『KING OF ROCK』から
アラサーに向かっていくにあたって、
自分の中で無理のない音楽を
作っていきたいなと思った(YO-KING)
5thアルバム『KING OF ROCK』発表時(1995年)
──『KING OF ROCK』をリリースした頃、バンド名から“THE”が取れましたけど、あれは、どういう心境の変化だったんですか?
桜井 「バンドが変わったということをアピールする手段ですね。あとは“ま行”じゃなくて、“さ行”に置かれてCDがお店で探しにくかったり。それでスタッフからも“THE”は、いらないんじゃないかという意見が出てきて。じゃあ取っちゃいましょうと」
──ちなみにYO-KINGさんが本名から改名した現場に僕は偶然立ち会っているんですよ。たしかエレファントラブのライヴだったと思うんですけど。
YO-KING 「そうそう」
──だしぬけに、「俺のことを今日から“SPICE MASTER YO-KING”って呼んでくれ」って言いはじめて(笑)。
YO-KING 「正確には、“SPICE MASTER DEFROSTER YO-KING(スパイスマスター・デフロスター・ヨーキング)”ね(笑)」
──あれは、また、どういう心境の変化で?
YO-KING 「横文字のほうがTシャツとかもカッコいいデザインになりそうだし。僕なんかは、一流レストランの予約を取ることも多いから、普段、本名で活動してると、いろいろ面倒くさいんだよね」
──なるほど(笑)。おおっぴらに“モテ”をアピールしはじめたのも、たしか、この頃ですよね。
桜井 「YO-KINGさん、サングラスしてるの、モテ防止ですもんね(笑)」
YO-KING 「そう。モテ防止。本当はしてないほうがモテるんだよ。それは分かってる。でも、モテたくないから」
──目力(めぢから)をサングラスで押さえていると(笑)。
桜井 「もう少し目力使ってくれれば売り上げもアップするのに(笑)」
YO-KING 「それも分かってる。みんながあくせくせず、ニコニコできる程度の売り上げをキープするためにあえてサングラスをしてるわけ。もちろん、俺の顔を使ったほうが売れると思うよ」
桜井 「自意識の限界に挑戦してますねえ(笑)。でも、こないだ外で撮影してたとき、見物してた人がYO-KINGさんを指して、“あ、
スガ シカオだ!”って言ってたよね(笑)」
YO-KING 「あった、あった(笑)。そうね〜、あれは参ったわ」
──話を戻して(笑)、『KING OF ROCK』の直後にシングル「サマーヌード」をリリースして。あの曲も真心ブラザーズに強力な追い風を吹かせたと思うんですよ。 桜井 「絶妙なタイミングでしたよね。間髪入れず、別の技を繰り出すことができたというか」
──あの曲は、どんなふうにしてできあがったんですか?
桜井 「バタバタでした(笑)。〈サマーヌード〉は、そもそも95年の夏限定で売られた“日清サマーヌードル”というカップ麺のラジオ・スポット用に発注を受けて書いた曲だったんですよ。しかもレコーディングまで2週間しか猶予がないっていう(笑)。突貫工事でバーッと作ったから、『KING OF ROCK』の次にこんな方向転換した曲を出してもいいのかとか、そういうことを考えてる暇もなかったんです。あの曲には自分の中にある夏のイメージを全部詰め込みました(笑)」
──それがいまや、クラムボンとか土岐麻子さんとか、いろんなアーティストにカヴァーされるまでになって。 桜井 「ねえ(笑)。今思えば、余裕がなかったからこそ、ああいう曲が書けたと思うんです。締め切りが生んだ偉大な作品ですね(笑)」
7thアルバム『I will Survive』発表時(1998年)
桜井 「『KING OF ROCK』みたいなアルバムが毎回できたら嘘だと思うんですよ。あの世界観をいかにして進化させていくかということを2枚のアルバムを通じて追求していた感じですね。そういう意味では洗練に向かっていたのかな」
YO-KING 「年齢的なタイミングもありましたね。『KING OF ROCK』が27〜28歳でしょ。そこからアラサーに向かっていくにあたって、自分の中で無理のない音楽を作っていきたいなと思ったんですよ。年相応の音楽というか」
──あくまでも、そのときのモードに忠実に。
YO-KING 「そうそう。だから今思うと歌詞は納得できないものも多いですよ。だけど、シンガー・ソングライター的な観点でいえば、それでいいんだと思う。だって“10年後に読んだら恥ずかしいんだろうな”とか思ってたら、歌詞なんて書けないから。あとあと読んだときに、“あの頃だからこそ、こういう歌詞が書けたんだな”って思う場合も逆にあるわけだし」
8thアルバム『GOOD TIMES』発表時(1999年)
YO-KING 「本人たち的には特別盛り上がることもなかったかな。でも今思うと、濃い10年だったと思いますよ」
──この頃は、武道館2DAYSを行なったり、傍から見たら順調な活動を続けているように見えたんですけど、実際のところバンドの内情はどうだったんですか?
桜井 「モノづくりに関しては行き詰ってましたね。はっきり言って失速してました(笑)。でも、しょうがないですよね。バーンとハジけるときもあれば、流れが滞る場合もあって。そろそろ、もうひとハジけ欲しいなと思っていた時期ではありましたね」
──そういう状況は活動休止まで、しばらく続いていたわけですか。
桜井 「そうですね。いろいろ試行錯誤してました。2001年の春からスタートした“別れの歌三部作”から初めて外部プロデューサーを迎えたり。しんどいことも多かったけど、あれはあれでおもしろい経験でしたね」
もしかしたら、これまでの活動期間中で、
今が一番面白い時期なのかも
しれませんね(桜井)
10thアルバム『FINE』発表時(2006年)
──そして2001年の年末をもってバンドは一旦、活動休止に入ります。
YO-KING 「休止は俺から切り出したんですよ。自伝的なソロをやりたくなって、それで一旦、真心を休止しようって」
桜井 「俺はアルバム
『夢の日々 〜SERIOUS & JOY〜』(2001年)を経て、バックのMB’sのメンバーとまた新しい音を作ろうと思ってたから、“えー!”みたいな感じでしたよ。でも、YO-KINGさんの興味がソロに向かっていたから、それはもうしょうがないかなって」
──復活するまでの3年半、お二人の中で、真心ブラザーズはどういう位置づけだったんですか?
桜井 「すごくフラットな距離でバンドを見つめ直すことができました。ちょうど休止期間中に真心のカヴァー・アルバム(
『真心COVERS』/2004年)が出たんですけど、参加してくれたミュージシャンの素晴らしい仕事とか、あとはそれを聴いてくれたリスナーの反応を聞いたりして、僕は初めて聴き手のことを意識したんですよね。“みんな、真心のことをそんなふうに見てくれていたんだ”って。休止して初めてバンドを客観的に見ることができて、それだけでも僕にとってはすごく有意義なことでしたね」
YO-KING 「いなくなって初めて俺たちの偉大さが理解されたんじゃないかな」
桜井 「すごい(笑)。今日の、この人、すごいわ(笑)!」
YO-KING 「毎年、クオリティの高いアルバムを出して、楽しいライヴをやってたんだなって。それが、みんなに伝わったんだと思う。そうこうしてる間に若手から待望論みたいなものが出てきたから、じゃあってことで再始動する気になったんです。それで、復活ライヴをやったら尋常じゃない反応が返ってきたから、マジでこれはキてるなーって」
桜井 「本当に気持ち悪いくらいの大声援だったんですよ。これは、やんなきゃ不義理だなと思いましたね」
──活動休止前に比べて、一番変わったのはどういうところでしたか?
桜井 「ソロ活動を通じて、YO-KINGさんが制作のノウハウを身につけてきたので、曲の作り方が大きく変わりましたよね。それまでは俺が具体的なアレンジまでをやって、YO-KINGさんがわっしょいと歌う、大きな役割分担があったんですけど、活動再開後は、その線引きがユルくなったんですよ。二人ともなんでもやるっていう。必要とあれば私もラップをやらせていただくっていう(笑)」
──最新フル・アルバム『俺たちは真心だ!』(2008年)でも、ハウスあり、ヘヴィメタありと、やりたい放題やってますよね(笑)。 桜井 「ああ、あのアルバムはですね、再始動後に作った
『FINE』(2006年)と
『DAZZLING SOUNDS』(2007年)っていう2枚のアルバムが、ちゃんとお客さんに対して筋を通した誠実な作品だったんで、ここで一回、ハジけたアルバムを作ったほうがいいなと思ったんです。そこでバランス取るために、あえて思う存分やらせてもらった感じですね」
──ああいうアルバムを作れるのも真心ならではだと思うんです。
桜井 「今はバンドの状態がすごくいいですから。もしかしたら、これまでの活動期間中で、今が一番面白い時期なのかもしれませんね」
コンセプト・ミニアルバム『タンデムダンディ 20』発表時(2009年)
──今後、目指していくのはどんな方向ですか?
YO-KING 「アラフォーにしか表現できないロックンロールっていうのも絶対にあると思うから、今後はそれを追求していきたいですね。でも、いかんせん、今はアラフォーのリスナーが減ってるから。だんだん神輿の担ぎ手が減ってるんで、そこをなんとかしなきゃと思いますね。特に歌詞とか、やっぱり同世代の人にしか分からないニュアンスがあるから。俺たちが無理やり18歳になりきって歌詞を書くのも不自然だしね」
──逆をいえば、その世代には、その世代にしか書けない歌詞があるわけだし。
YO-KING 「そういうことですよ。10代にしか書けない歌詞もあれば、40代、50代、60代にしか書けない歌詞もあるわけで。だから、いかにして嘘がない形でロックンロールを歌っていけるかなんですよね。
(山下)達郎さんのライヴとか観にいくと、同世代のお客さんが集まって、達郎さんのロックンロールで感動してるわけですよ。俺たちも、ああいうところまでいけたらいいなと思う。ただ、それを実現するためには、若い奴ら以上のエネルギーが必要で。とはいえ先輩方もそういうことをやっているわけだから、俺たちが、ここで音(ね)をあげるわけにはいかないよね」
桜井 「4月に泉谷しげるさんと共演させてもらったんですけど、やっぱりエネルギッシュだったし。
ムッシュ(かまやつ)さんに至っては70歳ですからねえ。古希を迎えているにもかかわらず、いまだにスタインバッカー鳴らして格好よく歌ってるんだから。我々なんて、まだまだ大きな顔はできないですよ」
──20周年ごときで騒いでくれるなと。
桜井 「いや、騒いではほしいんですけど(笑)。それで浮かれてる場合じゃないぞ、と」
YO-KING 「でも、本当にこれからですよ。40代は働き盛りだから、実り多き時代がくるんじゃないかな。これまで以上に楽しくなっていくと思いますよ。そして格好いい大人になりたいですね」
──具体的な“格好いい大人像”はありますか? 以前は津川雅彦さんの名を挙げていましたけど。 桜井 「ああ。津川さんは永遠の憧れですよ。あんなふうに枯れることなく、フェロモンを出していきたいですね」
YO-KING 「あとは
加藤和彦さんとか。これからの真心ブラザーズは粋な大人の遊び人を目指していきますよ」
というワケで、20周年を迎えた真心ブラザーズに“永遠の憧れ”である津川雅彦さんからのコメントをいただきました!
20周年おめでとうございます!
津川雅彦(俳優)
真心ブラザーズ、デビュー20周年おめでとうございます!
そして、YO-KINGさん、桜井さん、いつも僕のことを応援してくれて、ありがとうございます。
今度、発売されるベスト・アルバム『GOODDEST』聴きました。
すごくバラエティ豊かな曲が入っていて素晴らしいと思いました。
20周年特集のタイトルが『YOUNGER THAH YESTERDAY』(昨日よりも若く)とのことですが、僕が若さを保つために常に心掛けていることは、今日が人生で一番楽しい日と思えるために、今日を充実させることです。
ぜひとも実践してみて下さい。
それでは今後の活躍を楽しみにしています。
■オフィシャル・サイト :
https://www.granpapa.com/production/tsugawa/取材・文/望月哲(2009年7月)