある揺れを大切にしようと。全曲一発録りということも影響してるんじゃないかな」
――前作『ヒトのつづき』ではグルーヴが重視されてましたよね。でも、一発録りで作った今回のほうがグルーヴより揺れを重視してるというのがおもしろい。
ハブ 「今回は全曲遊鼓(註6)でやってるので、今までのようなグルーヴを作るのが不可能なんですね。ただ、以前は僕がリズムを刻む役割だったのが、今は3人それぞれがリズムを作る役割を担ってる。メロディもリズムも一緒に作ってるんです」
註6:遊鼓 / ゆうこ。ハブが開発したオリジナルの打楽器。
武 「生き物というか、より有機的なスタイルになってきてるとは思いますね」
――童歌のカヴァーとオリジナルが混在してるわけですけど、でも、その境目がほとんどないという感じがしますね。
武 「ないです、まったくない。オリジナルも全部童歌だと思ってるし、童歌も現代音楽だと思ってやってます。そもそも僕らは“伝統の一部になりたい”という気持ちもあまりないですし」
――あ、そうなんだ?
武 「もちろん伝統的なものは大好きですけど、やっぱり現代の音楽をやってるという意識が強いので。古代から続いてきたものの延長にありながら、現代のものをやってる」
――100年前の童歌が進化していったら、ひょっとしたらこういう形になってたんじゃないか、という感覚?
武 「そうですね。ただ、童歌は子供たちが遊びのなかでどんどん作り替えていったものなので、僕らが作ってるのは童歌じゃなくて、童歌に拮抗する何か……」
ハブ 「童歌にアクセスすることで見えてきた自分たちの足元の歌、ですかね。ま、僕らにとっては日本の伝統芸能もアフリカの民族音楽と同じぐらい遠かったりするんですよ。日本のとある伝統芸能の研究会の人たちと話してると、“やっぱり現地に行かなきゃ”って言うんですね。でも、“ここ(東京)も現地じゃないの?”と思うんです。足元の記憶とか育ってきた環境のなかで得られてきたものから見つめ直していくしかないと思うんですよね。われわれがずっと祭りのなかで育ってきた人間であれば違うんでしょうけど、3人とも新興住宅街の育ちですから(笑)」
武 「もちろん祭りに行けば最高に楽しいんですけど、“祭りは日本の魂”だとはどうしても思えなくて」
ハブ 「僕はどちらかというと、祭りに行っても踊りの輪の外から“祭りっていいなあ”と思ってるタイプ」
武・織田 「俺もそう(笑)」
――俺もそう(笑)。
武 「(笑)。民謡や音頭にしても好きな歌はたくさんあるんですけど、僕のなかでの歌に対する距離感は洋楽のロックやアフリカと変わらないし、そこで育ったネイティヴな人がやればいいと思う。疑いようのないぐらい素晴らしいものであることは確かなので」
――でも、どれも同じぐらい遠いということは、どれも同じようにアクセスできるということでもありますね。
武 「そうですね」
ハブ 「日本人としてのルーツを探っていくというよりも、どうやって命が生まれたのか、どうやって風が吹き始めたのか、なぜ歌が生まれたのか、そういうところに向かうときの乗り物という感じなんですよね、童歌は」